百聞は一見に如かず(令和5年4月)

百聞は一見に如かず(ひやくぶんはいつけんにしかず)
                   

  令和5年4月 若葉会御講

 むかし、中国の前漢時代の話です。前漢は秦が崩壊(ほうかい)したのち、劉邦(りゆうほう)が建国した中国王朝の国で、後漢(ごかん)(東漢(とうかん))に対して、西漢(せいかん)ともいいます。その前漢の皇帝である宣帝(せんてい)のとき、西北方(せいほくがた)の異民族の羌(きよう)が漢王朝の国境地域に侵入してきました。羌はチベット系の遊牧民族(ゆうぼくみんぞく)です。これまでも匈奴(きようど)という原住民族と連合してたびたび漢の領土に侵入してきました。
 前漢の宣帝は、さっそくこの異民族の羌を追い払うため、大臣たちを集めて会議を開きました。その結果、これまでにも、羌が率いる異民族と戦った経験がある趙充国(ちようじゆうこく)が司令官に任命されました。
 趙充国はもう76才になっていましたが、数十年も羌と戦ってきた経験が、宣帝に最も信頼され、司令官に任命されました。宣帝はさっそく充国に、「兵はどれだけ必要か?作戦はどのように考えているのか?」と尋ねました。充国は今までの経験から、「はい、皇帝。百聞は一見に如かずと言います。机上(きじよう)の計画は危険です。実際に戦いの地である金城(きんじよう)へ行き、この目で確認してから作戦を立て、皇帝へ御報告申し上げたいと思います」と答えました。宣帝は、「そうか、百聞は一見に如かずか、なるほど、その方が確実で間違いないだろう。さっそくそのように計らえ」と充国に命じました。
 宣帝の許可を得た充国は、数千の兵を率(ひき)いて戦地に向かいました。まずは、現地に入る前に近くに潜(ひそ)んでいた羌の小部隊を、前方後方から攻め落としました。そして、その兵士たちを捕虜(ほりよ)として捕らえましたが、充国はその捕虜を手厚くもてなし、敵の人数や配置場所、司令官や部隊の作戦などを聞き出すことに成功しました。
 人というのは、脅(おど)したり恐がらせてもなかなか口を開くことはありません。心が開かれると真実を話します。殺されると思えば本当のことは言いませんが、助けてもらえると信じられるから本当のことを話すのです。つまり、力尽くの行動よりも、心尽くしが人を動かすということです。
 充国は部下に対しても、力尽くで命令するよりも、自分から率先(そつせん)してやる気を起こさせることに力を注ぎました。そのモットーが「百聞は一見に如かず」という事です。何でも人任せではなく、まずは自分が実際に見て、それをやって見せること、率先垂(そつせんすい)範(はん)することが充国の司令官としての姿勢であり行動でした。
 充国は、さっそく敵方の兵士から得た情報をもとに、地形や敵方の状況を偵察(ていさつ)しました。ほとんど捕虜から得た情報通りで、充国は的確な状況判断をもって、綿密(めんみつ)な作戦を計画しました。それは、各部隊が同時刻に一斉攻撃(いつせいこうげき)するというものでした。
 充国はこの作戦を宣帝に報告すると、宣帝は「よろしい。司令官の思う通りに敵を攻め落としなさい」と、兵士の補充と共に信頼をよせた激励の言葉をかけました。充国は宣帝の期待に応えようと全軍に呼びかけました。心通い合う異体同心の団結で、充国の軍は羌の軍隊を攻め落とすことができました。充国の「百聞は一見に如かず」の精神で、まずは自分で確かめ、見極めるという姿勢が、国に攻め込んでくる羌の軍勢と戦う前漢の軍を勝利に導きました。
 この百という言葉は、中国では「多数」という意味があります。例えば多数の民族のことを「百姓(ひやくせい)」とも言います。また、「百害(ひやくがい)あって一利(いちり)なし」、「百薬(ひやくやく)の長(ちよう)」、「百発百中」、「百戦錬磨(れんま)」、「百獣の王」という言葉を聞いたことがあると思います。これと同じように、「千」や「万」という言葉も数が多いという意味があります。「三千大千世界」、「千客万来(せんきやくばんらい)」、「万雷の拍手」、「千差万別(せんさばんべつ)」という言葉があります。
 総本山第六十六世日達上人さまは、「百の言葉よりも一つの実行」と仰せになられました。どんな立派な言葉や、誓いの言葉を沢山述べようとも、一つの実行がなければ前に進むことはできません。
 御法主日如上人猊下は、「祈りを成就するためには、行動が伴うことを忘れてはなりません。祈りが単に祈りだけで終わってしまえば、それは結局、理の仏法にほかならないからであります。実践行動をとおして初めて、私逹は仏智をいただくことができるのであります」と、御本尊様に祈ったり願ったりばかりで、実践行動がなければ、仏さまからの尊い智慧である御仏智は頂けないと仰せになられています。
 皆さんが何度も参詣したことがある総本山大石寺も、「本山は素晴らしいところですよ」と、何度口で言っても、実際に本山に参詣して境内や建物を見て歴史と伝統を感じたり、澄んだ心地よい空気を吸ったり、御法主日如上人猊下の大導師のもと御開扉を受けて、その有り難さを肌身で感じて頂くことにより、初めてその素晴らしさを感じ、日蓮大聖人さまの教えの正しさを感じることができるようになります。
 このように、自分が足を運んで目で見て、相手にも見せてあげる、参加させてあげるという行動につなげることが大切なことです。
 皆さんもこれから、学校や社会、日常生活で多くの人と出会うことがあると思います。そうした友人や知人関係をより良いものにするためには、まず自分自身が多くの人から信頼されるようになることです。その為に大事なことは、いつも正直であること、誰にでも分け隔てなく優しく接すること、何事も率先して行うことです。
 そして一番大事なことは、御本尊さまに毎日勤行唱題して、御本尊様から頂くお徳を身に付けることです。本堂に「此経号不可思議功徳力(しきようごうふかしぎくどくりき))」という書が飾られています。これは、法華経の奥深い御法門である大聖人様の教えには、不可思議な功徳力が具わっていることを意味しています。何事も、まずは自分自身率先して行うことが大事ですが、その行く末が正しいものであるためには、御本尊さまの不可思議なお力は必要不可欠です。私たちが、真っ直ぐ正しい道を歩むことができるように、様々な願いが叶うように、たとえ困ったり悩んだりすることがあったとしても、御本尊様に願い祈り、お題目を唱えて行けば、不思議と問題が解決したり、皆さんの毎日の努力が2倍3倍となって、大きな成果を出すことができるようになります。
 どうか、これからも信心の大切さを忘れず、常に御本尊さまが私たちを見守って下さっていると思い、有意義な毎日を送って下さい。そして、多くの人たちを大聖人さまの教えへと導けるよう、まずは一人でも多くの人をお寺にお連れすることができるように話しかけてみましょう。