御報恩御講(令和5年4月)

 令和五年四月度 御報恩御講

 『四条金吾殿御返事』    建治二年六月二十七日  五十五歳

 一切衆生、(いっさいしゅじょう)南無妙法蓮華経と唱(とな)ふるより外(ほか)の遊楽(ゆうらく)なきなり。経(きょう)に云(い)はく「衆生(しゅじょう)所(しょ)遊楽(ゆうらく)」云云。此(こ)の文(もん)あに自(じ)受(じゅ)法楽(ほうらく)にあらずや。衆生の(しゅじょう)うちに貴(き)殿(でん)もれ給(たま)ふべきや。所(しょ)とは一(いち)閻(えん)浮(ぶ)提(だい)なり。日(に)本(ほん)国(ごく)は閻(えん)浮(ぶ)提(だい)の内(うち)なり。遊楽(ゆうらく)とは我(われ)等(ら)が色心(しきしん)依正(えしょう)ともに一念三千(いちねんさんぜん)自(じ)受(じゅ)用(ゆう)身(しん)の仏に(ほとけ)あらずや。法華経(ほけきょう)を持(たも)ち奉る(たてまつ)より外(ほか)に遊楽(ゆうらく)はなし。現(げん)世(ぜ)安穏(あんのん)・後生善処(ごしょうぜんしょ)とは是(これ)なり。          (御書九九一㌻六行目~九行目)

【通釈】一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱えること以外に真の遊楽はない。法華経に「衆生所遊楽」と説かれている。この文はまさに自受法楽を説いたものにほかならない。その「衆生」のうちに貴殿が漏れるはずはない。「所」とは一閻浮提のことであり、日本国は一閻浮提の中にある。「遊楽」とは、我等の色心依正ともに、すべて一念三千・自受用身の仏にほかならない。法華経を持ち奉る以外に真の遊楽はない。法華経に「現世安穏・後生善処」とあるのはこのことである。

□住職より

 本年も新年度となり、出会いや別れ、新たなる船出の季節となりました。妙眞寺支部におきましても、進学や進級、就職や転職された方ほか、決意新たに新年度を迎えられた方もおられるかと存じます。どうか、この時を契機に心機一転して、徳が勝り実りある日々をお送り頂きたいと思います。
 さて、宗祖日蓮大聖人様は『新池御書』に、「雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて、夜明けなば栖つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたゝかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚しく鳴くことをう」と、雪山の寒苦鳥の譬喩を説かれています。これは、昼は日が差し暖かだが、夜になる寒さが厳しくなる雪山に棲んでいる鳥が、昼間は陽気に遊びながら、ひとたび夜を迎えると寒さに凍え苦しみつつ、夜が明けたらこの寒さをしのげる暖かな巣を作ろうと心に誓うわけですが、朝を迎え暖かになると夜の寒さを忘れて、食べ物を探したり眠ったり遊んだりと、結局夜を迎えて再び凍える寒さに苦しみ、その翌日も同じように巣を作ることを忘れてしまうことを、何度も繰り返す様子を意味します。
 更に大聖人さまは、雪山の寒苦鳥を私たち人間になぞらえて、「一切衆生も亦復是くの如し。地獄に堕ちて炎にむせぶ時は、願はくは今度人間に生まれて諸事を閣いて三宝を供養し、後世菩提をたすからんと願へども、たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯は消えやすし」と教えられています。すなわち三世の生命の因果の理法によって、地獄界に堕して苦しみ喘いでいる時は、今度人間に生まれたならば仏道修行に励んで、因縁宿習を清く改めて二度と地獄界に堕することがないように誓うわけですが、ひとたび人間界に生を受けたならば、その誓いも虚しく世間の五濁の悪風に毒されて、後世のことを蔑ろにしてしまい、結局は仏道修行の志を忘れ去ってしまい、寒苦鳥と同じように、後世も同じく三悪道の苦しみに喘ぐ様を説かれています。
 これは、私たち日蓮正宗僧俗の生活にも当然当てはまります。せっかく大聖人様の正法に帰依しても、確固たる信心と実践行が無ければ、無益な人生を送ってしまうことの厳しさ、深い信心によって自身の因縁宿習に立ち向かうと共に己の宿命を清きものへと転向し、悪の因縁を断ち切るには、相応の功徳利益をコツコツと積み累ねることが大切であることを肝に銘じなければなりません。また、いかに平穏無事なる時も油断し怠ることがなきよう、また悩み苦しむ時こそ、真剣に信行の実践に取り組み、罪障消滅宿業打開するべく、また、たとえ悩み苦しみが解決したとしても、後世の平穏無事を願い、尚一層の努力精進を怠らないよう努めることが大事であります。
 ましてや、世の人々は邪宗謗法の害毒による苦しみや、自分自身でも知り得ない、過去世からの因縁宿習によって、そもそも不幸な境遇にて生を受けたり、ある日突然不幸に苛まれるような時を迎え、その理由も分からず悩み苦しみ、そのスパイラルから抜け出すことが出来ずにいる人がいかに多いことか、ちょっとした病気やケガならまだしも、それが大きな事故に巻き込まれたり、大病を患ったり、出口の見えない生活苦と向き合いながら悩める日々を送り、その宿命や解決法を知らずに大きな苦しみを抱えている人々が、令和の世の中、コロナ禍に翻弄される今、いかに多くいるかを憂慮し、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山の年、妙眞寺創立九十周年を迎えた今こそ、これまでよりも一歩踏み出した信行の実践により、折伏に挑戦すべき時であるかを感じて頂くことが肝要であります。
 その為には、まず自分自身が折伏の志を立て、その志のままに唱題に唱題を累ね、我が身に福徳充満させ、その滲み溢れる御本尊様の功徳利益をもって、自ずと折伏出来うる境涯を目指しつつ、皆様御自身の日頃の所作振る舞い、発言行動により、多くの方々から信頼を得られるような生活を心掛けることが肝要であります。そして、「釈迦の説法屁一つ」という諺がありますが、これは長年かけて築き上げてきたものも、ちょっとしたことで全てを台無しにしてしまうことを言います。私たちの信行も同様、せっかく日々の努力精進して培ってきた徳を、自身の我意我見や怠惰な信仰によって失ってしまうことがないよう、今一度気を引き締め、有益な一年をお送り頂けますよう念願いたします。