コロナ禍での信心①

 東京都におきましては新型コロナウイルス感染拡大による「緊急事態宣言」の発令、埼玉、神奈川、千葉の各県におきましては「まん延防止等重点措置」が執られるなか、首都圏在住の妙眞寺檀信徒の皆さまには、感染予防対策をとられ自粛生活を余儀なくされているなか、どのような信行の実践に励んでいるでしょうか。今回、コロナ禍の今、私たちの信行の実践において、「法統相続」について焦点を当ててみたいと思います。

 皆さんのなかには、お子様やお孫様がいらっしゃる方々が多々おられると存じますが、コロナ禍の今、この災禍を信心を以て乗り越えるべく、一家和楽し家族揃って信行の実践に励んでいるでしょうか。ごく稀に「信仰は子供の意思に任せる」、「子供たちが必要な時を迎えたらやるだろう」とお考えの方々がおられますが、もしそうした考えをお持ちの方がいたならば、是非ともそのお考えを改めて頂きたいと願います。

 当然、子供がいたならば、愛情をもって子供の健やかな成長を見守り、立派な社会人になれるよう、幸せな人生を送れるように、真心を込めて子育てをなさると思いますし、やがて親が亡くなれば、自ずと子供たちは親が遺した遺産などを相続することになります。しかし本来、一番大事なことは、この正しい信仰を相続することであることを、宗祖日蓮大聖人様の御教示を通じて考えてみて下さい。

 大聖人様は『妙法尼御前御返事』に、「夫以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」と仰せであります。

 私たちは生を受けた以上、死を免れることはできず、更に、病に罹患したり年老いていくことは、仏教において生・老・病・死の四苦として説かれるところであります。ですから、生者必滅・諸行無常と言われる一期の人生をいかに有意義に生きるか、尚かつ成仏得道という日頃私たちが目指すべき一大目標を成就することが最高最善の生き方であり、私たちはそのような教えを、家族揃って心掛け実践し、日頃の信行の実践により福徳を増進して積み累ねていくことが肝要であります。

 ましてや、ただでさえ五濁爛漫にして三毒煩悩の悪風吹き荒ぶ、この娑婆世界に身を置く私たちに対し、信心の教訓、心構えとして大聖人様は『松野殿御返事』に、「魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此くの如し。菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧を著たる兵者は多けれども、戦に恐れをなさヾるは少なきが如し」と仰せになられております。

 要するに、稚魚が無事成魚となるのが少ないように、マンゴーの花は多く咲いても果実となるのが少ないように、私たちが仏道修行を行じていく中で、退転することなく大聖人様仰せの如くに、正直に我意我見無く真実の道を進むことがいかに困難であるか。更に、ただでさえ俗世間では様々な悪縁が渦巻き、そうした世間の垢に巻き込まれて不幸な人生を強いられる方々が多いなか、私たちも同様に、いかに信行の実践に励んでいても、何かにつけて足を引っ張られたり、三障四魔や宿世の因縁による果報によって信心に疑いを起こしてみたり、諸難困難を迎え、より一層信心に奮起しなければならない時に尻込みしてしまったりといった、いざという時にその信行に実践を疎かにしてしまう時があるやもしてません。ですから、いつも皆さまに申し上げているように、1年に1回でも多く総本山大石寺に登山して本門戒壇の大御本尊様に御目通りをさせて頂き、1ヶ月に1回でも多く菩提寺乃至近隣の日蓮正宗寺院に参詣し、日々積もる身の垢を払い身心を清浄と化すことが肝要であります。

 また、大聖人様は『上野殿御返事』に、「抑今の時、法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつばかりをもへども、とをざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり。此はいかなる時もつねはたいせずとわせ給へば、水のごとく信ぜさせ給へるか。たうとしたうとし。まことやらむ、いゑの内にわづらひの候なるは、よも鬼神のそゐには候はじ。十らせち女の、信心のぶんざいを御心みぞ候らむ」と仰せであります。

 これは、何か問題が生じた時に烈火の如く信心に励む人もいれば、水の流れるように日々穏やかに信行の実践に励み、何事が起きても動じない、全ては自分自身の過去世からの因縁であることを達観し、時にはその信心の姿が本物であるかを、十羅刹女が何かしらの課題を与え、その諸問題を信心の力を持って解決するかどうかを試しているのであると感ずることが大事大切なことであります。

 とにもかくにも、大聖人様は『一念三千法門』に、「妙法蓮華経と唱ふる時心性の如来顕はる。耳にふれし類は無量阿僧祇刧の罪を滅す。一念も随喜する時即身成仏す。縦ひ信ぜずとも種と成り熟と成り必ず之に依って成仏す」と仰せでありますように、この大聖人様の御教えと御本尊様のお力は、一生成仏の境界はもとより、たとえ縁しただけでも、崇高な功徳利益が存することを仰せになられております。ですから、令和の今日、ましてやコロナ禍の今、この信心無くしてどうやってこの難局を乗り越え、幸福な人生を築くことができましようか。

 コロナ禍のいまだからこそ、唱題に唱題を重ね福徳増進し、広大無辺不可思議偉大なる御本尊様の御仏智を賜り、幸福な人生をより幸福に、お子様お孫様であったら幼少期のうちから幸福な人生を築く礎、土台を作り上げ、信心を行じながら人生を送るところに万事、仏さまの仏様の御心のままに、しかるべき道へと誘って下さることを決して忘れてはなりませんし、その信心をしっかりと伝えて頂くことを願って止みません。

 以前、紹介したことがあると思いますが、私が以前千葉県浦安市の浄徳寺に赴任していた際、千葉布教区少年部広布推進会において、ある支部の小学5年生の女の子が、「御隠尊猊下様(第67世日顕上人)の「朝は三十分早く起きればよいのです。そして一生懸命にお題目を唱えていく、そこにあなた方のその日の1日の根本的な幸せな姿を建設していく形が現れてくると思います」というお言葉を聞いて、毎朝5時に起きて、勤行と30分の唱題を続けていこうと決めました。決める前は、勤行するのがやっとで、たまに寝坊してさぼることもありました。そんな私が、お母さんに起こされて、5時に起きるのは、とってもつらかったです。でも、続けていくうちに、その時間に自然に起きられるようになりました。学校の陸上や合唱がある日は、6時半に家を出るので、頑張って4時半に起きて続けました」と発表されました。このように未来を担う少年部員が、日顕上人の御指南を忠実に守り、ただでさえ朝起きるのは子供だったら誰しもが辛いことですが、この少年部の子は、親御さんに言われた訳でもなく日顕上人の御指南を自分自身で志して実践されております。

 また、現在東京第二地方部鼓笛隊に入隊している私の長女も、以前はそれとなく朝夕の勤行や唱題を行っていた長女も、鼓笛隊に入隊してからは、非常に大きな声で行い勤行の太鼓も率先して叩き、昨年長男が目の手術をした時は、家内の母や伯母と共に手術が終わるまでの3時間唱題していたそうであります。

 更に、令和元年の全国少年部登山に鼓笛隊の一員として参加した後、廣妙寺様からの帰りがけに車中で登山の感想を聞くと「私もAちゃんを折伏したい、一緒に信心をしたい」と言うではありませんか。おそらく全国少年部大会に参加して、自身で思うところがあったことと思い、思わず目頭が熱くなったところであります。また、長女のそうした信心の変化によって、小学校3年生になる長男や幼稚園年長の次女も、今必死に勤行の練習を進んで行っております。

 現在、長女は朝5時に起きて朝勤行を行い、学校や塾の宿題・勉強をこなし朝食をとり8時に登校し、帰宅後は宿題をすばやく済ませ、時には友だちと遊んだり児童館に行ったりと、放課後を有意義に行動し、午後6時からの夕勤行に参加し、唱題の太鼓を叩いてくれます。月・水・金曜日は午後5時から7時半まで塾に通いますので、塾からの帰宅後、すばやく夕勤行を行い食事を取り、少々勉強をして就寝します。

 このような信心の奮起をもたらしてくれたのは、信心への深い確信と篤い情熱を持った大森康平鼓笛隊責任者をはじめとする、鼓笛隊スタッフの方々、現在、全国50チーム中、全国一を誇る48名で構成される鼓笛隊員の仲間との絆であると思います。当然、地元の友人が沢山おりますが、信心の仲間となると、退転無く信心を継続する限り一生の仲間になると思います。特に、鼓笛隊を卒隊しても東京第二地方部内、互いに青年部となり壮年・婦人部となり、総本山大石寺などでも顔を合わせたりと、広布大願という崇高かつ壮大な目標を共有する、最も大事な仲間であり続けることになると思います。

 また、大森君は鼓笛隊練習の際、「主体性」の大切さを隊員によく話しています。実際、今世間では「主体性」に欠ける子供の成長が話題になっています。つまり、型にはまった躾、日本人特有の「みんなそうしているから」と言った、自主的行動の減少、そうした子供が社会人となり、小さなことですら自分で判断できない、言われたことしかできない、環境の変化に随時対応できない、などなど、大学を卒業して立派な社会人になったとしても、そうしたことが原因となって、ドロップアウトしてしまったり、引きこもりになったりとすることがあるようです。

 しかし、私たち信仰を行じながらの人生は主体性が非常に大事であり、自主的行動が無ければ何事も無事全うすることはできません。特に折伏面においては、御法主日如上人猊下が常々、「動けば必ず智慧が湧く」と仰せのように、動きがなければ折伏は成就しませんし、始まりもしません。とにかく自分の頭で考え、それを行動に移し、実践することが基本中の基本であり、広宣流布を目指す折伏こそが、私たちの使命であり、責務であり、仏弟子としての務めであると思います。また、そこに広大無辺不可思議偉大なる功徳利益が存するのであります。

 現在、妙眞寺におきましては、第2日曜日に午後1時から若葉会御講と銘打って、現在8名ほどの小学生と乳幼児・中高生合わせて、だいたい15名前後になりますが、読経・唱題ののち、15分ほど、わかりやすい法話を行い計30分、毎月子供たちの育成に努めています。また、中高生は、その後午後2時からの御報恩御講にも参加し、御膳下げや唱題の太鼓のお手伝いをしてもらっています。

 妙眞寺支部はまだまだ、東京第二布教区の他支部に比べたら小さい支部ですが、逆にその利点を活かして、壮年・婦人・青年部の方々には綿密な連携を取り、率先垂範して自行化他の信心の範を示して頂き、こうした少年部や今後結成予定の中高生や大学生等学生諸氏には、若葉会御講の参加を通じて、少年部の子供達の模範となれるように精進してもらいたいと存じます。

  大聖人様は『乙御前御消息』に、「いよいよ強盛の御志あるべし。氷は水より出でたれども水よりもすさまじ。青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる。同じ法華経にてはをはすれども、志をかさぬれば他人よりも色まさり利生もあるべきなり」と仰せになられております。どうか、妙眞寺檀信徒の皆さまには、その意とするところをお汲み頂き、お子様お孫様への法統相続、信行の実践を勧めて頂くと共に、コロナ禍の今、この信心こそが疫病の災禍を乗り越える唯一の方途であることを再度確信し、志を立て御精進の誠を尽くして頂きたく存じます。