群馬布教区3月度広布推進会 令和5年3月15日 於勝妙寺

広布推進会 令和5年3月15日 於勝妙寺

 

皆さん今晩は。無量寺の五十嵐でございます。宗務支院長の命により、少々申し上げさせて戴きます。支院長様には、群馬教区の皆さんに、お披露目の機会を頂戴いたしまして、有り難く思っております。

一月二十七日に当地に赴任させて戴いてより、既に四十数日が経ちましたが、まだ荷もほどけない状態ですので、気の訊いた話は出来ませんが、その点よろしくお願いします。

前任地の法清寺には、元右翼の田山という人がいます。はじめに此の人の話をします。

田山さんは、約十年前に勧誡を受けました。平成三年の学会問題の時に、大石寺には右翼の街宣車が来ていたことを御存知でしょうか?此の田山さんは、街宣車で「日顯(上人)出て来い、なんまいだ、なんまいだ」と、大音量で嫌がらせをやった人です。「大石寺なら十億は取れる」と見込んでいたそうです。ところが、木刀を持って追っかけてきた人がいた。若い所化さんでした。田山さんはその時、「大石寺のお坊さんは信心がある」と思ったそうです。邪宗の神社や寺は、すぐにお金を出して止めてもらうそうですから。

幸いなことに、田山さんは別件で逮捕され、街宣活動は一日で済みました。田山さんの話では、此の時の右翼の親分が、東村山市議だった朝木さんの事件に関わっていたとのことです。此の親分は間もなく狂死したそうです。

街宣活動をした人間が次々に死んでいく。田山さんは、「次は俺の番だ」と思い、出所後は千葉県の大多喜町に住むのですが、自殺する場所を探して大多喜に たどり着いた訳です。大多喜とは、大きな多くの喜びと書きます。どうせ死ぬなら縁起のいい名前の町がいいと思ったんです。そんな彼を、法清寺の壮年の方がお寺に連れてきました。日顯上人猊下様の御指南に「どのような方であれ救いなさい」というお言葉あったからで、「こんなやくざもん連れて行って、住職に叱られるかもしれない」と思ったそうですが、田山さんはお寺のご本尊様に手を合わせ、「懐かしい所に帰った来た気がします」と、直ぐに勧誡を受けました。

 

その時の話ですが、彼が七歳、弟が五歳の時に、夫と別れた母親が生活に疲れ果て、東武池袋線の駅のホームに立っていました。心中するつもりでした。

暫く時間が経過したのでしょう、弟が、「母ちゃん、腹減ったよう。早く天国行こうよ。天国行けば腹一杯食えるんだろう?」。そう言った子供の顔をじっと見た母親は、死ぬことを諦め、もう一度生きる覚悟を決めたようです。そのような親子の様子をじっと見ていた人がいた。創価学会の方です。事情を聞いてその親子を常在寺にお連れした。当寺の御住職は後の日達上人です。 田山さんは、日達上人の膝の上で御授戒を受けたと言いますから、逃げ回ったのかもしれません。その時に、日達上人が大福を下さった。「あの大福は本当においしかった」と田山さんは話しました。

こうして創価学会に入会した母親は、内職の袋貼りでの僅かな収入で子供を養い、夜遅くまで学会活動に励む訳です。夜遅くまで母親は帰宅しない。当然お腹が空きます。 

兄弟は近所の畑から食べ物を盗むようになります。お金も欲しい。賽銭泥棒を繰り返し、食べ物を求め、 遊ぶ金に使いました。そしてその行く先はヤクザの世界だったのです。

中学三年の時にヤクザの親分にスカウトされ、悪事を繰り返しながら、最後の悪巧みが右翼の街宣車に乗り、大石寺を恐喝することでした。

本宗に再入信して、彼の胸の内では、大石寺恐喝の深い後悔でした。当時から彼は生活保護を受けておりましたが、その中から少しずつお金を貯めて、漸く十万円貯めました。その十万円を持って彼は「御住職。日顯上人猊下様にお詫びの手紙を書きました。このお金では足りないでしょうが、御供養申し上げたい」というので、ある方を介して日顯上人猊下様にそれを届けました

すると、日顯上人猊下様から、私の処にお手紙が届きました。田山さん宛のお手紙です。そのお手紙を持参して田山さんの自宅を訪問すると、彼は腹が減って動けず、布団で寝てました。私は「寝たままでいいから、よく聞きなさい。日顯上人猊下様から御返事を戴いたよ。どうせ読めないだろうから、読んでやるから」。

その手紙を聞きながら、田山さんは子供のように泣きじゃくる。「有り難いなあ、ああ有り難い」。「心が軽くなりました」と。そのお手紙には、「貴方の手紙を読み、言い知れぬ大きな感動を得ました。街宣車の件は私は何とも思っていない。御本尊様に御縁が出来て本当に嬉しく思います」という、御慈愛溢れるお許しのお手紙でした。

田山さんは発憤して、沢山の人を折伏しました。彼の関係者は同業者が多いのですが、皆素直な方で、縁が無かったんだなあとつくづく思います。その中の一人は、肝硬変で亡くなりましたが、死の床で田山さんに、「兄貴、俺は布団の上では死ねないと思っていた。有り難う。」と言って、息を引き取りました。

田山さんが近所を折伏すると、「生活保護で無くなったら入信する」とか、「ヤクザもんが何を言うか」とか言われます。悔しいだろうけど、「ヤクザもんでも更生できる信心なんだ」と、胸を張って折伏しなさいと励ましました。窓を開けて勤行しますから、「拝みや」とか、最近では「教祖様」と言われているそうです。

私の桐生転任が決まると、彼は呆然として私を見つめ、まるで私の姿を脳裏に焼き付けるように私を見つめ、その目には涙を溜めていました。晴れの日に泣いては後任の住職に悪いと思ったのだと思います。

話は変わりますが、「人間の心理効果の一つに『カラーバス効果』と呼ばれるものがあります。これは「自分が意識している情報が自然と目に飛び込んでくる」という現象のことを指します。

皆さんが、本屋さんで本を探す時、探してる本が意外に簡単に見つけることが出来るのは、『カラーバス効果』と言えるかもしれません。 

また、子供ができた人が、子供関連の情報がどんどん目に入ってくるようになるはずです。これは、それまでその存在に意識を向けていなかったためにスルーしていた情報が目に留まるようになったために起こる現象です。人間は、自分にとって興味のないものは、視界に入っても情報として受け取りません。 逆に、関心のあるものだけを受け取る仕組みになっています。

つまり、自分の興味関心というフィルターを通して世の中を見て情報を処理しているわけです。きっと全ての情報を平等に処理していてはキリがないので、その人にとって重要な情報だけをピックアップして処理するようになっているのだと思います。

物を見る意識が変わることで、『カラーバス効果』が発動し、全く違った世界が見えるようになるのですから、自分が何を意識するかどうかで世界が変わるということです。

不幸や怒りや恐ればかりを意識していれば、それに関連した世界が……幸せや喜びや成功ばかり意識していれば、それに関連した世界が……目の前に広がっていくことなるというわけです。何に意識を向けるか? ── それによって見えてくる世界は変わるのであります。

冒頭に申し上げた、田山さん親子ですが、創価学会の方が此の親子をじっと見ていたんですね。折伏しようという意識があるから、じっと見ていたと思います。ですから、私たちの意識も、常に折伏の対象を見つける意識を持つことが大事だと思います。

此の推進会に出席される方は、皆さん、折伏の意識の高い方々だと思います。皆さんのような意識を持つ方が支部内に広がれば、更に支部内の折伏意識が高まるはずです。意識が高まれば、今まで見過ごしていたこと、聞き流した情報等々が、しっかりと意識に刻まれるのです。

 折伏しようという意識をさらに高め、『カラーバス効果』が常に発動するような活動をお互いに心がけて参りましょう。

 御静聴有り難うございました。