時 を 鑑 み て

 本年、総本山大石寺にて宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山が行われ、妙眞寺にては昭和8年12月8日に妙眞寺の前身たる信行閣として開堂して以来、創立九十周年・法華講結成七十五周年の節目を迎えました。

 この時を鑑み、当妙眞寺が正信会僧侶による不法占拠から日蓮正宗に復帰し、不肖、私が住職として赴任させて頂いた平成22年7月21日より今日に至るまで、間もなく13年の歳月が経過いたしますが、平成元年3月28日、私が御先師日顕上人を師匠として出家得度して、33年の歳月が経過した本年、今更ながらとある事に気づきましたので少々申し上げます。

 さかのぼること46年前の昭和52年4月8日、あと5日で33歳の誕生日を迎える父、平山憲廣(憲廣房日明大徳)が32歳にて逝去いたしました。それから33年後の平成22年、丁度33歳となった私が御法主日如上人猊下の御慈命を受け、妙眞寺住職として赴任いたすことになり、その年は奇しくも妙眞寺初代住職・一如阿闍梨廣生房日弘大徳(平山廣生)の第33回忌の年でありました。この〝33〟という数字が何を意味するのかは、凡眼凡智にては決して計り知ることはできませんが、少なくとも32歳で亡くなった父が、忝くも総本山第六十六世日達上人の大導師により妙眞寺より霊山へと旅立ち、その33年後に妙眞寺が正信会より宗門に返還され、33歳となった私がこの妙眞寺に赴任することになったことは、時の然らしむるものとはいえ、誠に不可思議な因縁による時の巡り合わせに、ただただ驚嘆するばかりであります。

 然るに、大聖人様は『撰時抄』に、「夫(それ)仏法を学せん法は必ず先(ま)づ時をならうべし。(中略)彼の時鳥(ほととぎす)は春ををくり、鶏鳥(にわとり)は暁をまつ。畜生すらなをかくのごとし。何(いか)に況(いわ)んや、仏法を修行せんに時を糾(ただ)さざるべしや」と仰せのように、この〝時〟の意味するところ、その大事をよくよく観じることがいかに肝心なことであるかを拝し、またその因縁宿習をも拝することも大事大切なことであります。そうした時の流れのなか、宿世の因縁という言葉がありますように、私たちは日頃から過去世よりの因果の法則に従って現当二世に亘る果報を受けるのであり、その因縁宿習を決して軽々しく考えてはならないのであります。

 総本山第五十七世日正上人は、「何事も おのが因果の報いぞと 思う心が仏なりけり」とお詠みになられています。要するに、善きにしろ悪しきにしろ、何事も自らの因縁によって然るべき果報を招き受けるということであり、喜びも悲しみも苦しみも楽しみも、私たちの因縁宿習によるものと達観し、お題目を唱えつつ、より高い境界から事々物々を鑑みて頂くことが至極肝要であります。ややもすれば、私たちはあくまでも末代の凡夫でありますから、いかに日蓮正宗の僧俗とはいえ、三毒煩悩によりその身を汚せば、三悪道四悪趣の境界に堕し、六道輪廻の命を徘徊、彷徨うようなこととなってしまいます。

 よって、『開目抄』に、「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし」との御教示をよくよく肝に銘じて頂きたく存じます。

 そして、常精進の志高く、悪報の縁由たる無始已来の罪障を消滅して宿業打開し、来たるべき未来の果報を清浄にして崇高なるものへと変じていく為にも、浄心信敬して師子勇猛なる信行の実践に励むことが大事であり、その為には仏教の根本的指針が包含される『七仏通誡偈』の「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」の偈文をよくよく心に刻み、「木を見て森を見ず」といった、境界低くして視野の狭い境涯に陥ることがないよう、常に境界高く幅広い視野を広げつつ、物事の因縁と道理を達観することがいかに大事な心掛けであるかを考えた時、弛まざる唱題行の実践と不惜身命の精神を以て日々精進することが重要であります。そして、日顕上人が「題目の深さ広さを知りゆけば 次第にぞ増す自他の行業」とお詠みになられているように、より深く、より広くお題目の尊さと深意を拝して頂きたいと存じます。

 総本山第五十六世日応上人は、「荀子(じゆんし)と云う書の中に「短粳(たんこう)以て深井(じんせい)の泉を汲むべからず」という語がある。此の意は至って深き井戸が有って、外より之れを臨き見れば余りに深き故に、下に水の有るか無かは認めることがならぬ。そこで釣瓶(つるべ)を下ろして水を求むるに猶(なお)水あるを知らず、依って此の井戸には水無しと思ひけり。然るに此の井戸に水の無ひのではなく沢山に清涼(しようりよう)の水は有れども、井戸が深ひので我が目の及ばぬと、釣瓶の短くして水迄届かぬとに由って、井戸に水なく枯渇(かわい)たりと思ふたのは、畢竟(ひつきよう)我力の及ばぬからの事であると云ことを述べた語である。さて此の大法の信仰も亦(また)斯(かく)の如く、自己の信心の目の及ばぬと修行のつるべの短いので、境妙たる御本尊の清井(せいせい)の智水を汲む事が出来ぬことを知らずして、此の井戸に御利益の清水が無いと思ふたのである」とお言葉であります。

 これは、深い井戸に清水があるだろうと釣瓶を下ろして水を汲もうとするけれども、あまりに深くて釣瓶が届かないから、この井戸の底にはもう水が無いと思うけれども、実は自分の目で見ることができないことと、釣瓶が短いことによるもので、深い井戸の底には満々と清水が満ちている。これと同じように、信心も釣瓶の修行と信心の確信が無ければ、御本尊様から頂く功徳利益を得ることはできないのであり、決して諦めない、疑わない信行の実践が大事だと仰せになられています。

 更に御法主日如上人猊下は、「唱題の功徳によって、たくましい力と知恵と勇気が湧いてくるのであります。そして私達の発する確信ある一言一言が、必ず相手の心を大きく動かすことになるのであります」と御指南であります。

 故に大聖人様が『法華初心成仏抄』に、「一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり。我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり。譬へば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給ふは此の心なり。されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏になり給ひしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云ふは是なり。是等の趣を能く能く心得て、仏になる道には我慢偏執の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり」と仰せになられ、『米穀御書』には、「仏種は縁に従って起こる、是の故に一乗を説くなるべし」との御金言をよくよく拝すべきであると存じます。

 また、御法主日如上人猊下は、「法華経法師品には、滅後(釈尊滅後)における弘教の方軌として「衣座室の三軌」が説かれています。すなわち、「如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし」との仰せであります。この衣座室の三軌について要約して申せば、「如来の室に入る」とは、大慈悲の心を起こすこと。すなわち、自らの命の中に衆生救済の慈悲の心を起こすことであります。「如来の衣を著る」とは、柔和忍辱の衣を着ること。すなわち、柔和とは素直な心で正法を受け持つことであり、忍辱とはいかなる侮辱・迫害・諸難にも堪え忍ぶこと、つまり世間のいかなる悪口・罵詈・批判・中傷に対しても一切、動揺せず、いかなる逆境でも乗り切っていくことであります。「如来の座に坐す」とは、悠然として一切の煩悩に執われず、一切の執着に執われず、大聖人の教えを弘通することであり、まさしくそれは不自借身命そのものの修行であります。よって、我らは仏の使いとして、この弘教の三軌を心得て折伏に励むところに、自行の功徳と化他の功徳を具え、最も価値のある一生を過ごすことができるのであります」と仰せになられております。

 されば今、この時を鑑み、私たちは「努力・忍耐・継続」の三つを固く持ち心得て、まずは自らの仏性を開かしめて尊い慈悲の境界に立ち、憂国の志士仁人となり、特に折伏については口ばかり言葉ばかりではなく、身口意三業の全て、全身全霊をもって広布大願に向かって折伏の機会を自らに呼び込むことができるよう、全魂を込めて自行化他に亘るお題目を唱え尽くし、御本尊様を通じてありとあらゆる仏縁深き人々に縁して教化成就し、大聖人様の御恩徳に報いることができるよう、いよいよの御精進を心より念願いたします。