唱題の大事~御師範日顕上人の御句歌を拝して~

 平安末期から鎌倉時代初期、保元の乱や平治の乱といった内乱や数々の疫病、元暦の大地震や地震に伴う大津波、大風、大火といった災害、養和の大飢饉といった三災七難の災禍、更に平氏の衰亡と日本史上初の武家政権として鎌倉幕府が成立するなど、末法の時代になり末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様御聖誕7年前の1215年に亡くなり、正に令和の今日のような激動の時代を生きた、歌人・随筆家の鴨長明(かものちようめい)は、西暦1212年に著(しる)した『方丈記(ほうじようき)』に、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」と記(しる)しております。

 その意味を拝すると、「流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいてもとの水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は、一方では消え一方ではできたりして、長い間とどまっている例はない。この世に生きている人と住む場所とは、またこのようである」とのことであります。

 その意とするところは、当時の世相に憂い、世の中の無常遷滅を示すものであり、その直後に常住不変なる法華経本門寿量品文底秘沈の大法として、大聖人様が三大秘法の御教えをお説き遊ばされた時の次第を拝するに当たり、今こそ大聖人様の正法正義を顕揚していかなければならないと深く拝するものであります。

 この時に当たり、御先師日顕上人の御句謌集である『恩潤』より、日顕上人の句歌を拝して参りたいと存じます。

 宗祖もと 忍びたまいつ 我らまた 忍びてゆかむ 末世弘法を
                      昭和55年11月16日の詠

と日顕上人はお詠み遊ばされております。

 私たちは今こそ、現今の時代情勢を鑑みつつ、如何なる障魔が恐おうとも、あらゆる障礙にその行く手を遮られようとも、努力忍耐を惜しまず苦難を乗り越え、悪世末法における大法広布を深く祈り切り、勇猛果敢に折伏行を実践していくべきであり、そこにまた更なる私たちの幸福への道が開けてくるのであります。

 その基本となるのが唱題行であり、『一如』6月号にも御紹介しましたが、深く呼吸を整え全身全霊を持ってお題目を唱えることにより、御本尊様からの御仏智を賜ることはもとより、自ずと身心に歓喜が生じて安楽な状態になります。これは仏法としても、科学的にも証明されるところであり、歓喜、楽しみ、喜び無き唱題行は真の唱題行とは言えないと存じます。ただ漠然とお題目を唱えるのでは無く、真剣に広布を祈り、世間の平和安穏、正法広布を心に刻みお題目を唱えることのできる境涯になり、さらに歓喜と勇気を持って自行化他に亘るお題目をしっかりと一遍一遍唱えて行くことが肝要であります。

 かの北原白秋氏は、御尊父である北原長太郎氏が、六年間に亘り決して怠ることなく毎日の勤行と一万遍の唱題によって、ほぼ盲目の状態であった我が眼を見事開かしめたことを拝して、長歌『信心』と題し、

「わが父は信心の翁(おきな)、み目ざめはあかつき闇、口嗽(くちそそ)ぎただち拜み、珠數(じゆず)かぞへ南無妙法蓮華經、かがなべて朝(あした)に五千、午(ひる)過ぎて夕かけて三千、湯を浴(あ)み、御燈明(みあかし)點(つ)け、殘りの二千、一萬遍唱へつづけて、眞(ま)正(ただ)しくひと日もおちず、國のとめ、祖先(みおや)のため、その子らがため、わけても子らの子がため、ただ唱へ南無妙法蓮華經、いとほしと口には宣(の)らね、嚴(いつ)かしさまたただならぬ、ひたぶるのこの親ごころ、その子我(われ)、仰ぎまつりて泣かざらめやも」

と詠まれております。かくして、六年の歳月を経たある日の朝勤行、初座、東天に向かい朝日の光をまぶしく感じて、医師の診断を受けたところ、両眼の視力が奇跡的に回復したということであります。この不可思議偉大なるお題目の功徳力によって盲目を開かしめるという、御本尊様からの驚くべき有り難き現証を目の当たりにした白秋氏も入信を決意し、昭和十年正月二日に総本山大石寺へ登山参詣されております。

 日顕上人の御歌に、

 過ぎし時 来たる月日も 楽しけれ 御法(みのり)のために 尽(つく)す身なれば
平成17年12月の詠

とお詠み遊ばされております。

 心理学者で千葉大学・一川誠教授は、時間には「時計の時間」と「心の時間」という性質の違う二つの時間があることを述べられており、時計の時間は、いわゆる世界中で定められている、1日・24時間・1440分を刻むものであり、心の時間とは、私たちが体感している時間を言います。わかりやすく言うと、心の時間は、「その人がそのときに行っていることをどう感じているかによって、進み方が変わる」というものであり、楽しいことをしている時は時間がたつのが速く、たいくつな時、つまらない時、集中できていない時は、時間がなかなか進まないように感じるということであります。また、朝晩は昼よりも時間が短く感じるようであります。つまり、朝晩は体の動きが鈍くなり、同じことを昼に行うよりも多くの時間を費やすことになり、時間が速く進んでいるように感じるのであります。要するに、「心の時間」とは、心や体の状態、身の回りの環境によって、進み方がまったく異なるということであります。

 さて、皆さんどうでしょう。唱題を行っていて、瞬く間に時間が過ぎていたり、いなかったりと感じたことはありませんか。やはり、唱題行は集中して真剣に行じ、時間をも忘れるような姿でなければならないと存じます。それこそ、お唱題を唱え、折伏に奔走し、心から楽しく有意義な時間を過ごさせて頂いたと感じるような姿こそが、私たちに求められる、日蓮正宗の僧俗としての信行実践の姿ではないでしょうか。

 日顕上人は、この唱題について数々の御歌を詠まれています。その御歌を列挙いたしますと、平成15年正月に、

 唱題は 何のためぞと 人問はば 無量の徳ぞ 現当のため
 唱題は 下種の 即身成仏と 聞きて命の奧ぞ 尊き
 唱題は 最上にして 最善の 心と身との 鍛へなりけり
 真実の 御法(みのり)をかたく 信じつヽ いざ打ち込まん 折伏の行
平成15年 新年の辞

とお詠み遊ばされ、その他にも唱題に対する御歌として、

 唱題の 練熟心地(しんち) いさぎよし 法界の楽 茲(ここ)にきわまる
 法界に 恐れなきかな 妙法の 不惜身命 進み勧めん
 題目を 常に唱へて 法界に 淨化行ぜん 尽未来際
 他を救い 吾が身をすくう 妙法を 唱へて行かん 未来永劫

とお詠み遊ばされております。

 このような日顕上人の御歌を拝し奉り、未来永劫末法尽未来際に亘り、自他共の幸せを願い、宇宙法界森羅万象すべての物事が、因縁宿習のもと有為転変し、御本仏様が御照覧遊ばされつつも、御本仏様の御意が反映されているものと達観して頂きたく存じます。

 そして、私たち日蓮正宗の僧俗が今こそ不惜身命の決意改たに、世情に感化され一喜一憂すること無く、常に尊い御仏智を賜ることができるよう、この信心こそが物事のすべてを変える唯一無二の方途であることを確信し、人を不幸に陥れるべき、邪義邪宗蔓延(はびこ)る末法の今日、その害毒や三毒煩悩にその身心を犯され、苦悩に喘ぐ世の中の人びとを救うべく、いかなる悪鬼魔神の障礙が競い起ころうとも、決して怖じることなく、この世の中を浄化矯正するために自分自身の存在が今あることを感じつつ、御法主日如上人猊下の驥尾に付し、その御指南を肝に銘じて、今成すべき大事を成就し、更なる安楽な境涯を築いて頂きたいと心より念願いたします。