宗祖日蓮大聖人御聖誕の地を訪ねて

 今回、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の掉尾に当たり、大聖人様を偲び奉るべく御聖誕の地とされる千葉県鴨川市小湊周辺を散策致しました。現在、過去の大地震や津波によって海中に沈み、学術的にもその地の特定が困難になっておりますが、大聖人様の諸御書を拝するに鯛の浦周辺の内浦湾の海底に沈んでいることであろうと拝し、その近隣の地を散策した次第であります。以下、日蓮正宗宗務院によって編集された『日蓮大聖人正伝改訂版』に、大聖人様の出生の記述を記します。

清澄寺山頂より旭日を望む

 ① 旃陀羅が子

 陽光うららかに照り、潮風さわやかに吹き渡る貞応元年(1222年)2月16日午(正午)の刻、日本安房国(千葉)東条郷片海の海辺にひとりの聖児が誕生した。父の名を三国大夫(貫名次郎)重忠、母の名を梅菊女という。この聖児が誕生した時には、地から清水が湧き出て、青蓮華が開くという奇瑞が現じた。幼名を善日麿と名づけなれたこの聖児の誕生こそ、法華経の行者日蓮大聖人が閻浮提の民衆を救済すべく、日本に出現された意義深き一瞬であった。当時の2月16日は現行の太陽暦に換算すると4月6日であり、温暖の地安房片海は草木萌え出ずる春たけなわの季節であった。
 大聖人出生の家柄は、父の重忠も、母の梅菊女も、もとは名のある家の出であったようであるが、大聖人御誕生の時には、当時の封建社会ではもっとも地位の低い階級とされる漁夫であった。大聖人は、この漁夫の子として誕生されたが、御自身の出生を、仏法上の意義を踏まえて、後年次のように仰せられている。『佐渡御書』に「日蓮今生には貧窮下賤の者と生まれ旃陀羅が家より出でたり」(新編580頁)、『善無畏三蔵抄』には「日蓮は安房国東条片海の石中の賤民が子なり」(新編438頁)、『中興入道消息』には「日蓮は中国・都の者にもあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず、遠国の者、民が子にて候」(新編1431頁)、『妙法比丘尼御返事』には、「民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり」(新編1258頁)と、大聖人は自ら「旃陀羅が家」「賎民が子」「民が子」と仰せられている。「旃陀羅」とは、梵語でチャンダーラと言い、屠者・殺者等と訳し、猟師とか漁夫など、生き物を弑すことを職業とする屠殺者の名称である。古代インドにおいては、仏教の不殺生の戒律に背く職業として、もっとも低い身分・階層とされていた。大聖人はこのようなもっとも身分の低い階層より出生されたのである。
 かの釈尊は、中インド・迦毘羅衛国の城主浄飯王の太子として出生されたが、これは脱益の化導、すなわちすでに機根が熟している衆生を導く仏として、国王の子となって誕生されたのである。それは種姓の尊貴を示して、民衆に信じ易からしめるためであった。それと同じく、脱益仏法の偉大な伝灯者である竜樹・天親等の大論師も、その種姓はインドの四姓(ヵースト)のうちで最高位である婆羅門階級であった。また、中国の天台大師や、日本の伝教大師も社会的に高貴な家柄より出生している。さらに、当時の日本仏教の派祖をみても、法然は地方豪族の子であり、栄西は神官の家より出で、親鸞・道元等もそれぞれ貴族の出身であった。大聖人が、こうした在世や正像二千年の仏・菩薩・論師・人師と異なる民衆階層より出生されたことについて、二つの理由が挙げられる。
 第一の理由として、「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり」(新編1779頁)と示されるように、大聖人は末法の本未有善・三毒強盛の衆生を下種の妙法をもって救済するために、示同凡夫の御本仏として出現されたということである。
 第二の理由は、釈尊の予言である。法華経神力品の中に、「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅す」(新編開結516頁)と説かれており、末法出現の仏は、宇宙法界の尊極の法を一身に所持し、あたかも、太陽の光が闇を滅し、一切を養育するように、末法悪世の衆生を済度することを示されているのである。そして、この経文に説かれる「斯の人」こそ「世間に行ずる」仏であり、凡夫の姿をした仏であることの意味がうかがわれる。まさしく、これは大聖人を予証されたものであり、法華経勧持品にも「悪口罵詈等 及加刀杖の難」「軽賤誹謗」「数々見擯出」等と、末法における法華経弘通の難を示されている。もしも、法華経の行者として、これらの難を受ける人が出なければ、釈尊出世の本懐たる法華経は、すべて虚妄の言葉となる。
 仏教の歴史の中で釈尊滅後二千余年の間、日蓮大聖人こそ、この経文を身読なされた空前絶後ただ一人のおかたであり、大聖人によって、法華経が真実であり、宇宙法界を貫く大真理であることが証明されたのである。大聖人の御一生が、法華経弘通による法難の連続であったことからも、大聖人こそ真実の法華経の行者であることの証明がなされたといえよう。
 『開目抄』に「其の上下賤、其の上貧道の身なり」(新編538頁)と仰せられている。もしも、大聖人が帝王・貴族などの種姓に誕生されたならば、その家柄の尊貴により、身命に及ぶほどの四ヵ度の大難は起こらなかったであろう。下賤の家に生まれればこそ、重畳する大難をも忍ばれ、法華経の予言を真に実証することができたのである。
 大聖人が旃陀羅が子として出生されたことは、これらの深い意義をもっているのであって、決して単なる偶然でもなく、また賎民だからといって恥ずべきことでもなかったのである。

 ② 瑞 相

 大聖人の御誕生には、種々の不思議な瑞相があった。後年、大聖人の口伝法門を第二祖日興上人が筆録された『産湯相承事』は、大聖人の御誕生を知るうえに、欠くことのできない重要な相伝書である。その中に、両親が不思議な夢をみたことが記されている。
 まず、大聖人を懐妊された時、母君の夢は、「有る夜の霊夢に曰はく、叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗ひ、富士の山より日輪の出でたまふを懐き奉る」(新編1708頁)というのもであり、父君の夢は、「虚空蔵菩薩貌吉児を御肩に立て給ふ。此の少人我が為には上行菩提薩埵なり。日の下の人の為には生財摩訶薩埵なり。亦一切有情の為には行く末三世常恒の大導師なり。是を汝に与へんとの給ふ」(新編1708頁)という夢であった。両親のこの霊夢は、その荘厳さといい、広大さといい、まさに法界自受用の仏の御出現を暗示する吉瑞であった。
 釈尊の託胎の時、母摩耶夫人の霊夢について、大聖人がのちに「摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給ふ。かるがゆへに仏のわらわなをば日種という」(新編862頁)と仰せられていることからも、大聖人と釈尊との霊夢がよく似ていることがわかる。また、大聖人御誕生の時の母君の霊夢について、「又産生たまふべき夜の夢に、富士山の頂に登りて十方を見るに、明らかなる事掌の内を見るが如く三世明白なり。梵天・帝釈・四大天王等の諸天悉く来下して、本地自受用報身如来の垂迹上行菩薩の御身を凡夫地に謙下したまふ。御誕生は唯今なり」(新編878頁)と述べられている。そして、この時、竜神王が一本の青蓮華を持ち来たると、この青蓮華の花が開き、そこから清水が湧き出したのである。そこで、この清水をもって産湯をつかわれ、余った清水を四方へ濯ぐと、あたり一面は金色に輝き、まわりの草や木も一斉に花が咲き菓がなったのである。また多くの人達が共々に白い蓮華を手に捧げ、日に向かって、「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 唯我一人 能為救護」(今此の三界は皆是れ我が有なり 其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり 唯我一人のみ 能く救護を為す)と唱え奉る夢を御覧になったという。
 まことにもって末法の本仏の御誕生にふさわしい、清浄にして荘厳な霊夢であった。また伝説によれば、宗祖御誕生のとき砂浜から清水が渾々と湧き出て、御誕生の数日前より、海上には忽然として青蓮華が生じ、あざやかな花を咲かせたといわれる。いまも小湊の磯には「蓮華ヶ淵」の名称を留めている。また、御誕生の日、庭の池に蓮華が開き、海中より巨鯛が飛び跳ねて御誕生を祝ったと伝えられている。現在でも「鯛の浦」には、巨大な鯛が生息しているが、本来深海に棲む鯛が、岸辺の表層にいることは不思議な現象である。さらに不思議なことは、生死の因縁ともいうべく、インドの釈尊が2月15日に入滅し、日本の大聖人が2月16日に御誕生されたことである。こうした数々の不思議な因縁と現証は、御本仏出現を賛嘆渇仰する大法界のあらわれと見ることができる。末法の仏としての大聖人の御誕生に、山川草木十方法界の仏性が、ことごとく房州片海の地に向かって、歓喜の瑞相を示したのである。

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 ③ 片 海

 御誕生の地について『本尊問答抄』に、「日蓮は東海道十五箇国の内、第十二に相当たる安房国長狭郡東条郷片海の海人が子なり」(新編1279頁)と示されるように、大聖人は安房国長狭郡東条郷片海で誕生された。従来、「片海」は、海辺の一般的な名称、また小湊区内の一地名と考えられ、一般的に大聖人生誕の地は「小湊」であるとされてきた。しかし、大聖人は『新尼御前御返事』に、「かたうみ・いちかは・こみなとの磯」(新編765頁)と、片海を市川や小湊と並べて示されており、また地元に伝わる地方文書にも小湊や市川のほかに片海の存在が確認されていることから、片海は小湊と併存する別の地名・集落名であったと考えられる。この片海の地は近世まで存在していたが、時代の移り変わりの中で地名は失われてしまい、残念ながら現在では正確な場所を特定することはできない。しかしながら、かつて片海が房総半島の南部に位置する内浦湾(千葉県鴨川市)に存在した漁村の地名であることは事実であり、そこに大聖人が誕生されたと見るべきであろう。内浦湾周辺の地は、眼前に太平洋の大海原を眺望し、背には幽邃な清澄山系をひかえ、温暖にして風光明媚なところであり、まさに一切衆生を救う聖者の誕生するにふさわしい景観をそなえた勝地である。