感 謝 の 心

 日頃、私達は、何かとお世話になった人に対して、感謝の念を持ち、御礼の言葉を言ったり、あるいは様々な形で感謝の気持ちを表すことと思います。またそうした知恩・報恩、すなわち恩を知り恩に報いる心を持つことは、人として非常に大切であります。
 仏教でも、報恩の心、恩に報いることの大切さが説かれています。日蓮大聖人様は、
「夫(それ)老狐(ろうこ)は塚をあとにせず、白(はく)亀(き)は毛宝(もうほう)が恩を報(ほう)ず。畜生(ちくしょう)すらかくのごとし、いわうや人倫(じんりん)をや」(御書九九九)
と仰せになられています。
 これは、狐が生まれた古塚を決して忘れることなく、年老いて死ぬ時も必ず首を古塚に向けるといわれること、また中国南北朝時代の晋代の武将・毛宝が、窮地に追い込まれ河岸に逃れた時、少年時代に助けた白い亀が現れて、毛宝を対岸まで運び助けたという中国の「晋書毛宝伝」に伝わる説話を挙げられ、いずれも狐や亀といった畜生であっても、恩を知り、その恩を報ずることを忘れないということを言われているのであり、ましてや私達人間が報恩の心を忘れてはならないと戒められているのです。
 私達は、自分の父や母に対して恩を報ずること、すなわち親孝行ということを、誰しもが一度は考えるべきではないでしょうか。
 何故、自分を産み育ててくれた両親に対し、孝行していかなければならないのでしょうか。仏教では、私達が人として生を受けることがどれだけ難しく、また尊いことであるのか説かれています。故に私達は両親に対し、恩を感じ、親孝行の誠を尽くすことが大事であるというのです。
 昨今の世情を察しますと、毎日のようにテレビや新聞などで悲惨な事件が報道されています。道義の退廃により、恩を報ずるというよりも、むしろ恩を怨で返す、というような現状ではないでしょうか。そうした不知恩・不道徳の人々が引き起こす事件は、世の中をより暗く悲惨なものにしています。
 更にまた、そうした不幸や災難がいつ自分の身に降りかかるかわからないのも人生であり、そうした毎日の生活を仏教では、過去からの因縁として説かれています。つまり私達の生命は、過去・現在・未来の三世を貫き、宿業といって、過去世や今生で積んだ行業の結果が、これから先の未来の人生を左右するのです。ですから私達は、仏様が説かれた道義に則り、本来あるべき姿を毎日の生活の中で、真剣に行じていくことが大切です。
 知恩・報恩の心を決して絶やすことなく、私達はあらゆること、あらゆる人に対して、常に感謝の念を持ち、恩に報いる人生を築き上げ、人として、まっとうで尊い生き方ができるような人格を形成し、最近、暗い話題でもちきりの日本の未来を、少しでも明るく、清らかな国になるように変えていかなければなりません。それこそが日蓮大聖人様が説かれた「立正安国」の教えであります。
 日蓮大聖人様の尊い教えを学びに、日蓮正宗の寺院をお訪ね下さい。