一妙麿~いちみょうまろ~ (平成28年9月)

今日は、日蓮大聖人様がお手紙として書かれた南条殿御返事(なんじょうどのごへんじ)という御書にのっている、一妙麿のお話です。 

 

一妙麿は、大橋貞経(おおはしさだつね)という人の子供の時の名前です。

一妙麿は九州で生まれました。
お父さんは大橋太朗左衛門尉(おおはしたろうざえもんのじょう)といい、平清盛の家来です。

お父さんは、筑後、筑前、肥後という九州の広大な国の国主でしたが、源氏と平家の戦いで平家が負け、源頼朝につかまって鎌倉につれていかれ、土牢に12年間もとじこめられてしまったのです。

一妙麿は、お父さんがつかまって、しばらくして生まれたので、お父さんのことはなにも知りませんでした。

 

一妙麿はお母さんとしばらく2人でくらして、7才の時に山寺に登って修行することになりました。

ところが、友だちから「父なし子」と笑われ、ばかにされたため、それがくやしくてお母さんにお父さんのことを聞きました。

 

お母さんは「お父さんは大橋太郎という立派な武士です。いくさにやぶれたため、敵につかまり鎌倉につれていかれましたけれど、今生きているか亡くなっているかはわかりません」と話しました。

そして、かたみの書物、日記などを見せてくれました。

 

一妙麿は、お父さん恋しさに、お母さんが信じていた法華経を暗記して、一生懸命お父さんの無事を祈りました。

しかし、どうしてもお父さんにあいたくなって、いてもたってもいられなくなり、12才の時、九州から鎌倉まで、1人で歩いてお父さんをさがしに行きました。

 

 

鎌倉についてから一妙麿は、八幡宮の前に出ました。

ここでひざまずき、手を合わせて、八幡菩薩(やはたぼさつ)(もとのお姿は法華経を説かれたお釈迦さま)に、
「どうか私の願いをかなえてください。お父さんがごぶじで見つかりますように」と、何時間も一心に澄んだ声で法華経のお経を唱えました。

 

この声を聞いて集まってきた人のなかに、二位殿(にいどの)(源頼朝の妻・北条政子)がおり、将軍の屋敷のお堂でお経を唱えるようにいいました。

 

一妙麿がお堂でお経を唱えていると、庭のあたりかがさわがしくなりました。

聞けば、12年間とらえられて土牢に入れられている大橋太郎という人が、首を切られるというのです。

〝お父さんが殺されちゃう〟、一妙麿はどうしていいかわからず、大声で泣き叫びました。

そこへ通りかかった将軍・源頼朝が、どうしたのかと一妙麿に聞き出すと、
「首を切られるのは私のお父さんです。どうかお父さんを助けてください」と声をかぎりにお願いしました。

じっとそのようすを見ていた将軍は、親を思う子の気持ちをくんで、大橋太郎の命を助けることにしたのでした。

 

処刑場の由比ヶ浜に早馬が走り、刑場では、いままさに首を切られんと刃を振り上げるところでしたが、間一髪で助かったのです。

 

命びろいした大橋太郎は、1人の少年によって助けられたことを知りました。
そしてその少年は、つかまった時、妻のお腹の中にいた、12年間会いたい会いたいと願ってきた我が子であることを知ったのです。

 

将軍・源頼朝は、「この子はおまえの子供である。おまえは敵の大将として、首を切らないで12年間土牢に入れて苦しめたが、この子が法華経を行ずるその尊い姿によって、おまえをゆるすことにしよう。法華経はありがたい教えである。自分も法華経によって親のかたきをとることができた。いまこの子が父親を助けたのは、まことに法華経の功徳(くどく)である。まことに不思議でありがたいものだ」と言いました。

 

法華経というお経は、お釈迦さまが説かれた教えの中でも一番尊く、世の中のすべての人を幸せにするお経典です。

日蓮大聖人様は、お釈迦さまの一番大事な法華経の教えを私たちがわかりやすく修行できるように、御本尊様としてあらわして下さいました。

そして、「お父さん、お母さんを大事に大切に思う人は、毎日勤行をしましょう」と教えられています。

 

私たちは、まずこの御本尊様にお題目を唱えて、家族そろって幸せになっていくことが大切です。

一妙麿は、当時において一番正しかった法華経を信じ修行して、お父さんの命を助けることができました。

皆さんも幸せになり、御本尊様のすばらしさを知らない人たち、学校の先生やお友達に知らせていきましょうね。