これからの人生(平成31年2月)

妙眞寺の山門前にある梅の木も少しずつ花が咲き始め、寒い冬から暖かな春へと時は流れていきます。
そして、桜の花が咲くころになると、出会いと別れ、新たな出発の季節を迎えます。

特に、4月になり幼稚園に入園、進級する子、小中学校に入学、進級する子、高校へと進学する子がいると思いますが、今は楽しみと多少の不安があると思います。

ですので、それぞれの場所で勉強やスポーツ、そして信心修行に努力していきましょう。

人は努力した分だけ、結果は必ず返ってきます。
ましてや、信心修行の努力は、真剣に努力していくと、それが2倍3倍になって返ってくることもあります。

このようなことを仏教では因果応報(いんがおうほう)といいます。

 

因果とは、原因と結果のことをいいます。

原因とは物事が起こる元をいい、結果とは物事の結末をいいます。
応報とは、因に相応する報いがあることをいいます。
つまり、悪い因には悪い果報があり、善い因には善い果報があるということです。
これを善因善果、悪因悪果ともいいます。

皆さんは、これから勉強や部活動、進学受験等にて越えなければならない山はたくさんあると思います。
それを乗り越えるためには、ただ努力していくのみです。
お題目をたくさん唱え、頑張っていきましょう。

 

さて、私たちが勤行で読む、法華経の方便品第二には、十如是(じゅうにょぜ)が説かれています。
この十如是を1人ひとりにあてはめてみますと、

①如是相(にょぜそう)…自分の顔に表れる相、

②如是性(にょぜそう)…自分の性格、心の内面、

③如是体(にょぜたい)…自分自身の肉体、体の働き

④如是力(にょぜりき)…自分自身に備わっている力

⑤如是作(にょぜさ)…自分自身に備わっている力が、他に向かって作用を及ぼすこと

⑥如是因(にょぜいん)…結果を招く原因

⑦如是縁(にょぜえん)…原因によって結果を招く時に働く縁

⑧如是果(にょぜいか)…因と縁によって生ずる結果

⑨如是報(にょぜほう)…結果を身に感じること

⑩如是本末究竟等(にょぜほんまつくきょうとう)…初めの「相」を本とし、終わりの「報」を末として、この九如是が常に一体であり等しい状態であることをいいます。

 

私たちは、過去世からの行いによる原因によって今現在があり、今の行いが原因となって未来の結果が決まります。

こうした行いによる原因や結果をまとめて「宿業(しゅくごう)」ともいいます。

また、今ある自分や自分に起きる物事は、すべて過去の行いによる結果であり、決して他の誰かに原因があるのではありません。

それは、これからの未来においても同じことです。

今の自分がなぜこのような状態になっているのか、また、将来の自分がどうなっていくのか、どのようなことが起きるのかは、自分の行いによって良くも悪くも決まっていき、結果が目の前に現れます。

 

これから先の人生は誰にもわかりません。
ただ、今日明日の楽しみ、今を楽しく過ごすことを求めたり、自分のやりたいように、思い通りに毎日を過ごせばいいものではありません。

わたしたちは、来たるべき未来のことをしっかりと考え、心を浄く正しく生活していくならば、幸福な人生、喜びに満ちあふれた楽しい人生を送り続けることができます。

この正しい生活を送る基本となるのが、日蓮大聖人さまの教えです。

私たちは日蓮大聖人さまの教えを信じて、勤行や唱題を行いながら、学校の勉強や部活動、そして毎日の生活を送っていくと、自然と物事がスムーズに良い方向へと進んでいきます。

また、皆さんがこれから中学や高校受験、大学受験や就職試験など、人生を大きく変えていく場面で、少しでも自分の希望がかなうようにする為には、今のうちから、そうした時に良い結果となるよう準備しておくことが大事だと思います。

そのためにも、充実した毎日を送り自分の努力がすべて発揮できるように、1年365日、楽しいこともあれば悲しいこと、つまらないこと、辛いこともあるでしょう。

しかし、自分の人生は自分に原因があり、特に悩んだり困ったりすることがあったなら、御本尊さまにお題目を一生懸命唱えていきましょう。

すると、必ずこの先の未来において、あの日あの時頑張ってきて本当に良かったと思う時が必ず来ることでしょう。

 

今はまだ、お父さんやお母さんのもとで生活し、育ててもらっています。
しかし、やがては1人で社会にでて、仕事をして生活していく時がきます。

 

そうした時に、両親からはなれて自分自身でしっかりと自信をもって旅立つことができるように、また後悔することがないように、常に御本尊さまから見守っていただけるように、これからも頑張っていきましょう。