帝釈の宝の網

 「そんなの関係ねー」という言葉が流行(はや)ったことがありましたが、周囲の煩(わずら)わしさを一刀両断にする小気味(こきみ)よさが受けているのでしょう。ある意味、真実の一面でもあります。
 しかし、人間「そんなの関係ねー」だけでは生きていけないし、もっと大切なことがあることも確かです。
 『孟(もう)子(し)』に「仁(じん)なる者は人を愛し、礼ある者は人を敬(うやま)う、人を愛する者は人も恒(つね)にこれを愛し、人を敬う者は人も恒にこれを敬う」(『中国の古典』平凡社)と説く文は、敬宮(としのみや)愛子様御命名の典拠でもあります。お互いに愛し愛され、敬い敬われるという、人間としてあるべき相互関係を説くのです。
 本年は子年、ネズミの子の字は、本来、敬愛の尊称として使用されてきました。孟(もう)子(し)・孔(こう)子(し)・老(ろう)子(し)などに代表される如く、尊敬の字句です。日本でも女性の名前に多用されてきましたが、女性への敬意と立派な人格を形成して欲しいという願いが名前にこめられたのでしょう。
 現今、若い世代に○○子さんという名前があまり聞かれなくなりましたが、その心まで失ってはなりません。人を愛し敬う心を知り、その素晴(すば)らしさを実感すれば、自(おの)ずと人からも愛され、敬われる人徳を具(そな)えていくものです。誰に対しても、何事に対しても、正直に真(しん)摯(し)にウソ偽(いつわ)り無くありたいものです。
 さて、帝釈天(たいしゃくてん)(仏典に登場する神)の住む宮殿には宝の網(あみ)が張りめぐらされているといいます。その宝の網の一つひとつの結び目には珠玉(しゅぎょく)がつけられ、その珠玉はお互いに相(あい)照(て)らし、映(うつ)った玉がまた映って重々(じゅうじゅう)無(む)尽(じん)に反映しあう関係にあります。これらの珠玉が我々一人ひとりの人間であり、あらゆる生命であると捉(とら)えたとき、果たして「そんなの関係ねー」で通り過ぎることが出来るでしょうか。
 「袖(そで)擦(す)り合うも多生(たしよう)の縁」とも言うように、道ですれ違うおじさん・おばさんも因縁ある存在なのだという感性が大切です。
 一時期、比叡山での千日回峰(かいほう)行(ぎょう)が話題になりました。あの修行は法華経で説く「森羅万象には仏性が存し、その仏性を尊敬礼拝する」という精神からの修行のようですが、末法の我々の修行としては不相応です。
 末法に合った真実の仏法によって実際に尊敬礼拝する心と時間を持ててこそ、人間らしく、真の人間関係を構築できるのではないでしょうか。
 そのような法華経の精神を根本とした教えを説く、お近くの日蓮正宗寺院をお尋ねになり、人生に一番大切な事を学んでみませんか。

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