御報恩御講(令和5年12月)

 令和五年十二月度 御報恩御講

 『法華題目抄』(ほっけだいもくしょう)       文永三年一月六日   四十五歳

 この経に(きょう)値(あ)ひたてまつる事(こと)をば、三千年(さんぜんねん)に一(いち)度(ど)花(はな)さく優(う)曇(どん)華(げ)、無量(むりょう)無(む)辺(へん)劫(ごう)に一(いち)度(ど)値(あ)ふなる一眼(いちげん)の亀(かめ)にもたとへたり。大(だい)地(ち)の上(うえ)に針(はり)を立(た)てゝ、大梵天王宮(だいぼんてんのうぐう)より芥子(けし)をな(投)ぐるに、針(はり)のさきに芥子(けし)のつらぬ(貫)かれたるよりも、法華経(ほけきょう)の題目(だいもく)に値(あ)ふことはかたし。此(こ)の須(しゅ)弥(み)山(せん)に針(はり)を立(た)てゝ、かの須(しゅ)弥(み)山(せん)より大風(たいふう)つよく吹(ふ)く日(ひ)、いと(糸)をわたさんに、いた(至)りてはり(針)の穴(あな)にいとのさき(先)のいりたらんよりも、法華経(ほけきょう)の題目(だいもく)に値(あ)ひ奉る(たてまつ)事(こと)はかたし。さればこの経の(きょう)題目(だいもく)をとなえさせ給(たま)はんにはをぼしめすべし。          (御書三五五㌻二行目~六行目)

【通釈】この法華経に値い奉ることは、三千年に一度花の咲く優曇華や、無量無辺劫の長き間に一度(浮木に)値う一眼の亀にも譬えられる。また大地の上に針を立てて、大梵天王宮から(一粒の)芥子を投げて針の先に芥子が貫かれるよりも、法華経の題目に値うことは難しい。またこちらの須弥山に針を立てて、向こうの須弥山から大風が強く吹く日に糸を渡そうとして、針の穴に糸の先が通るよりも、なお法華経の題目に値うことは難しい。されば法華経の題目を唱えられることは(誠に有り難いことである)と思いなさい。

□住職より

 宗祖日蓮大聖人様は、『可延定業御書』に、「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」と仰せになられております。正に命とは、世の中のあらゆる財宝をも超越する宝であるとの御教示であります。そして、私たちの命とは有限であり、今生現世に生を受けたその時から、臨終に向かって歩みを進めているのであるからこそ、一日たりとも無益なことに終始したり、無駄にすることがないよう心掛け、どんなに財産があろうとも、裕福な日々を送ろうとも、地位や名声を得ようとも、ひとたび臨終を迎え今生現世の寿命が終わってしまえば、そうしたものは一瞬にして海の藻屑と化してしまいます。
 故に大聖人様は『持妙法華問答抄』に、「頓証菩提の心におきてられて、狐疑執着の邪見に身を任する事なかれ。生涯幾くならず。思へば一夜の仮の宿を忘れて幾くの名利をか得ん。又得たりとも是夢の中の栄へ、珍しからぬ楽しみなり。只先世の業因に任せて営むべし」と仰せになられ、『松野殿御返事』には、「生死無常、老少不定の境、あだにはかなき世の中に、但昼夜に今生の貯へをのみ思ひ、朝夕に現世の業をのみなして、仏をも敬はず、法をも信ぜず。無行無智にして徒に明かし暮らして、閻魔の庁庭に引き迎へられん時は、何を以てか資糧として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡りて、実報・寂光の仏土に至らんや」と仰せになられているのであります。
 私たちは有り難くも過去世よりの因縁宿習によって、受けがたき人として生を受け、値い難き末法唯一無二の正法正義に巡り値い信じ行ずることができる今、幾ばくも無いその人生をいかに生きるか、当然信行の実践を行いつつ毎日を過ごすことは決して容易ではありません。更に、正法を行ずるが故に生ずる三障四魔等の障礙や自身の無始已来の罪障宿業を今生現世に召し出だして受ける果報等との戦い、譬えるならば、山道が整備され山頂まで簡単に登ることができる山々を、わざわざ進んで獣道を進み、草木を掻き分け、ただひたすら道なき道を進み、その道すがらには、恐るべき猛獣や毒蛇、害虫などとの対峙がありつつ、遥かなる山の頂きを目指すようなものであります。
 そして、先月の御登山が正にそうであったように、「日蓮法華経の文の如くならば通塞の案内者なり。只一心に信心おはして霊山を期し給へ」と、東名高速道路が事故渋滞の連鎖によって塞がっているような状況を、令和の今日、「霊山浄土に似たらん最勝の地」と拝すべき総本山大石寺へと向かう、皆さんの深信なる御一念に大聖人様はお応え頂き、参加者全員が一人も漏れずに無事御開扉に臨むことができたように、その時々に応じて大聖人様は必ず、ありとあらゆる障礙を取り除いて頂き、私たちを真実本懐の幸福へと誘って頂けることと拝するものであります。
 そして、広布への志高く自身に与えられた使命と責務を拝しつつ、御本尊様への願いや祈りが必ず叶うことを確信して頂き、三毒煩悩の用きにより自らの我意我見に執着したり、無益なことに時間や労力や財産をかけることが無きよう、「令和の法華講衆」の名の下に、己を律し己を正し、どうか自らの即身成仏の本懐を成就することができるよう、倦まず弛まず精進の誠を尽くし、いざありとあらゆる大難が我が身を襲ったとしても恐れず、焦らず、諦めずに、御本尊様の御照覧と諸天善神の御加護を信じて、力強く前進して頂きたいと願うものであります。
 いよいよ本年も残すところ三週間となりました。皆様には残す日々において、本年をしっかりと省みながら、明年への決意と抱負、目標を定めて頂き、どうか輝かしい新春を、無事お迎えできるよう心より念願いたします。