御報恩御講(令和5年8月)

 令和五年八月度 御報恩御講

 『四条(しじょう)金(きん)吾(ご)殿(どの)御(ご)返(へん)事(じ)』      弘安三年十月八日  五十九歳
 水(みず)あれば魚(うお)すむ、林あ(はやし)れば鳥(とり)来(きた)る、蓬萊山(ほうらいさん)には玉(たま)多(おお)く、摩黎(まり)山(せん)には栴檀(せんだん)生(しょう)ず。麗水(れいすい)の山(やま)には金あ(こがね)り。今(いま)此(こ)の所も(ところ)此(か)くの如(ごと)し。仏(ぶつ)菩(ぼ)薩(さつ)の住(す)み給(たま)ふ功(く)徳(どく)聚(じゅ)の砌な(みぎり)り。多(おお)くの月(つき)日(ひ)を送(おく)り、読誦(どくじゅ)し奉る(たてまつ)所(ところ)の法華経(ほけきょう)の功(く)徳(どく)は虚(こ)空(くう)にも余(あま)りぬべし。然(しか)るを毎年(まいねん)度々(たびたび)の御(ご)参詣(さんけい)には、無始(むし)の罪障も(ざいしょう)定(さだ)めて今生(こんじょう)一(いっ)世(せ)に消滅す(しょうめつ)べきか。弥は(いよいよ)げむべし、はげむべし。           (御書一五〇二㌻二行目~五行目)

【通釈】水があれば魚が住む、林があれば鳥が飛来する、蓬萊山には玉(宝石)が多く、摩黎山には栴檀が生じる。麗水の山には黄金がある。今この(日蓮が住する)所も同様である。仏菩薩が住まわれる功徳が聚(あつ)まる所である。(身延入山以来)多くの月日をここで送り、読誦した法華経の功徳は大空にも満ち溢れているに違いない。然るに毎年度々の参詣によって、(あなたの)無始からの罪障もきっと今生一世のうちに消滅するであろう。いよいよ励みなさい、励みなさい。

□住職より

 本年も八月となりましたが、今月は盂蘭盆会の月であり、奇しくも8月15日は太平洋戦争の終戦を迎えた日であります。抑も第二次世界大戦が勃発した原因は、ドイツのアドルフ・ヒトラーの独裁政権や、当時の日本軍部の無智迷妄な国粋主義による破壊活動にあり、令和の今日も東欧で無意味な戦乱が引き起こされています。人は何故その道を誤るのか?
 大聖人様は『女人成仏抄』に、「然るに一切衆生、法性真如の都を迷ひ出でて妄想顛倒の里に入りしより已来、身口意の三業になすところ、善根は少なく悪業は多し。されば経文には「一人一日の中に八億四千の念あり。念々の中に作す所皆(みな)是(これ)三(さん)途(ず)の業(ごう)なり」等云云。我等衆生、三界二十五有のちまたに輪回せし事、鳥の林に移るが如く、死しては生じ、生じては死し、車の場に回るが如く、始め終はりもなく、死し生ずる悪業深重の衆生なり」と仰せのように、悪業深重なる私たち末法の衆生が、日々考え起こす所の身口意三業の行業は、世の中を不幸に貶めるものばかりであります。ましてや、私たちは毎日毎日八億四千もの念慮があり、その一つ一つが不幸の原因になるような、我が身心に垢を塗り固めるようなものばかりであります。
 よって私たちは、そうした身心の垢を払い除(の)けるためにも、コロナ禍が打ち続き、大地震や大型台風などの自然災害が、日本全国あらゆるところで人々を不幸にならしめる今日、御法主日如上人猊下が「我々が信心をすることによって、仏様や菩薩や諸天善神が、一人ひとりをしっかりと本当に見届けて、守って下さるのです。だから、信心は不正直ではなりません。上っ面の信心ではいけません。やはり心の底から信じている人を、仏様や菩薩はみんな見抜いているいるのです。正直な信心とは、言葉を換えて言うならば、身口意の三業にわたって信心をしていくということです」と御指南遊ばされているように、正直で素直な信心を心掛け、特に今年は百年に一度の大慶事である、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山の年でありますからこそ、今までにも増した、一歩進んだ信行の実践に励み、新たな目標を立ててその成就に向かった目的観のある信心を心掛けることが肝要であります。
 また大聖人様は、『観心本尊抄』に、「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得べきか」と仰せのように、皆さん一人ひとりの正直で素直な信行の実践が個から全体へと、その功徳が日本乃至全世界へと廻り渡らせることができるように、各々身命を賭して精進の誠を尽くすべき時であると感じて頂きたく思います。そして、その為には大聖人様が『四条金吾殿御返事』に「陰徳あれば陽報あり」と、『上野殿御消息』には「かくれての信あれば、あらはれての徳あるなり」と仰せになられているように、皆様一人ひとりの陰ながらの信行の功徳をコツコツと積み累ね、その波動が大きな功徳の現証として、目に見える朗報吉報になるよう固く信じて頂きたいと念願いたします。
 とにもかくにも、まずは皆様方が「日本国中の大小の諸神も、総じて此の法華経を強く信じまいらせて、余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり。相構へて相構へて、心を翻へさず一筋に信じ給ふならば、現世安穏後生善処なるべし」と大聖人様が仰せになられているように、信心をはじめ、日々の行業において我意我見を捨て去り、自ずと日蓮正宗の檀信徒としての振る舞いと、世のため人のために有益なる日々を送られ、諸天善神の御加護を賜りながら、まずは御自身の生活を整えられ、あらゆる形で広布に役立つ存在になれるよう、あらゆる方々を心豊かに、喜び楽しみを感じる日々を送ることができるように、然るべき信行の実践に励んで頂きたく存じます。