御報恩御講(令和5年7月)

 令和五年七月度 御報恩御講

 『聖愚問答(しょうぐもんどう)抄』(しょう)       文永五年   四十七歳
 人(ひと)の心は(こころ)水(みず)の器に(うつわ)したがふが如(ごと)く、物(もの)の性は(しょう)月(つき)の波(なみ)に動(うご)くに似(に)たり。故(ゆえ)に汝(なんじ)当(とう)座(ざ)は信(しん)ずといふとも後(ご)日(じつ)は必(かなら)ず翻へ(ひるが)さん。魔(ま)来(き)たり鬼(き)来(き)たるとも騒乱(そうらん)する事(こと)なかれ。夫(それ)天(てん)魔(ま)は仏法(ぶっぽう)をにくむ、外(げ)道(どう)は内道(ないどう)をきらふ。されば猪(い)の金山(こんぜん)を摺(す)り、衆(しゅ)流(る)の海(うみ)に入(い)り、薪の(たきぎ)火(ひ)を盛(さか)んになし、風(かぜ)の求羅(ぐら)をま(増)すが如(ごと)くせば、豈(あに)好(よ)き事(こと)にあらずや。
(御書四〇九㌻一行目~四行目)

【通釈】人の心は水が器の形にしたがって変わるようなものであり、物の性質は水面の月影が波に揺れるのに似ている。故にあなたは(仏法を)今は信じると言っているが、後日には必ず心を翻すであろう。魔が来ても鬼が来ても騒ぎ乱してはならない。そもそも天魔は仏法を憎み、外道は仏法を嫌う。それ故、猪が金山を摺り、諸河が大海に流れ込み、薪が火を盛んにし、風が求羅を成長させるように、(諸難を資糧とし信心を堅固にしていくならば)それらはむしろ結構なことではないか。

□住職より

 本年も下半期が始まりましたが、今月も日本各地で水害が多発し、混乱の極みを見せております。ただでさえ、魑魅魍魎(ちみもうりよう)蠢(うごめ)く世の中、私たちは自らの不幸の原因である悪因悪縁を絶ち切ることができるよう、日々信心修行に錬磨することが肝要であります。
 世の中では、過去世よりの福徳や自身の努力精進により、地位や名誉、財産に恵まれ、何不自由無く、贅沢な生活を送っている人々もたしかにいるかもしれませんが、あくまでもそれは大凡(おおよそ)、俗世間における幸福と定義される姿であり、更にそこには不幸への大きな落とし穴があることを知るべきであります。
 大聖人様は『松野殿御返事』に、「世の中ものうからん時も今生の苦さへかなしし。況(ま)してや来世の苦をやと思(おぼ)し食(め)しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦ひなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ」と仰せであり、日蓮正宗の僧俗である私たちは、本来今生現世において、いかに無始已来の罪障消滅宿業打開に努めるか、現当二世に亘る一生成仏という真の幸福を追い求め、功徳利益充満する境界を確立することが非常に大事であり、身の貧(まず)しさより心の貧しさを憂い、出世間仏様説くところの価値観をもって物事を推し量り、実践行動して行くことが大切であります。
 そして今、『立正安国論』奉呈の月を迎えた今月、先に申し上げましたように、自身の罪障消滅・福徳増進の為にも、大聖人様が『阿仏房尼御前御返事』に、「いふといはざるとの重罪免(まぬが)れ難し。云(い)ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳(げんに)の二徳忽(たちま)ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく「慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是(これ)彼が怨(あだ)なり」等云云。重罪消滅しがたし。弥(いよいよ)利益の心尤(もつと)も然るべきなり」と仰せのように、今こそ縁する全ての方に妙法を下種結縁せしめて、折伏に励むべきであります。
 御法主日如上人猊下は、常々「折伏が成就できないのは、折伏をしてないからである」と御指南であります。皆さんが本当に世情の浄化矯正と、数多の人々の幸福を願うならば、あらゆる悩みや困難を抱え、嘆き苦しんでいる方がいたならば、決して見て見ぬふりをせず、慈悲心を発して下種折伏し、日頃から唱題に唱題を重ねつつ、身口意の三業を福徳で満たすことが重要であります。
 そして、世間の人たちと同じように、ただお茶をすすりながら、世間話に花を咲かせ、無益な時間を過ごし過ぎることが無いようよくよく留意して、そうした日常会話の一コマにおいて、信心の話に繋がるような話題を提供することも、一つの折伏の方法であります。例えば、何気なく「明日はお寺に行かなきゃ」とか、「毎月第2日曜日はお寺に通っている」ことを話の話題にしたり、今月は盂蘭盆会の月でありますから、「今月はお盆だから御塔婆を建てにお寺に行ってこなきゃ」と、自らの信行の実践の姿を紹介したり、明らかにすることも大事なことであります。そして、大聖人様は『松野殿御返事』に、「菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり」と仰せであります。この御金言の如く、世俗の垢に身を汚し、日々の流行に便乗して悪縁に誑かされ足下をすくわれることがないよう、大聖人様の御金言を胸に、愈々自行化他の信心に住し、もって大慶事を迎えた本年、有意義且つ御自身の境涯を大きく開き実りある年になるよう、残すところ半年、勇猛果敢に精進して頂きたいと心よりお祈り申し上げます。