めぐまれ過ぎた不幸な息子(令和5年7月)

めぐまれ過ぎた不幸な息子(めぐまれすぎたふこうなむすこ) 
     

                令和5年7月 若葉会御講

 むかし、インドの舎衛城(しやえいじよう)の都に大金持ちの長者(ちようじや)がいました。長者には一人の息子がいました。この息子は使用人に囲まれ、何不自由なく大切に育てられました。好き放題、ワガママ放題で、何でも使用人がやってくれたので自分では何もできませんでした。掃除や洗濯、食事の用意をはじめ、着替えまで周りの人がやってくれました。息子は食べたい物を食べ、やりたいことを自由にやり続けていました。
 その息子が13才になった時、元気だった両親である長者夫妻が、突然の病気で亡くなってしまいました。息子は今まで甘やかされて育ったので、せっかく父親が残してくれた財産も無計画に使い、どんどん少なくなっていきました。最後には、親切に近寄ってきた人にだまされて、とうとう土地も家も財産もすべて無くしてしまいました。一文無(いちもんな)しになった息子は、ひとりぼっちになってしまい、使用人たちも、親戚の人たちも、息子のだらしなさ、無責任さにあきれ果て、誰も息子を助けようとしませんでした。住む家を無くした息子は路上(ろじよう)をさまよい、街角(まちかど)で人々から食べ物をもらって毎日を暮らすようになりました。しかも、息子は若いのに働こうとしませんでした。そもそも、どう仕事をしたらよいかわからず、おまけに怠(なま)けぐせがついていて働くことができませんでした。
 そんなホームレス生活が続いたある日、息子はある立派な町のお屋敷(やしき)の前で、食べ物を恵んでもらおうと物乞(ものご)いをしていました。丁度そこへ、その屋敷の長者が帰ってきました。長者はなんとなく見覚えがあるその息子をしげしげと見つめ、「もしやお前は、あの長者の息子なのか?どうしてそんな格好(かつこう)をしているのか?いったい今何をしているのか?両親はどうしたのか?」と、尋(たず)ねました。その長者は亡くなった息子の父親の大親友でした。しかし、ある事がきっかけで仲違いをして、この数年は親交がありませんでした。だから親友である息子の両親が亡くなっている事を知らなかったのです。
 息子はホームレスとなって流浪(るろう)の旅をしているワケをくわしく話し、長者は流れる涙を拭(ふ)くこともなく、ジイッと聞いていました。そして、屋敷の中に入れて、食事を与え、衣服も着替えさせました。長者は、「お前の父親と私は無二の親友だった。その頃、お前と私の娘が大人になったら、ぜひ夫婦にしようと話しておった。今、私はお前の父親との約束を果たそうと思う。どうだ、私の娘と一緒にならないか?お前達の面倒をできるだけ見ようと思っている」と、息子に言いました。
 こうして思わぬことで、この息子は長者の娘と結婚し、住まいになる家と家財や家畜、それに身の回りの世話をしてくれる使用人までも準備してもらいました。今まで、その日暮らしのホームレスの生活をして苦労していたのに、再び立派な家に住めるようになって、息子は夢を見ているようで、まるで子供の頃のぜいたくな生活が、またできるようになったと思っていきました。
 そして、「喉元(のどもと)過(す)ぎれば熱(あつ)さを忘(わす)れる」という言葉がありますが、息子はあれだけ苦労したのにもかかわらず、毎日毎日仕事もせずに、だらだらと食べては寝ての生活を繰り返して行きました。妻の父親が用意してくれたお金もだんだん減っていき、そんな生活を続けているので、とうとう財産も底をついてしまいました。妻は「どうしてちゃんと仕事をしないのですか?もう一銭も残っていないのですよ。明日からの生活はどうするのですか?」と問い詰めました。息子は、「お前の父上がなんとかしてくれるよ。困った時はいつでも相談しなさいと言っていたじゃないか。お前、これからお金を借りてきてくれないか」と言い、妻は夫の身勝手にあきれ果ててしまい、「どうしてこんな男と結婚したのだろう」と思いながら、父親のところへ行って事情を話しました。長者である父親は娘のことを気の毒に思い、「あの男と結婚させたばかりに、娘にこんな苦労をさせてしまった。それにしてもあの男がこんなダメな男だったとは」と後悔し、長者は娘かわいさにお金を娘に持たせて家に帰しました。
 息子は、妻の父親から借りてきた大事なお金を、仕事をせずに増やそうと、賭(か)け事をしたり、人から騙(だま)されたりと、すぐにお金を失ってしまい、また無一文(むいちもん)になってしまいました。そのことを知った長者は使用人に命じて、息子を家から追い出すように手配しましたが、息子はそのことを知って、二度と家を失いホームレスになるのは死んでも嫌だと思い、とうとう生きる気力を無くした息子は、妻を道連れにして自ら命を絶(た)ってしまいました。
 使用人からこの事を聞いた長者は、絶叫(ぜつきよう)し泣きわめきました。長者は、「無理やり結婚させたばかりに、娘は死んでしまった。自分が殺してしまったようなものだ」と、娘が死んだことに気が狂いそうになりました。長者は、いつまでたっても娘の夫に対する瞋(いか)りと恨(うら)みが治(おさ)まらず、ある日知人に、お釈迦(しやか)さまのところへ行って教えを受けてくることを勧めてもらいました。
 お釈迦さまは、「長者よ、貪(むさぼ)りと、瞋(いか)りと、感情のままにまかせる愚(おろ)かさは、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三毒(さんどく)といって、人にとりつき、人を不幸にする、もっとも恐ろしい毒ですよ。この毒による苦しみに効(き)く薬は、この三毒の執着心(しゆうちやくしん)を取り払うことです。貪りの欲心は、欲するままに物品を手に入れても、次から次へと欲望の心が起こり、いつまでも満足することがなくなってしまいます。欲に満ちた心はいつも貧しいのです。次に、瞋りの心は瞋りの心で鎮(しず)めることはできません。瞋りは恨みとなり、恨みは復讐心(ふくしゆうしん)となり、復讐心は今度は自分が敵となって、結局は自分の身も心も滅(ほろ)ぼしてしまうのです。そして、愚かな心は、すべての苦しみの原因となるのです。愚かな心は、貪りや瞋りの心を捨て去ることができない心です。あなたがいつまでも娘さんの夫のことを瞋り恨み続けるならば、必ずあなた自身もあなたの一族をも亡ぼすことになるのです。欲望の畑に瞋りの種をまくと、苦しみの果報を受けるのです。今すぐに瞋りの心を捨て去るのです」と説きました。
 長者は、お釈迦さまのお説法を聞いて、自分の心の中に渦巻いていた瞋りと恨みの心がスウッと消えていく感じがしました。そして、安らかで楽な気持ちとなり、今までの苦しみがウソのように消えてなくなりました。長者はお釈迦さまの教えを深く信じるようになり、仏道修行に励んで娘さんの追善供養をしながら、自分自身も貪・瞋・痴の三毒の心を起こすことがないように気をつけて行きました。
 皆さんも、毎日の生活のなかで瞋りの心や、あれが欲しいこれが欲しいという心、言わなくてもいいことを言ったり、やったりと、あとで後悔するようなことはありませんか。私たちは仏さまではありませんから、時にはそんなこともあるかもしれません。だからといって、自分の心の思うままに毎日の生活を送ると、今日の話に出てきた〝長者の息子〟のようになってしまいます。
 大事なことは、何事もほどほどに、怒るようなことがあったならば、その気持ちが恨みの心にならないよう、何で怒ったのかをよく考え、いかに鎮めることができるか。何か欲しいものがあったならば、それが本当に自分に必要なものかどうか、何か自分が違う方向、誤った方向へ進んでいると感じることがあったならば、御本尊さまにお題目を唱えながらよく考えて、必要ならばお父さんやお母さん、住職さんに相談することが大事だと思います。
 皆さんがこれから成長していくと、毎日の生活や行動を注意したり怒ってくれる人は少なくなっていきます。特に、大人になると、できれば人のことを注意したり叱ったりしたくありませんし、自分のことを同じように注意してくれる人はだんだんいなくなります。だからこそ、今のうちに自分のことを正しく見つめることができるように、何か注意されたら素直に受け入れ、自分のことを反省できる心、自分勝手な心を持たないこと、迷うことがあったならば、御本尊様に真剣に唱題すること。こうしたことを、いつまでも忘れずに行って下さい。
 それと共に、むかしから「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言われます。今の世の中、努力や苦労をしなかったならば、楽しく穏やかな毎日、人生を送ることはできません。ましてや、昨日まで何不自由なく過ごしていたのに、ある日突然大きな不幸に出くわすこともあります。だからこそ、私たちは心安らかな時も油断せず日々の生活を慎み、困難を迎えた時こそ御本尊様からの有り難い御仏智(ごぶつち)が頂けるよう頑張って行きましょう。