安息国王(令和4年7月)

安 足 国 王(あんそくこくおう) 

令和4年7月 若葉会御講 

      
 むかし、インドに安足国(あんそくこく)という国がありました。その国の王さまは、馬がとても大好きでした。その後、馬に夢中になりすぎ、駄馬(だば)を立派な駿馬(しゆんめ)にしたりしました。そして、牛を馬にかえることもできるようになり、ついには、人を馬に変えてしまい、その馬を乗り回すようになりました。その国の人があまりになげくので、王は、よその国の人を馬にして、馬小屋につないで、多くの馬を集めました。それを知った国の人々は、国王の、人を人と思わない行いに大変なげきました。
 ある時、他国の商人がこの国へやってきました。王はその人に薬草を食べさせて馬にしてしまいました。そして、馬小屋につなぎとめました。その商人には、妻と一人の男の子がいました。早く自分の国へ帰り、妻や子供に会いたいと一日中なげき悲しみました。しかし、万一逃げ帰ったとしても今の馬の姿では、妻や子供に、父親だとはわかってもらえません。なんとか、もとの姿に戻って家に帰りたいと願っていました。その願いが通じたのでしょうか、国にのこした、まだ幼い男の子もまた、お父さんに会いたいと願っていました。
 ある日、思いあまってお母さんに「お父さんをさがしにいきたいのですが」と言いました。お母さんは「お父さんが他国から戻ってこない今、お前まで行ってしまっては、お母さんは生きていく気力がなくなってしまう、どうかここにいてほしい、どこにも行かないておくれ」と涙を流して引き止めました。それでも少年はお父さんが恋しく、また心配でなりません。「かならず一緒に戻ってきますから待っていてください」と言って、少年はお父さんを探しに安足国までやってきました。
 ある家に泊めてもらったときのことです。その家の主人は、少年を見て「実は自分にもあなたと同じ年頃の子供がいたが、他国に行ったまま戻ってこないんだ。今、生きているのか死んでしまったのか、毎日そのことばかり考えて暮らしているんだ。だから、あなたの話をきいて自分の息子のように思えてならない。
 実は、この国の王さまは馬があまりにも好きで、人まで馬に変えてしまうんだ。最近もよその国の商人を馬に変えてしまったということを聞いたよ」と話してくれました。少年は、その人はきっと自分のお父さんだ、と直感しました。「その馬はどんな毛並で、どこにつながれているんですか」とたずねました。
 主人は「その馬は栗毛で、肩に白い斑点があって、第一の馬小屋にかくしてあるそうだよ。そこに不思議な薬草があって、せまい葉は人を馬に、広い葉は馬を人に変えるそうだよ。気をつけて行くんだよ」と詳しく教えてくれました。
 少年は、お父さんを助けたい一心で、一人で城に忍び込みました。そして、やっとの思いで広い葉の薬草を栗毛の馬に食べさせることができました。すると見る見るうちに、その馬はもとの人間の姿にもどりました。やはり少年が探していたお父さんだったのです。少年とお父さんは抱き合って喜びました。
 このことを知った安足国王は、身の危険もかえりみず命がけで父を救った、この幼い少年の勇気に「これぞ真の孝養の者なり」と、たいへん感心いたしました。また同時に、自分のしたことをたいへん恥ずかしく思い、その親子を国へ帰し、以後は、人を馬にすることはいっさいやめたのです。
 これは、自分の好きなことでも、いきすぎたり、のめり込んでしまったならば、いちばん大事なものを失ってしまうということです。安足国王は馬を愛するあまり、尊い人間を動物にかえてしまいました。そのことで、国民の心は王から離れ、王としての信頼もなくなり、国王としての任務も忘れ、自分もまた、多くの国民も、そして、その国さえも失うところでした。それが一人の父を想う少年によって、自分の行動の誤りに気づき、目覚めることができたのです。
 私たちは、常に御本尊さまに対する信心と、御法主日如上人猊下さまの御指南をよく読んで、一切の行動を考えていかなければ、いつの間にか自分の心が中心になって、すべてをダメにすることがあります。
 たとえば、勉強の息抜きのはずのゲームやスマホ、ユーチューブがおもしろくて、朝から晩まで見たりやっていたのでは、成績もさがり、学校にも行きたくなくなり、目も悪くなり、息抜きではなく、ゲームやスマホに、のまれたということになります。また、大人も、お酒を楽しく飲んでいるうちはいいのですが、お酒に飲まれてしまっては、トラブルも多くなり、アルコール中毒にもなったりとたいへんです。
 日本の江戸時代にも、安足国王のような人がいました。徳川綱吉(とくがわつなよし)という徳川五代目の将軍です。その人は極端な性格の人で、自分の体が弱いこともあり、また、お母さんの孝養のためには、生き物を大事にすることがいいと思い、「生類憐(しようるいあわ)れみの令」という御触(おふ)れをだし、むやみに殺生(せつしよう)をしてはいけないと命令しました。特に、犬を人間以上に大事にして、犬をカゴに乗せそのカゴを人にかつがせたり、犬がかみついたので、その犬を棒でたたいた人を牢屋に入れたり、死刑にしたりと、実に三十万人の人々がそのために刑を受けて、たいへん迷惑をしたということがありました。
 お釈迦さまのお経文のなかに、「守分為楽(しゆぶんいらく)」ということが説かれています。これは立場を大事にする、守る、まっとうする、そこに本当の楽しさ、幸せがあるという意味です。ですから、小学生、中学生、また高校生等の学生さんは、今は勉強する、親のいうことを良く聞く、そして、朝晩の勤行をしっかりすることが大事なのです。学校では生徒として、家では子供として、仲間同士では友として、それぞれの立場で、やるべきことをやって、のびのびと成長していきましょう。
 また、皆さんは、「早く大人になりたい」と思ったことがありますか。令和4年から、法律が変わり成人年齢が20才から18才へと変わりました。この法律によって、今年は18才、19才になるおよそ120万人が、急きょ「大人」の一員になりました。ですから、多くの人が、自らの意志で物事や進路を決めることができるようになりましたが、突然世の中に放り出されたとも言えます。大人になるということは、代わりに「責任を持つ」ということになります。今までお父さんやお母さんに守ってもらっていた代わりに、すべてのことを自分で責任を持たなければなりません。
 だからこそ、常に御本尊様に見守られ、いざという時、諸天善神という「大聖人さまの信心を行っている人を護る」という神々に守られるように、毎日の朝晩の勤行と、唱題を一生懸命行って下さい。