止まないコロナ禍のなかで

 年末年始は各スポーツの全国大会が行われ、地区予選を勝ち抜いた代表チームが全国大会という晴れの舞台で、コロナ禍という非常事態の中であって、それぞれ全国優勝を目指して日ごろの鍛練の成果を発揮すべく、懸命に競い合う姿がありました。特に日本テレビでは箱根駅伝や全国高校サッカーが放映され、生放送やニュースなどで御覧になられた方もおられると思います。
 箱根駅伝の歴史は第1回大会が大正9年に行われ、本年で第98回を数える歴史と伝統のある大会で、本年は青山学院大学が記録づくめの圧倒的な優勝を遂げました。かつて御法主日如上人猊下の御尊父・観妙院日慈上人(故 早瀬日慈御尊能化)も出場なされ、区間賞を獲得されるなど御活躍されております。
 現在の箱根駅伝は、関東圏の大学20校と、予選会で敗退したチームから選出された関東学生連合で構成される1チームを加えた21チーム210名の選手が、東京大手町から箱根・芦ノ湖間を、往復10区間に分けて行う駅伝大会となり、毎年正月の風物詩となっております。1人平均20キロ前後を10人で襷を繋ぎ駆け抜ける箱根駅伝では、日ごろの練習の成果を十二分に発揮し笑顔で快走する選手、更に途轍もない新記録を生み出す選手、逆に当日の天候や体調に左右されたり、本来の実力を発揮できずに悔しい思いをする選手、20キロ前後を1時間ほど走る続けるのですから、その日の選手1人ひとりの身心の状況が、それぞれの走りに大きく左右されてしまうのも、箱根駅伝のドラマの1つであり、選手たちの過酷な試練でもあります。
 また、全国高校サッカーも大正7年に第1回大会が行われ、今年で第100回の記念大会となり、今回は青森県の青森山田高校が優勝しました。青森県は御承知の如く、大変雪の多い地域でありその中での練習は想像を絶するようであります。しかし、そうした厳しい環境に身を置き過酷な練習を続けられるのも、自ら志してその道に進むことを決めたからこそであり、「たとえ厳しい練習であっても、自分自身でこの道に進むと決意したから自然と楽しく感じるようになる、一生懸命頑張れる」と、優勝して喜びに沸く選手たちのインタビューにもありました。
 いずれにしましてもスポーツの世界とは、自分との戦いでもあり、どれだけ厳しく辛い練習をするか否か、結果を出すためには人一倍努力することが求められます。そして、日々の鍛錬の成果を発揮するべき各大会にあたり、まずは各チームの代表選手にならなければなりません。それだけ厳しい状況下であっても、自身で夢を追い求め、鍛え上げた努力は選手たちの人間力を培い、如何なる苦しい状況においても努力することに喜びや楽しみを感じた選手たちは、今後の人生において、その経験が大いに生きて行くのではないでしょうか。
 さて、私たちの信仰生活はいかがでしょうか。大聖人様は、『守護国家論』に「夫(それ)三悪の生を受くること大地微塵(みじん)より多く、人間の生を受くること爪上(そうじよう)の土(ど)より少なし。乃至四十余年の諸経に値ふは大地微塵より多く、法華・涅槃(ねはん)に値ふことは爪上の土より少なし。上(かみ)に挙ぐる所の涅槃経の三十三の文を見るべし。設(たと)ひ一字一句なりと雖(いえど)も此の経を信ずるは宿縁多幸なり」と仰せであります。要するに、宿世の因縁宿習によって人として生を受けることがどれだけ希有(けう)で幸福なことであるか。ましてや大聖人様説くところの正法正義に巡り値い仏道修行できることが、どれだけ貴重で有り難いことであるかを拝することができます。
 しかしながら世の中では、せっかく人として生を受けたとしても己の三毒煩悩により、その操り人形の如く自我に執着して毎日の生活を送り、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界の六道を輪廻(りんね)して彷徨(さまよ)う世間の人々の姿は、非常にはかなく憂うべきものであります。ましてや、仏法で説かれる因果の理法のなかで、悪因を累ね悪果を招く人々がどれだけ多いことか。更に過去世已来の因縁によって善因善果悪因悪果の果報を平等に受けるなか、己の三毒煩悩や邪義邪宗謗法の科(とが)によって悪果の果報を自ら増幅して招き寄せ、嘆き苦しみ悩める人々を見るにつけ、広布大願に向かってより多くの方々が仏法における末法唯一無二の正法に帰依し、信行の実践に励んで、尊く価値ある真の幸福な人生をお送り頂きたいと願うばかりであります。
 総本山第二十六世日寛上人は『六巻抄』の『第五 当流行事抄(とうりゆうぎようじしよう)』に、「大覚世尊(だいがくせそん)設教(せつきよう)の元意(がんい)は一切衆生(いつさいしゆじよう)をして修行せしめんが為めなり」と仰せのように、そもそも仏さまは数々の法を説く理由、目的は、この世の一切衆生に対し成仏得道の境界に至らすべく、人々に仏道修行させるためであると仰せであります。更に同抄には、「行者応(まさ)に知るべし、受け難きを受け値い難きに値う、曇華(どんげ)にも超え浮木(ふもく)にも勝れり、一生空しく過ごさば万劫(ばんこう)必ず悔いん、身命を惜まずして須(すべから)く信行を励むべし、円頂方袍(ほうほう)にして懶惰懈怠(らんだけたい)の者は是れ我が弟子に非ず、即ち外道の弟子なりと。慎しむ可し、慎しむ可し、勤めよや」と仰せであります。
 よって私たちはまず、悪行を犯すことがないよう仏道修行に励み、自身の命を浄化矯正して信仰者としての本分をわきまえ、『崇峻天皇御書』の「人身は受けがたし、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露。百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」と仰せの通り、この信心を以て無為に毎日の生活を送ることなく、油断怠りなく主体性をもって勇猛果敢に信行の実践を修し、与えられた人生においてコツコツと功徳利益を積み累ね、その功徳利益と歓喜を以て、『一念三千法門』の「妙法蓮華経と唱ふる時心性の如来顕はる。耳にふれし類は無量阿僧祇刧の罪を滅す。一念も随喜する時即身成仏す。縦ひ信ぜずとも種と成り熟と成り必ず之に依って成仏す」と、罪障消滅宿業打開に勤め、更に世の中のあらゆる人々に対し、この不可思議偉大なる正法正義の教えをそれぞれ創意工夫して弘め、その名を御本尊様に認めて頂けるよう精進することが肝要であります。
 また、大聖人様は『転重軽受法門』に、「涅槃経に転重軽受(てんじゆうきようじゆ)と申す法門あり。先業の重き今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかゝる重苦に値ひ候へば、地獄の苦しみぱっときへて、死に候へば人・天・三乗・一乗の益をうる事の候」と仰せであります。つまり、私どもは誰しもが計り知ることのできない宿業を抱えて今生に生を受け、大なり小なりその宿業打開のため、諸難困難を迎えることがあります。ましてや今、世界中にコロナ禍が広まるなか、より一層信心修行に励み宿業打開罪障消滅し、一生成仏の境界に至るまで、自身の祈りや志が叶うまで、限り無く境涯を開くためにも、全身全霊を持ってお題目にお題目を累ね福徳増進して、一つ一つの宿業を打開し困難を乗り越え、さらにコロナ禍を乗り越えるべく精進しなければならない大事な時を迎えております。
 そして、大聖人様が『松野殿御返事』に、「菩提心を発(お)こす人は多けれども退せずして実(まこと)の道に入る者は少なし。都(すべ)て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧を著(き)たる兵者(つわもの)は多けれども、戦に恐れをなさヾるは少なきが如し」と、世の中のありとあらゆる世間の垢に染まり、悪縁にたぼらかされることなく、自身の三毒煩悩、五欲に著(じやく)して我が身を見失うことがないようありたいものであります。
 また、『開目抄』の、「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし」と仰せのように、信心を行じているからといって何事もすべて思うように進むとは思わず、私たちは一生成仏の為にも、自身の罪障消滅宿業打開の為にも、そして現当二世に亘り御本尊様の広大無辺にして不可思議偉大なる御仏智を賜り、まさに五濁悪世の様相を呈する今、世界中で疫病の災禍に喘ぐ令和の今日、一期の人生そのものを御自身の身口意三業の果報と拝し、あらゆる障魔を排除し、不撓不屈の精神をもって信行の実践に励むべきであります。
 そもそも信心を基軸とした日々の生活は、決して安易なものではありません。いわば自ら茨(いばら)の道を進むようなものであり、辛く厳しく感じることもあるかもしれませんが、それこそ自分自身で志して信行の実践に励み、あらゆる目標、祈り、願いを成就するため、世のため人のため、微力なりとも広布へのお手伝いをさせて頂くべく、眼耳鼻舌身に亘る欲望たる五欲に著することなく、我意我見に執着することなく己を律し、自行化他の信心に真剣に取り組みお題目を唱えて行くと、自ずと法悦に浸(ひた)り歓喜溢れる日々を送れるようになります。そして、毎日平穏無事に1日1日を送れることがどれだけ有り難いことであるか、たとえ諸難困難を被っても自分たちには御本尊様という頼もしい存在と御照覧があることへの安堵の思いを持ち、何よりも御本尊様への感謝の念に堪えない境界に至るようになります。そうした境界を目指し、五濁悪世の悪風吹き荒ぶ世間において、世俗の喜びにうつつを抜かすことなく、日々信心の鍛錬を惜しまず弛まざる努力精進こそが、最高にして最善の幸福な人生を送る源であることをどうか肝に銘じ、益々御精進の誠を尽くして頂きたく存じます。
 今、世間ではオミクロン株による新型コロナウイルスの感染が猛威を奮っておりますが、私たちはただ「信心していれば大丈夫だろう」という甘い考えは捨て去り、『呵責謗法滅罪抄』に「何なる世の乱れにも、各々をば法華経・十羅刹助け給へと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」と仰せの様に、こうした時こそ今一度信心を奮い起こして、新型コロナウイルスに罹患しないように、今まで以上により一層精進して行こうという断固たる決意と、一天四海皆帰妙法、広布大願への篤い情熱をもって、いよいよ信心強盛に御本尊様に報恩感謝申し上げ躍進して頂きたく、心より念願申し上げます。