コロナ禍での信心⑥

 現在、コロナ禍をはじめ大雨による土砂災害が全国各地で発生し、多くの方々が塗炭の苦しみを余儀なくされております。これも偏に邪義邪宗謗法の害毒をはじめ、世の中の人々が貪・瞋・痴の三毒煩悩の悪風に心を奪われ、更に悪鬼入其身し世情を悪化する根本的原因となっているのであります。また、巷に蠢(うごめ)く悪鬼魔神がコロナウイルスへと変化(へんげ)し、人々の身体に入りコロナ禍を巻き起こしていると言っても過言ではありません。要するに私たち末法の衆生は、そもそも機根が低く三毒の悪風吹き荒ぶ娑婆世界においてその身心を汚し、あらゆる障魔の用きに感化され、悪道の境界に陥りその因縁が法界全体に広がり、こうした災禍が起こり、終熄の見えない状況になっているのであります。

 そもそも仏教における基本的な心得として、『七仏通誡偈』に「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」とありますように、諸々の悪を莫すことなく、多くの善行を奉行し、自らの心を清浄ならしめることが挙げられます。だからこそ、第26世日寛上人は、『六巻抄』の『当流行事抄』に、「大覚世尊説教の元意は、一切衆生をして修行せしめんが為なり」、「行者応に知るべし、受け難きを受け値い難きに値う、曇華にも超え浮木にも勝れり。一生空しく過ごさば万刧必ず悔いん、身命を惜しまずして信行を励むべし」と仰せになられているのであります。

 要するに、仏さまは私たちに成仏の直道を説かれた因縁は、衆生の心根を清浄と化すには、正しい仏道修行を日々行ずるところにその意があることを説かれているのであります。特に末法の御本仏たる宗祖日蓮大聖人さまは愚鈍な末法の人々に対し、末法尽未来際に亘る永遠の対境、正境として、本門戒壇の大御本尊様を建立遊ばされ、私たちは日々、御本尊様に我意我見なく、素直で正直に、そして謙虚な信心を心掛け、お題目を無二無三に唱えていくことを御指南であります。そして、そうした日常生活を送るところに、初めて三毒煩悩に塗れる私たちの身心を浄化矯正し、しかるべき清浄にして崇高なる境界に至らしめ、決して世間の垢に染まらず、あらゆる障魔を退け、決して驕らず慢ずること無く、障魔に負けない信心を心掛け、尊い日々を送ることができるよう、自らの身口意の三業を省みることも肝要であります。

 御先師日顕上人は、「我々の心には本来、無明という煩悩があり、これによって常に種々の迷いが生じている。故に、我々の心は、磨かない鏡のようなもので、常に曇っている。しかし、鏡を磨けば煌々とした明鏡となるように、曇りが晴れれば真実の法を悟った心となる。故に、迷いの心を持つ我々は、常にこれを正しく磨かねばならない。その磨く方法は、ただ一つしかない。それはただ南無妙法蓮華経と正境の御本尊に向かい唱え奉ることである」と御指南であります。

 この御指南は僧俗全員に対し奉る御指南であり、たとえ僧侶であっても五老僧に始まり、近年の正信会、創価学会の売僧となった離脱僧などの不心得の僧侶が生じたように、正しい信心、信念のもと、我意我見を捨て去り、本門戒壇の大御本尊様への大確信のもと、宗祖日蓮大聖人様の御法魂を受けつがれた第二祖日興上人以来、御歴代の御法主上人による血脈相承によってその御法魂を伝持される、時の御法主上人猊下に信伏随従し奉ることが最も肝要であり、『立正安国論』の御聖意を拝し広布大願のため、折伏弘教に東奔西走することが何よりも肝心なことであります。

 ですから今こそ、コロナ禍に恐れず怯まず、真剣な自行化他に亘る唱題行に徹し、日顕上人が「妙法蓮華経の意義は十界互具であるから、およそ生ある者、十界の衆生はすべて仏性を有している。しかし、この自らの尊い仏性を顕す方法について、何人もこれを知ることがない。これは、現実の姿としては全くないのと等しく、世の人々はこの尊いものを自ら有することを忘れている。その結果として、毎日の生活のなかで、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の六道を巡り、貪・瞋・痴の迷妄のなかで終始しているのが一般である。この仏性の妙理を顕すのが、自行化他にわたる題目の実践である。そして、仏性を顕す方法は、題目を唱えること、折伏をもって他にその功徳を説くことがその道であり、このほかに正しく適切な方とは全く存在しない。また、無量無辺の法界にはすべて妙法の意義が通じているので、題目を唱える時、我が仏性のみならず、法界一切の衆生の仏性も呼び顕している。凡夫の感覚で直ちにその応答は感じないにしても、信行が進めば自在融通の境界が次第に開かれる。すべての衆生の最高の善である仏性を呼び顕しているから、その身に蓄積される功徳は無量無辺である。故に、三世諸仏の仏性は呼ばれて喜び給い、諸天善神の仏性は呼ばれて行者を守る。また、六道悪業の衆生の仏性も呼ばれて、その因縁の近いところより仏性発起の道に至り、特に造作することなく妙徳を生じて、種々の災難や危害を受ける因縁があってもそれを免れるなど、目に見えないところにおいても種々の不思議な利益を生ずる。妙法受持信行の徳は、有見、無見にかかわらず無量であることを信ずるべきである」と御指南であります。どうかその意とするところをよくよくお汲み頂き、皆さまの信行の一助となるよう願います。

 本年、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年という大佳節に当たり、残すところあと4ヶ月余りとなりましたが、以上の御指南をいよいよ心肝に染め尽くし、必ずコロナ禍が終熄することを祈り願い、日本乃至世界中の人々を幸福ならしめんとの誓願を志し、どうか一天四海妙法広布の大願を成就するその日まで、自らの信心を奮い起こし、時には反省し、大聖人様の御心に適った信行の実践に励んで頂けるよう念願申し上げます。