正月三賀日を終えて(令和3年1月4日)

 妙眞寺檀信徒の皆様におかれましては、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、立宗七百六十九年の新春を清々しく迎えられ、慶賀の至りに存じます。また、正月三賀日におきましては、コロナ禍にもかかわらず元日午前〇時よりの元朝勤行から三日間、大変多くの方々に新年初詣り頂き、仏祖三宝尊さまの御照覧はもとより、諸天善神等もお慶びのことと存じます。

 昨年は、新型コロナウイルス感染拡大のなか、妙眞寺檀信徒の皆様には普段通りに各行事に御参詣賜り、特に宗祖日蓮大聖人御会式法要には、コロナ禍を鑑み、本堂・本堂客間に多少間隔を空けて設置した座席に、満々とする御信徒の方々の参詣をもって奉修できましたこと、誠に有り難く存じます。更に百日間唱題行には毎日必ずどなたかの参詣を賜り行ぜられ、また折伏弘教にも真剣に取り組んで頂き、12月16日に令和2年度折伏誓願目標を達成し、12月23日にも、更にお一人の方が御授戒を受けられ、無事大晦日を迎えることができました。また、妙眞寺創立88年の佳節に当たり、妙眞寺護持興隆基金の勧募を行いましたところ、妙眞寺檀信徒の皆様はもとより、他支部の御信徒の方々よりも赤誠の志を賜り、誠にありがとうございました。お陰様をもちまして、本堂空調設備の新調工事を昨年10月上旬に完了し、晴れて宗祖日蓮大聖人御会式法要を奉修致すことができました。また、これに合わせて、庫裡におきましては有縁の御僧侶・寺族の方々、親族の方々の志により外装修繕工事、住職家内の志により庫裏玄関新調工事を行い、輝かしい新年を迎えることができました。関係各位に皆様には、心より伏して御礼申し上げる次第であります。

 宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の新春を迎えた今、新型コロナウイルス感染拡大の状況が更に厳しくなっており、近々、一都三県に緊急事態宣言の発令も余儀なくされる事態となっております。妙眞寺におきましては、寺院内でクラスター感染がおこらないよう、新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドラインに則り、開門から閉門までは本堂内では常時、次亜塩素酸水噴霧と換気、閉門後は本堂内の隅々まで高濃度オゾン除菌等を行っております。しかし、あくまでも完全完璧な感染予防は不可能でありますので、参詣される皆様には日頃から御自身において予防措置をしっかりとった上で、不要不急の外出や感染リスクの高い箇所への往来はなるべく避けて頂くことが大事であると存じます。また、今後緊急事態宣言が発令されたとしても、宗教施設への休業要請は出ないようですので、妙眞寺におきましては前回同様、通常通り毎日開門し、寺院行事も予定通り行いますので、あくまでも自己判断のうえで御参詣下さい。なお、1月17日(日)の令和3年度第1回妙眞寺団体添書登山につきましては、10日(日)に実施の判断を致します。

 さて今般、先輩御住職から、唱題行(平成17年1月14日)の砌における、総本山第六十七世日顕上人の下記の御指南を御紹介頂きました。現在、1月度唱題行中ですので、当御指南を拝してより一層真剣な唱題行を行じて頂きたく存じます。

 『おはようございます。本日は何も話をしないで退座しようと思っておりましたが、下種仏法の上から大聖人様が御出現あそばされ、十三日に御入滅されました。それから、十四日をはさんだ十五日の、一閻浮提の御座主と拝せられる日目上人の御遷化という上からも、この十四日ということが仏法の上からも非常に意義があると思うのでありまして、渡辺定元法華講大講頭以下、いつも出席されている方々がいらっしゃいますので、ひとことお話を申し上げたいと思います。仏法の功徳は行ずることによるのであります。よって、行うことがなければ仏法の功徳は全くないのであります。ですから、「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず」(御書六六八㌻)という大聖人様の御指南のとおり、行ということが大事なのであります。境妙・智妙というのは、非常に尊い御本尊様の御当体と拝せられますが、それに対する行妙・位妙の行妙は、すなわち行うということであります。それでは何を行うことが大切なのでしょうか。世間では色々な人が色々なことを行っております。社会のなかでは善いことを行ったり悪いことを行ったりしておりますが、この善いことについても、どの程度の善いことなのかということが問題であります。善いことにも色々と段階がありますから、小さな善いことをしていても、それで本当の意味の徳が生ずるとも言えないわけであって、一切を包括してすべてに通じておるところの絶対的な意味での善の行は、南無妙法蓮華経と唱える唱題行であります。ですから、一月において毎朝、この唱題行を行っておるのであります。「一期一会」という言葉がありますが、平成十七年の一月十四日という日は、今日のほかにないのです。明日も明後日もあるにはあるに違いありませんし、また、あると思っていらっしゃるでしょうけれども、平成十七年一月十四日は今日しかないのです。この日に皆さんが集まって、本因下種の唱題行を行うということが実に尊いのであります。これは、皆さん方一人ひとりが、未来永劫への成仏の道を我が心のなかにしっかり植えておるということであります。さて、十四日についてでありますが、「徳」という字が十四日の意義を示しているのであります。徳という字は行人偏に「十」を書いてその下に「四」を書きます。今の字は略字になっていますから、四のすぐ下が「心」という字になっております。これでもよいのですが、昔は四と心の間に「一」を書く「德」という字があったのです。この一はあってもなくてもよいのですが、あればあったで「一心」と読みます。これは、「一身一念法界に遍し」(同六五三㌻等)という上からも、この心という意義は非常に大事なのであります。妙法の深い意義からするならば、我々の心はそのまま法界に遍満しておると言われておるのです。ただ、そのことは我々の迷いの心のなかでは、とても自覚できません。また、私はこの十については十界と拝します。十は満数でありまして、一から数えて十で一区切りになるのであって、それは全体を包括する意味があります。この十界は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏という十の境界です。仏様は法界全体を御覧になって、十の意味においてこれらを照らされ、そして説かれたのであります。法界の個性はそれぞれたくさんありますけれども、その因果の上からの存在、そしてその境界を十に分けられて、地獄乃至仏界までの十界とされたのであります。ですから、法界全体を、言う意味において、世界全体の意味において十という字があるということであります。その十の内容は、一つひとつのところに執われておれば解らないけれども、その十の内容がきちんと解れば、それは四つの徳をもって示されておると拝することができるのであります。ですから、十の下に四という字が存するのです。では、その四は何かと言いますと、これは妙法蓮華経の上からの常・楽・我・浄の四つの徳であります。また、楽・我・浄・常という形が、お題目の上からは拝せられます。すなわち「南無」は楽波羅蜜、「妙法」は我波羅蜜、「蓮華」は浄波羅蜜、これは浄いという意味であり、非常に清浄で自他を浄くする蓮華、浄波羅蜜であります。「経」は常波羅蜜で、常住にして変化がないということであります。この経という字は横に対する縦の筋という意味です。このことから、時間的な上からの常住ということも言えるのであります。したがって南無妙法蓮華経は常・楽・我・浄の四波羅蜜でありまして、本当に南無しきったところに安楽があるのです。皆さん方がお題目を唱える際に、南無の字を拝することもよいのです。南無の字をしっかり拝してお題目を唱えていると、肩の力がだんだんと抜けてくると思います。そして本当に身体が安楽な境界を得るのです。どのような安楽があるといっても、これが最高の安楽なのです。ですから南無妙法蓮華経を唱えるなかに真の安楽な境界が存するのであります。そして、南無妙法蓮華経の南無の安楽の境界をそのまま具えられておるのが安立行菩薩様であります。それから、妙法である我波羅蜜は、妙法蓮華経は個々の法がそのまま一切に通ずるところの法界全体の妙という意味が開かれてくるのでありますから、小さい我ではなく大きな我として、すなわち自我即法界の上からの妙法の境界が示されておるわけで、そこに我波羅蜜という、意味の小さい我を大きな我に開いていくという徳が存します。この徳によって、自分自身の小さな個性が、そのまま大きな境界を基本として行くことができる意味があります。そして、これは全体に向かって進むわけですから、上へ行くと書きまして上行菩薩様の徳になります。蓮華は当然、「明らかなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや(中略)日蓮又日月と蓮華との如くなり」(同四六四㌻)という御文のとおり、非常に清浄であります。したがって浄波羅蜜は清浄、すなわちこれは浄行菩薩様を顕します。御本尊様の左右に釈迦、多宝が示されてありますが、さらに右に上行、無辺行、左に浄行、安立行とお示しであります。この客殿の御本尊様も、日興上人様が御相伝の上から御本尊の当体をお示しあそばされておるのであります。そして、最後は経についてでありますが、これは常という意味を持つのであります。先程も申し上げましたけれども、常波羅蜜、すなわち変化することのない常住の法界の命を顕すのであります。よって我々の命もまた、常住なのです。この常住の徳を具えておられるのが無辺行菩薩様であります。また、これらの徳は地・水・火・風・空の五大にもわたっておるのです。南無である楽波羅蜜は安立行菩薩様でありますから、これは地・水・火・風・空のなかでも万物を運載するところの地大に当たります。それから妙法である我波羅蜜は上行菩薩様、すなわち上へ行くという意味で火大に当たり、限りない向上心を表します。この客殿にはたくさんのお年寄りもいらっしゃるし、若い方もいらっしゃいます。若い方は若い方なりの未来があるでしょう。しかし年寄りは「もう、私は間もなく棺桶に入るから、それではどうしようもない」と思われるかも知れませんが、妙法を唱えることによって、我々が永遠の生命の上に生きておるということを感ずるならば、また自覚するならば、我々の向上は無限であります。死んだあとも、妙法の無限の功徳をもって永遠に生きていき、さらに立派に功徳を成就していくというところに、上行としての我波羅蜜の徳が存するのであります。また、蓮華である浄波羅蜜は浄行菩薩様です。蓮華は水によって生じます。水のない所に蓮華は全くありません。この水はあらゆる汚れを洗う清浄な用きがあり、水大の徳、すなわち浄波羅蜜です。最後に、経の字の常波羅蜜は、いかなる所にも至る風大の徳であります。そして、あらゆるものの魂となって法界無辺の存在となるので、風大、すなわち無辺行菩薩様の常波羅蜜の徳であります。そして、この四大を束ね、包括するのが空大であり、四徳四菩薩の尊い用きをすべて具え、また一切をよく生ずるのであり、この五大がすなわち妙法蓮華経であります。そのような意味からも楽・我・浄・常という四つの徳が、我々の一切の徳の根本であります。たしかに、目先のちょっとしたもうけなども徳には違いありません。また、生活をする上においては、そのような徳を一生懸命に追求するのも、それはそれで大切かも知れませんが、一番根本のところで南無妙法蓮華経と唱えて、そこから永遠に向かっての真の生命の浄化と充実を図っていくということが大切であります。よって、すべての功徳の元は南無妙法蓮華経の唱題行に存するのであります。先程も申し上げましたけれども、この徳という字には行人偏があります。これは行ずるということでありますから、南無妙法蓮華経と唱えることが徳の本当の意味なのです。そして、行ずることによって十界の四徳が一心の信心に具わる次第であります。我々の一心はどこにあるのかといえば、妙法蓮華経の御本尊様を信じ奉るところに存するのであります。いわゆる、「『一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず』云云。日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕はすなり」(同六六九㌻)という有名な『義浄房御書』の御文のとおり、我々が信心の一念をもって唱える題目こそ、自他を救っていくところの本当の道に当たるのであります。そのような意味において、十四日が「徳」という意義を持っておるということがありますので、本日はその意味において話をした次第であります。なお一層、唱題行を行っていくところに、我々の本当の功徳の成就があるということをお互いに確信しつつ、精進してまいることが大切だと思います』。

 どうか、皆様には本年も自行化他に亘る唱題行の功徳利益をもって身心荘厳して福徳増進なされ、御本尊様の広大無辺なる有り難き御仏智を賜り、新型コロナウイルス感染拡大を早期に終熄させるためにも、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節にふさわしい信行の実践に励まれますよう、心よりお祈り申し上げます。