妙安寺入院式を終えて

 令和2年12月9日、東京都大島町の三原山妙安寺にて、第五代住職・盛岡成秀御尊師の入院式が新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドラインに則り、厳粛に奉修されました。入院式につきましては、別の投稿に詳しく記されていますので御覧になって下さい。

 さて今般、高木良延御尊師には御法主日如上人猊下の御慈命を賜り、広島県呉市の円照寺住職として転任することとなり、12月9日に妙安寺新御住職の座替式並びに入院式を終え、御家族と共に広島の地へと旅立たれました。

 高木師には平成22年6月より、10年半の妙安寺にての御奉公を終えたわけですが、その半分の約5年間は平成25年の大島豪雨の甚大な被害により、仮設住宅に住みながらの、新たに設けられた妙安寺事務所における御奉公でありました。被災された後は妙安寺の復興に向け、御法主日如上人猊下の御慈悲や宗務院の御指導のもと、二転三転する東京都や大島町との折衝、寺院庫裡新築事業の繁雑且つ様々な手続きを次々とこなされ、大変な労を尽くされたことと存じます。そうした筆舌に尽くしがたい御苦労の末、平成30年12月23日、御当代御法主日如上人猊下の御下向を賜り、妙安寺災害復興新築落慶法要が盛大且つ厳粛に奉修されました。法要の最後、高木師が謝辞を述べられている際、感極まって言葉に詰まる場面では、私も師の万感の思いに、自ずと涙が滲んでおりました。

 そして、今回あらゆる苦難を乗り越え、見事、妙安寺を立派に新築復興された後、2年間の御奉公をなされ新天地へと旅立たれました。妙安寺におけるお見送りの際には、妙安寺御信徒の方々が一様に、「あんな大変な思いをされて、本当に良くやって下さった」と、涙されている姿に感極まる次第でありました。

 また、大島元町港においては、妙安寺御信徒の方々をはじめ、奥様の御友人の方々、小学生の御子息2名の同級生やその親御様、地元警察官の方など100名近くに及ぶ盛大なお見送りを受け、まるでドラマのワンシーンのようで、その場に居合わせた僧侶、寺族の方々の涙を誘いました。会者定離は今生の定めと雖も、大島島民の方々に、こんなに慕われ愛されていた高木師並びに御家族の方々のお姿に感服致すと共に、私もこのような住職になれるよう、努力精進をお誓い申し上げるところであります。

 高木師におかれましては、10年半に亘り、年が一つ違いということもあり、妙眞寺には幾度となく訪れ、宿泊して頂いたりと大変親しくさせて頂きました。そうしたなかで、互いに切磋琢磨し励まし合い、助け合い、時には意見を言い合いました。そして、妙安寺復興に当たっては、微々たるものではありましたが多少なりともお手伝いをさせて頂き、師の多大なる御苦労のお姿を垣間見させて頂き、ただただ頭が下がる思いでした。今後は新天地にて、その大いなる御経験を活かされ、妙安寺にて、御自身の命を顧みずに御本尊様を護られ、御家族を守られて培われた不惜身命の御信心にて御活躍されることと確信いたします。

 高木良延御尊師、本当にお疲れさまでございました。そして、広島の地でも御身御自愛いただき御精進ください。

妙安寺新築落慶法要当日の打ち合わせにおける、高木良延御尊師の挨拶の様子