継 母(ままはは) の 反 省 (令和2年9月)

                              
 むかし、摂津(せっつ)の国(くに)(今の兵庫県(ひようごけん))に中納言(ちゆうなごん)藤原山陰(ふじわらのやまかげ)という人がいました。この人は摂津国(せっつのくに)に總持寺(そうじじ)というお寺を建てた大変信心深い人でした。

 山陰(やまかげ)は、九州の太宰府(だざいふ)の長官に任命され、船で旅をすることになりました。山陰には何人かの子供がいましたが、その中でも3才になる男の子をたいへんかわいがっていました。しかし、その子の母親(ははおや)は亡(な)くなってしまい、山陰は再婚(さいこん)して継母(ままはは)となった今の奥さんも、その子をかわいがっていましたので、山陰は安心していました。ところが継母は、夫が自分よりその子をかわいがるのを恨(うら)めしく、嫉妬(しっと)してしまい、その子がいなくれば自分をもっと愛してくれるのではないか、夫の愛情(あいじょう)をひとりじめできるのではないかと、ひそかに思っていました。

 山陰の家族は、家来(けらい)たちと一緒に船に乗り、九州へと向かいました。船が玄界灘(げんかいなだ)の鐘(かね)の御崎(みさき)という所をすぎようとしたとき、継母はその子を抱(だ)いて船のはしに行き、子供を海につき落としてしまいました。それからしばらくして、継母は大きな声で、「誰(だれ)か、誰か助けて。若君(わかぎみ)が海に落ちてしまいました」と、叫(さけ)びました。 

船に乗っていた人たちは驚いてかけつけ、山陰もびっくりしてすぐさま船を止めさせ、「なんとしてでも助け出せ。たとえ、遺体(いたい)であっても必ず探し出せ」と、家来たちに言い、家来たちは小舟(こぶね)で、血眼(ちまなこ)になって探しましたが、子供の着物さえ見つかりませんでした。やがて日が暮(く)れ、海上(かいじょう)は月明かりだけになりました。探し回る小舟の音だけが、あちらこちらで悲しく聞こえます。山陰は頭がおかしくなりそうな悲しみをぐっとこらえ、船上に立って報告を待ちました。

 やがて夜が明け、青海原(あおうなばら)が遠くまで見えるようになりました。山陰が目をこらしてみると、海の上に何かが浮(う)かんでいるのが小さく見えました。山陰はこのことをすぐさま家来たちに伝え、家来が小舟で近づいてみると、なんと探していた子供が海の上で遊んでいるではありませんか。家来たちは我が目をうたがい、信じられない光景(こうけい)によく目をこらしてみると、子供は大きな亀(かめ)の甲羅(こうら)の上に乗っていました。小舟を近づけ子供を抱きかかえると、亀は、すうっと海の中にもぐって行きました。家来たちは、「若君が見つかりました。若君は無事です」と叫びました。それを聞いた山陰は、躍(おど)り上がって喜びました。継母は、まさかと思いながら、涙(なみだ)を流して喜ぶふりをしました。

 船が博多(はかた)に着くあいだ、山陰は安心とつかれから、つい、うとうとと寝入(ねい)ってしまいました。すると夢の中に大きな亀が現れて、「わたしは、3年前、漁師に捕(つか)まって殺(ころ)されるところを助けていただいた亀です。あなた様は自分の着物と交換(こうかん)に、私を買ってくださり海に逃がして下さいました。あれ以来、私はなんとかその御恩(ごおん)に報(むく)いたいと思っておりましたので、九州に行かれる船について行きました。ところが、鐘の御崎で奥方様(おくがたさま)が若君を海に突き落としたのです。私は若君を甲羅の上に受け取り、こうしてお連れしました。どうか、奥方様にはお気を付けください」と言いました。

 山陰は夢から覚め、3年前のことを思い出しました。確かに亀の言うとおりです。山陰は信用していた妻に裏切られ、大きなショックを受けましたが、考えてみると、ときどき妻におかしなところがありました。しかし、山陰は妻を責めることはせず、大宰府に着いてからは、妻と子供を別々に住まわせました。

 妻は自分のしたことが夫に感づかれたと気づき、深く反省し子供のことは一切口にしませんでした。数年後、大宰府での任務が終わり、京(きょう)の都(みやこ)へ帰ると山陰は、子供の将来を案じて出家(しゅっけ)させることにしました。死んだはずの子供が、亀の助けによって生まれ変わったので、名前を「如無(にょむ)」(無(な)きが如(ごと)し)と名づけました。

 

 如無は山階寺(やましなでら)(現在の奈良県(ならけん)・興福寺(こうふくじ))の僧侶(そうりょ)となって、一生懸命(いっしようけんめい)勉強と修行に励(はげ)みました。もちろん、母親が自分を海に突き落としたことは知りません。やがて、立派(りっぱ)な僧侶に成長した如無は、宇多天皇(うだてんのう)に仕(つか)えることになりました。

 ちょうどその頃、父親である山陰が亡くなりました。亡くなる前、山陰は如無に「実の母はすでに亡くなり、今の母親は継母であること。そして、その継母が如無を海に突き落としたこと。だから、その身を案じて出家させたこと」を話しました。如無はびっくりしましたが、「そのことがあって、自分が出家して僧侶になれたこと。そして、現在の満ち足りた自分があることを思えば、継母を少しも恨む気持ちは起こりませんでした。また、かえって継母に対して、感謝の気持ちとかわいそうに思う気持ちでいっぱいになりました。如無は父親の亡き後、継母を引き取り、父親の分まで親孝行に努めました。

 継母は、如無に大事にされ、親切にされるたびに、過去に自分がしたことを反省し、その罪を深く悔(く)やみ、「あの亀はきっと仏さまの化身(けしん)に違(ちが)いない。これからは、我が罪を許して下さり、やさしくして下さる如無さまに仕え、我が身の罪障消滅(ざいしようしようめつ)を願って信心修行に勤めよう」と決心しました。それからは、毎日朝から晩まで、自分が犯した罪を仏さまにお詫(わ)びし、心から如無に仕えて、亡くなった夫の供養を続けて行きました。そして数年後、如無の手厚い看護のもと、仏さまに迎えられるかのように安らかに亡くなりました。自分の子供を殺そうとした罪も、反省懺悔(はんせいざんげ)の心と、信仰心によって救われることができたのでした。

 

 さて、このお話からは色々と学ぶことがあります。まずは亀が3年前に命を救ってもらった御恩に感謝したいと願い、それを果たしたこと。次に夫の山陰は、我が子を殺されそうになったにもかかわらず、妻を責めずに耐え忍んだこと。そして、その真実を知った如無も同じく継母を憐(あわ)れみ、かえって出家の動機になったと感謝の気持ちを抱き、更にそんな継母にも親孝行を惜しまなかったこと。継母は自分の罪の深さに気付き反省し、一生かけて仏道修行に励んたことです。そして、仏さまは、誰しもがたとえ悪いことをしたとしても、しっかり反省懺悔して、より一層信心修行に励めば、必ず許して下さり励まして下さいます。

 皆さんも、日頃から「感謝の心・耐え忍ぶ心・反省する心」の3つの心と、そうした心を持てるように、しっかりとお題目を唱えて行きましょう。 おわり

 

 今、毎日「百日間唱題行」が行われています。これは御法主日如上人猊下さまが、今、世の中は新型コロナウイルスや大雨で、多くの人たちが苦しみ、少しでも多くの人たちが大聖人さまの教えを信じるように、世の中が平和になるように、1日2時間の唱題を行って行きましょうと御指南されたからです。皆さんも、1日5分でも10分でも、できるなら2時間に届くように、毎日唱題行を行い、新型コロナウイルスにかからないように、そしてコロナウイルスの流行が早く終わるように、御本尊様に祈って行きましょう。

 皆さんには、今日のお話のように、お父さんやお母さん、学校の先生など、お世話になった人への感謝の心を忘れないようにしましょう。また、何か嫌な思い、つまらないことがあっても、耐え忍ぶ心、我慢する心を持てるようにしましょう。これは、大人にとっても大切なことです。そして、何か、間違ったことやいけないことをしたり、人に嫌な思いをさせたり、自分が間違ったていることに気づいたら、必ず反省して2度とそのようなことをしないようお題目を唱えて、御本尊様にお誓いしましょう。