御会式・布教講演⑧
本日は、御会式奉修、誠におめでとうございます。仏祖三宝尊様御照覧のもと、このように盛大かつ厳粛に奉修され、あと二カ月と迫った、明年の『立正安国論』正義顕揚七百五十年の大佳節へ向かって、皆様方一人ひとりが、色鮮やかな桜によって荘厳された御宝前の御前にて、それぞれ折伏誓願成就のお誓いをされたことと存じ上げます。
さて、御住職様より何か話をするようにとの命がございましたので、僭越ではございますが少々お時間を頂戴したいと思います。
今宗門は、明年『正義顕揚の年』乃至広宣流布大願成就に向かい、僧俗一致・異体同心して、日本のみならず世界各国において、邪教と化した創価学会をものともせず、力強く前進しております。
そうした中で御法主日如上人猊下は、本年『躍進の年』を勝利する二大要件として、一つには「各講中ともに、本年度立てた折伏目標は必ず達成すること」。二つには、全国四ヶ所で開催する「地涌倍増大結集推進決起大会」を完全勝利することと、御指南されています。この二つの内の一つである東日本決起大会は、千葉布教区全支部が目標を大きく上回る結果を以て、完全勝利致しました。そして残るもう一つの要件である折伏誓願目標完遂の為、日夜各支部共必死に活動していることと存じます。しかし、そうした弛まざる信行の功徳は、必ず皆様の命の奥深くに積まれ、御自身の幸福の源となるのであり、どんなに大変でも、自分で出来うる限りの行学の二道の実践にいよいよ邁進して頂きたいと思う次第であります。
さて、文応元年(一二六〇)年七月十六日、大聖人様は大雨、大地震といった天変地夭、飢饉や疫病の苦しみに喘ぐ世の中の人びとを救済する為、『立正安国論』をお認めになられ、宿屋左衛門入道光則を通じて、時の権力者・北条時頼に捧呈し、末法における唯一無二の正法たる南無妙法蓮華経の正義を顕揚されたのであります。
この文応元年の国家諌暁を第一に三度、大聖人様は国家諌暁申し上げましたが、逆に大難四箇度、小難数知れずといった、命にも及ぶ程の法難を数多被られ乍ら、弘安二年十月十二日には本門戒壇の大御本尊様を御図顕遊ばされ、そして弘安五年十月十三日、滅不滅三世常住の相を現じて、末法の御本仏様としての本懐を成就され御入滅遊ばされたのであります。
それから七百年余り、その御精神は代々の御法主上人猊下によって受け継がれ、平成の今日、御当代御法主日如上人猊下に血脈相伝されております。
本日も『立正安国論』と大聖人様から日行上人、そして日有上人の申状を奉読致しましたが、いつの時代も時の御法主上人猊下は、時を鑑み、それぞれ時の権力者に対して国家諌暁申し上げ、国家安寧ならしめようと死身弘法の精神を貫かれてきました。そして本日奉読された申状をお聞きになって気付かれた方がいるかと存じますが、申状の中には必ず「副え進ず一巻立正安国論、先師日蓮聖人文応元年の勘文」とありますように、必ず『立正安国論』を副えて国家諌暁申し上げられたことがわかります。
そうした歴史と伝統を護持し、近代においては政府の政策における、仏教の各派統合問題において、日蓮正宗におきましては、その立場を頑なに貫き、日蓮宗他派との統合を退け、邪宗謗法から日蓮大聖人の正法を、不自借身命の精神を以て護られたのであります。
また今日に至る宗門七百五十年の歴史には、当にその時代における南条時光たる偉大な檀越が出現せられ、近世においては皆様も既にご存知の通り、天璋院篤姫や貞明皇后といった、それ相応の世間的立場における方々も帰依されております。それも偏に、御自身の立場の上から、国家の安寧を願うが故であり、またそうした方々によって、宗門は七百数十年の間、支えられてきたのであります。
そして今、当に日蓮大聖人様が『立正安国論』に認められた立正安国の御理想を皆様方一人ひとりが心中深く身に体し、真の平和仏国土を建設すべく、地涌の菩薩の眷属として実践しなければならない大事な時を迎えています。
この立正安国の語源についてを少々拝してみますと、この言葉には「正を立てて国を安んずる」、要するに大聖人様が説かれた正法によって国家を安穏にしていくという仏法実践の深く尊い意義が込められています。要するに宇宙法界森羅万象全てを網羅し、過去・現在・未来の三世を貫く因縁果報が示された正法正師の正義たる大聖人様の御教えを、私たちが折伏弘教に邁進することによって、大聖人様の立正安国の御理想実現にお応え申し上げることができるのであります。
特に御隠尊日顕上人猊下より賜った『立正安国論』正義顕揚七百五十年の「地涌倍増」と「大結集」の御命題を完遂することは、昨今の、五濁乱漫し、日に日に悪化する世情を浄化せしめる為の、唯一の浄業であり、是が非でも成就しなければならない目標であります。しかし、折伏、折伏とひとくちに言っても、そう簡単に成就できるものではありません。また易々と入信させることができた人は、意外と簡単に退転してしまうケースが少なからずあるのではないかと思います。
御法主日如上人猊下の御指南には、「折伏に当たって我々は、本当に相手を思う慈悲の心を持っているか。また、いかなる悪口罵詈・非難中傷・迫害にも屈せず、いかなる逆境でも乗りきっていく決意を持っているかどうか。一切の執着に執われず、不自惜身命の断固たる決意をもって折伏を実践しているかどうか。もし、折伏が思うようにならないというなら、今一度、この三軌に照らして自らの信心、自行化他の信心の在り方を点検すべきであります」と、法華経法師品に説かれる「衣座室の三軌」を挙げられ、私達が御命題達成に向けて、折伏に臨むべき姿についてを御教示されております。
特に自行化他の信心に住し、折伏行を実践していくことはこの上ない大慈悲行であり、広布大願の為、大聖人様より私達に課せられた使命でもあります。
また、この御法主上人猊下の御指南にもありますように、私達が折伏を行じていく中で必要なことは、まずもって慈悲の心であります。
ただ折伏成果を上げる為の折伏に執してはいないか。本当に相手の幸福を思う慈悲の気持ちがあるかどうか。こころの奧底から慈悲の心が湧き起こる程、唱題行を真剣に行じているでしょうか。
慈悲とは、そもそもその意味をたどれば、抜苦与楽、つまり「苦を抜き楽を与えること」を意味し、大聖人様は『観心本尊抄』に、「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたまふ」と仰せであり、『報恩抄』には「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」と仰せであります。
そして『御義口伝』には「一念三千は抜苦与楽なり」とあります。
要するに大聖人様が大慈大悲を以てお説き遊ばされた正法は、末法の全ての民衆をありとあらゆる苦悩から救済して頂くお力があり、私達はその意味をしっかりと拝受し、一人でも多くの人を悩み苦しみから救い出し、勇気と希望をもって与えられた人生を全うすることができるよう勤めなければなりませんし、そういった崇高な気概を持って折伏行に邁進することが求められます。
御隠尊日顕上人猊下は、「仏教の教えにおいては、特に行ということが示されておりまして、もちろん信ずる心が大切ではありますが、実際その信の姿を自らの身体に表していくというところに、おのずから大きな功徳が存するのであります」と御指南されており、また「皆様方が御承知のとおり、あらゆる宗教のなかで、唯一、我々が救われる道は日蓮正宗に伝わるところの日蓮大聖人様の三大秘法に帰することであります。しかし、この御法は自らが信心するとともに他に向かって説いていくという、自行化他にわたっての行が大事であります。南無妙法蓮華経と唱えることによって、たとえ御法門が解らなくとも、生活のなかに充実した妙法の功徳をおのずと感じてまいります」と仰せであります。
世の中に蔓延する邪義邪宗や、江原啓之、細木数子といった似非宗教者、または思想哲学において、口で最もと思えることはいくらでも言えるでしょうが所詮、誤ったものに人々を救う哲理も力もありませんし、逆に邪宗謗法の害毒によって、受けなくてもいい苦しみを自らよびおこし、苦しみを倍増させ、苦悩没落の人生を歩むこととなってしまいます。
更に日蓮正宗の信仰を行じる中でも、弛まざる真剣な仏道修行の実践が無ければ、思うように徳も積まれず、正法帰依の実証を自らの生活に顕すこともできません。ですから、しっかりと地中深くに根を張った草木のような信仰を心掛け、決してそれが根無し草のようなふらふらとしたものであってはなりません。
そもそも仏法においては先程も申しましたように、過去・現在・未来の三世を説き、その中での宿業の存続が説かれております。それ故過去の罪障と悪業の因縁により、時に人は思いもかけない苦悩や挫折を味わうこともあり、そうした因縁を断ち切るには、この日蓮正宗の信仰に縁し、謗法罪障消滅、宿業打開しなければ、その苦悩を根本から解決することはできません。
大聖人様は『弥源太殿御返事』に、「日蓮法華経の文の如くならば通塞の案内者なり。只一心に信心おはして霊山を期し給へ。ぜにと云ふものは用にしたがって変ずるなり。法華経も亦復是くの如し。やみには灯となり、渡りには舟となり、或は水ともなり、或は火ともなり給ふなり。若し然らば法華経は現世安隠・後生善処の御経なり」と仰せでありますように、あらゆる問題の解決の糸口はこの信心にあり、その力は私達人間が想像を絶する偉大で不可思議な果報をもたらし、また何よりも現当二世に亘る幸福な境界の確立を築くことができます。
また大聖人様は、
一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり
と仰せであり、毎日の弛まざる唱題行無くしては、慶びに満ちあふれる正しい人生の道標は決して顕われてはこないのであります。
そして、折伏していく上において、御隠尊日顕上人猊下は、「一つのポイントがあるのです。すなわち、身命を捨てて法のために生きようという信心と決意であります。この中心がはっきりあると、そこからずれていくことがないと思うのですが、このポイントがずれておると、一生懸命やっているつもりでもなかなかうまくいかないし、また、そのうまくいかない原因も判らないのであります。こういうことからも唱題が大事なのです」と御指南されております。
先日、私は同期生が岩手県釜石市の常説寺の住職としての赴任が決まり、その入院式に参加する為、前日から成田の智妙寺さんと釜石市内のホテルに宿泊しておりましたら、真夜中に震度五強という今迄味わったことのない大地震を、ホテルの九階で味わわせて頂きました。本日この席に座ることができたのも、私にはまだまだ今生でのやるべき使命があるのだと、痛感している次第であります。
このように、いつ何が起こるかわからない毎日にあり、人生八十年とも言いますが、私たちは三世に亘る永縁の生命の中の、ほんのひとときにあって、宿縁深厚にして末法濁世の闇夜を生きる一切衆生にとっての、勇気と希望のともしびたる、この唯一無二の正法に縁することができたのですからこそ、この千載一遇の機会を決して無駄にすることなく、今こそ真剣に「眦を決し、万事を閣いて信仰に生きる」ことが肝要ではないでしょうか。そこにこそ御自身の命をかけて、末法の衆生を救済すべく正義を顕揚された末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様に対する御報恩の義が具わるのであり、また皆様方一人ひとりのより価値ある人生と、この世に人として生を受けた本来の意義が存するのであります。
そして、
一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ
との大聖人様の御金言を肝に銘じ、ただ不可思議偉大なる冥の照覧と諸天の御加護を信じて、残りの二カ月を真剣に闘いぬき、本年『躍進の年』の折伏戦に必ず勝利し、御法主日如上人猊下の御指南にお応え申し上げていこうではありませんか。
最後に、明年『正義顕揚の年』の大佳節へ向け、皆様方の更なる御精進とご健勝、○○寺支部の益々のご発展を心よりお祈り申し上げ、本日のお話とさせて頂きます。
本日は誠におめでとうございました。