仏教説話 盗賊の出家

 昔、インドの都に、物を盗(ぬす)むことを楽しみ、それによって生活をしている男がいました。
 ある時、男は、王宮(おうきゅう)に忍び込み、塔に安置されていた宝珠をやすやすと奪(うば)い取ってしまいました。
 ひとりの大臣が王様に「この国で、盗みをなりわいとしている者はたった一人だけです。恐らく宝珠もその男が盗んだのでしょう。わたしに良い考えがあります。」と言って、早速手を打ちました。
 まず、男の家に使いを送って、酒やごちそうを振る舞い、すっかり酔って眠り込んでしまった男を車に乗せて王宮に連れて来ました。
 男が眼を覚ますと、そこはきらびやかな宮殿で、まるで天界にやってきたようでした。
 天女のように美しい侍女(じじょ)は、男に「あなた様が塔の上の宝珠をお盗みになったので、天界に生まれ変わることができたのです。わたしたち天女は、こうしてあなた様にかしずき、音楽を奏でて、その労を労(ねぎら)っているのです。」と言いました。
 男はおもわず「自分が宝珠を奪った男だ。」と言いそうになりましたが「待てよ」と思い止まりました。以前精舎(しょうじゃ)(寺院)に盗みに入った時、僧が唱えていた経文を思い出したからです。
 「世の人々と 天人の違いは 眼のまばたきにある 人のまばたきは一瞬で 極めて遅いは天人(てんにん)なり」という経文です。そこで天女の目を見ると、そのまばたきの早さは普通の人となんら違いがありません。男はわなにかけられていることに気付き、結局最後まで口に出さなかったので、目隠しをされ、また家まで送り返されました。
 男が一筋縄(ひとすじなわ)ではいかない相手であることを知った王様は、今度は男を大臣に任命し、宝物庫の管理を任せたのでした。
 王様は男の目をみつめて「わたしはお前を信頼している。宝物庫から宝物がなくならないように、よく管理してほしい。」と言いました。
 いまだかつて人から信用されたことのない男は、国王からこのような絶大な信頼を受けたことにより、すっかり感激してしまいました。
 ある時、王様は男に「わたしはかつて宝珠を塔に安置しておいたのだが、その宝珠が行方不明になってしまった。なんとも惜しいことをしたものだ。」と言いました。男は王様の信頼に心から感激していましたので「その宝珠は私が盗みました。王様からこのような厚い信頼を受けている身で、今さら言い出せず苦しんでいましたが、今となっては、どんな罰でも受ける覚悟でございます。」と正直に言いました。王様はそれ以上男の罪を問う事はなく「今まで通り仕(つか)えるように。」と言いました。
 ところが男は「私は僧侶が唱えていたお経によって、窮地(きゅうち)をしのぎました。この上は出家して、仏道修行に励み、仏様と王様の恩に報(むく)いたいと思います。」と言いました。
 王様の許しを得て、出家(しゅっけ)した男は、それから一生懸命、仏道修行に精進したということです。
 人は、他人からその悪や欠点を指摘されても、改心することは難しいのです。むしろ欠点を含めた全体を理解され、受け容(い)れられた時、自分の中に目を向けます。
日蓮大聖人様は「おのづからよこしまに降(ふ)る雨はあらじ 風こそ夜の窓をうつらめ」(御書七六二頁)と仰せです。
 要は、どんな人の心の中にも、仏様はいらっしゃるということです。