陰徳あれば陽報あり(平成26年6月)

陰徳というのは、人のしならないところ、見ていないところで善いことをすることです。

陽報というのは、目に見える形で善いことがあるということです。

ですから、人が見ていようと見ていなくても、進んで善いことをすれば、必ず自分に良いことが返ってくる、ということを「陰徳(いんとく)あれば陽報(ようほう)あり」といいます。

 

むかし、中国で秦と晋の国が戦っていた時のお話です。

秦は、晋の軍に攻められて秦の王である穆王(ぼくおう)のすぐ前まで攻め込んでくるほど苦戦していました。

穆王をまもる家来たちも必死で王様を守るため戦いましたが、じりじりとおいつめられていました。

 

その時、いかにも強そうな兵士が5人、どこからともなく現れて王様を守り、戦い、次々と晋の国の兵士を倒しました。

あまりに手強い山賊のような兵士が現れたことによって、晋の兵たちは逃げ出してしまい、その勢いにのって秦の兵が晋の軍に攻め込み、戦いは秦の国の大勝利に終わりました。

 

 

お城にもどった穆王は、自分を守ってくれた勇敢な若者たち5人を探し出し、ほうびを与えようとしました。

しかし、王様の前に現れた5人は、秦の国の兵士ではありませんでした。
もちろん、王様も全く見覚えのない顔ばかりでした。

穆王は5人に、「わたしは君たちの顔に見覚えがないが、君たちはどこから来たのかね?なぜわが軍に加わって、わたしをまもってくれたのかわからぬが、自分の命さえ惜しまない勇気ある戦いぶりは見事であった。よってほうびを与えよう。なんでも望みのものを与えよう」と言いました。

 

すると「はい。ありがとうございます。しかし、私どもは何も欲しいものはありません。
ごらんのとおり、わたしたちは主君をもたない山賊のような兵士です。実は私たちは…」と言って、次のような話をはじめました。

『若者たちは山賊で、ものすごく強い武士でしたが、どこの国でも、どこの誰だかわからない者は、いくら強くても1番下っぱの兵士としてしか、やとってくれません。5人はいつも、その下っぱの隊長とケンカをしては、国を追い出されて、ついに山賊になってしまいました。

5人は、時にはやとわれ兵になって戦ったり、山賊をして暮らし、家族を養っていましたが、ある冬のこと、食べるものもお金もなくなり困り果てていました。

そんな時、狩りをする穆王の一行を見つけました。一行は馬を木につなぎ、弓矢を背負って山奥に入って行きました。

若者たちは、何のためらいもなく、一番立派で大きな王様の馬を盗みました。

そして、5人はおなかをすかせた家族たちと、思いもよらない馬の肉のご馳走にありつけ、おなかいっぱいになりました。

しかし、その時大変なことをしてしまったことに気づきました。

秦の王様の馬を盗んで逃げ切れるとはとても思えず、捕まったら間違いなく殺されてしまうと思うと、冬の寒さも吹き飛び、汗びっしょりになっていました。

そんなことを考えているうちに、5人は王様の馬を盗んだ犯人をさがしていた兵隊に捕まってしまいました。
5人は馬の肉に目がくらんだばかりに、後悔しましたが、もうどうしようもありません。

ものものしい兵士たちによって、王様の前に引きずり出され、王様は「わしの馬を盗んだのはそのものたちか?馬の生肉を食べると病気になることがあるという。だれか、このものたちに酒をあげなさい」と命じただけで、死刑はもとより、何のおとがめも受けず、王様からもらったお酒のおかげで、5人の若者やその家族はだれも病気になりませんでした。

その後、5人はいつかこの慈悲深い王様に仕えようと、武術に磨きをかけ、訓練していました。
そして、秦の国が晋との戦争に負けそうだと聞いて、今こそ「王様に恩返しをする時」とかけつけ、秦の王様を必死に守ったのでした』と、5人は長い話を終え、「私どもは馬を盗んだ時のご恩返しをしただけですので、何のごほうびもいりません」と王様に言いました。

 

穆王は「それは、よい話を聞かせてくれた。むかしの聖人様の教えに、陰徳あれば陽報ありとあるが、それをわたしは身をもって行うことができ、あなたたちに命を助けてもらえたな。ありがたいことだ」と言って大変よろこび、更にその5人を身分の高い兵士として迎えました。

5人はようやく、山賊の身分を捨て立派な兵士になることができたのでした。

 

皆さんはこのお話を聞いてどう思いますか?

いま、いじめの問題が世の中でおこっています。
先生の知らないところ、見ていないところで友達をいじめる姿があったら、必ず御本尊様が力をかしてくれますから、皆さんは勇気を出して注意しましょう。

また、ぜったいに友達をいじめることのないようにしましょう。

仏様の教えでは、因果応報ということが説かれています。
これは自分の行ったことは、必ず自分に返ってくる、ということです。

ですから、いじめをしている子は、いつか必ず自分がいじめられる時がきます。

そして、お父さんやお母さん、学校の先生に言われる前に、進んで良いことをしていきましよう。

たとえば、家の部屋や学校の教室がよごれていたら、おそうじをしたり、色々とこまっている子がいたら、助けてあげたりと、自分でよく考えて行動しましょう。

そして一番大事なことは、朝晩の勤行をしっかりすることです。

お父さんやお母さんと一緒にできなくても、学校から帰ってきたり、夕方になったら、御本尊様のお水を下げて、1人でも夕勤行ができるようになりましょうね。

これが、「陰徳あれば陽報あり」ということで、毎日しっかり勤行と唱題をすれば、未来にきっと良いことがおきますよ。