馬小屋に閉じ込められた貞遠(令和3年10月)

馬小屋に閉じ込められた貞遠(うまごやにとじこめられたじようえん) 令和3年10月度 若葉会御講

 むかし、比叡山(ひえいざん)の西塔(さいとう)に貞遠(じようえん)という僧侶がいました。三河国(みかわのくに)(現在の愛知県東部(あいちけんとうぶ))の出身で、幼い頃に比叡山に上って出家(しゆつけ)し僧侶となり、師匠(ししよう)について修行していました。 やがて貞遠は師匠より『法華経(ほけきよう)』の教えを教わるようになり、毎日『法華経』を読経していました。貞遠はたいへん利口な子供で、数年後には法華経のすべてを暗誦(あんしよう)できるようになりました。また、彼ははつ音がとても正確で、しかも人より早口でした。一部八巻ある法華経を、他の僧侶が一巻読経する間に、貞遠は八巻すべてを正確に読経することができました。貞遠は、口にいつわりなく正しいことを話し、身に正しく行い、心に真実の気持ちを持ち続けました。この清浄(しようじよう)な身口意(しんくい)の三業によって、六根(ろつこん)(身心)も清浄で、一つの戒も犯(おか)すことはありませんでした。このように修行を続けた貞遠は、いつしか年月を重ね立派な僧侶となり、「故郷の山のお堂にこもり、そのお堂で修行し生涯を終えたい」と思うようになりました。
 貞遠は長年修行し、お世話になった比叡山を去って行くことはとても寂しい思いで、師匠に対する恩返しも充分ではありませんし、様々な人々との別れも辛い思いでした。しかし、貞遠は意を決して比叡山を去ることにしました。そして、念願どおり故郷の山のお堂で、毎日『法華経』を修行する日々が続きました。
 そんなある日のこと、貞遠は用事があって里に下りることになり、一人で馬に乗って里へと向かいました。その途中、国司(こくし)(現在の県知事)一行(いつこう)が帰宅のため、反対側よりやってきて、すれ違いざま、貞遠は無礼(ぶれい)のないよう道の端(はし)によって一行が通り過ぎるのを待ちました。貞遠は馬に乗ったままでしたが、頭を下げて国司一行に礼を尽くし、すれ違うのを待ちました。
 その時です。国司は馬の上から貞遠に対し、「無礼者(ぶれいもの)。わしはこの国の国司であるぞ。この国では僧侶であろうが、どんなに身分の高い者であっても、皆この国司に従わなければならないのだ。それなのにお前は馬から降りもしないで、通りすぎようとした。まことにもって無礼な奴だ」と言って、国司は「この者をつれてこい」と、家来に命じました。貞遠は馬から引きずり下ろされ、手を縄でしばられ、国司の家につれて行かれました。そして、そのまま馬小屋に入れられました。
 家来は、国司に命じられるままに、さんざん貞遠を鞭(むち)で打ちましたが、貞遠はなんの抵抗もせずに、「これも自分の宿世(しゆくせ)の悪業によるものだ。この痛みを耐えることで、過去の罪を消すことができるのだ」と覚悟し、ひたすら心の中で法華経を唱えていました。貞遠は、家来がどんなに鞭で自分を打っても、国司に詫(わ)びることもなく、「助けてくれ」と、許(ゆる)しを乞(こ)うこともなく、ただ静かに毅然(きぜん)として法華経を唱えているだけです。
 家来は、だんだん痛みに耐えている貞遠がとても高貴な人に思え、打ち続けている自分が非情な悪人に思い、それ以上貞遠を痛めつけることができなくなりました。家来はそのことを国司に報告しました。国司は、「しぶとい奴だ。素直にあやまれば返してやるものを。今日はそのまま馬小屋に放り込んでおけ」と命じました。
 その夜のこと、国司はある夢を見ました。それは、『国司が尊い普賢菩薩(ふげんぼさつ)を馬小屋に連れて行って痛めつけ、そのまま閉じ込めてしまったのです。するともう一人の普賢菩薩が白(はく)像(ぞう)に乗って馬小屋の前に現れました。そして額(ひたい)から光りを放って奥の方へ進み、前に捕(と)らわれていた普賢菩薩の前に座り、「本当にひどい目にあわれましたね」と、手をついてお慰(なぐさ)めしている姿でした』という夢でした。
 国司はビックリして、夢から覚め、体中冷や汗をいっぱいかいていました。国司は、今日捕らえた僧侶が、実は普賢菩薩の生まれ変わりではないかと思い、まだ真夜中でしたが人を呼び、馬小屋に閉じ込めていた僧侶を連れて、今すぐ自宅に連れてくるように命じました。
 国司は貞遠を玄関で出迎え、お座敷(ざしき)の上座(かみざ)に案内し、自分は正装(せいそう)をして下座(しもざ)に座り、「お聖人(しようにん)さま、このたびのご無礼、なにとぞお許し下さいませ」と、国司は土下座(どげざ)をしてお詫びしました。そして、「お聖人さまは、どのようなお勤(つと)めをなさっておいででしょうか?」と尋ねました。すると貞遠は、「わたしは特別な修行はしておりません。ただ幼いころより、毎日、朝夕、日夜に法華経を読経(どきよう)しております」と答えました。国司はさらに驚き、「実は私は今晩、ある夢を見ました。それは法華経に説かれる普賢菩薩を馬小屋に閉じ込めた夢です。お聖人さまが毎日法華経を読経されているため、仏さまが私を戒めた夢だと深く反省しております。今日よりは私はお聖人さまを敬い仕(つか)えてまいります」と貞遠に言い、国司はすぐさまお堂を国司の自宅近くに建てて、貞遠をお招きし、日々の食事や衣服等の供養に努め、心から家来と共に貞遠に仕えました。
 その後、三河(みかわ)の人々は、「たとえ僧侶に多少の過失があったとしても、それを厳しく責めるようなことをしてはならない」と、言い伝えたとのことです。
 皆さんは、先生や友だちに対してしっかり挨拶できていますか?学校の先生は勉強を教えてくれる、皆さんにとって大事な先生です。ですから、尊敬して、しっかり大きな声で挨拶をできるようにしましょう。また、友だちに対しても同様です。気が合う、合わない。好き嫌いなど、色々とあるかもしれませんが、私たちは誰に対しても優しく穏やかに接することが大切なことです。また、例えば電車やバスに乗っている時に、高齢のおじいさんやおばあさん、ケガをしている人、お腹の大きい妊婦(にんぷ)さんに座席を譲ったり、困っている人を助けたりと、日ごろからあらゆる人のことを考え、その思い、考えたことを行動を移すことを考えて見て下さい。
 国司は、自分の身分に執われて、尊い法華経の教えを修行している僧侶を軽んじ、仏さまの夢によって、自分自身のおごり高ぶること、自分はえらいんだという心を反省しすることができました。心から人を敬い、心から相手を思いやり、やさしく接することはかんたんなことではありません。しかし、私たちのことを仏さまはいつも見ています。仏さまにおほめ頂けるようなことを行い、しかられることがないような行いをしてまいりましょう。そして、いつの日か、お友達や親戚、知り合いをお寺にお連れして、一緒に信心できるように、正しい信心の大切さを学んでまいりましょう。