御報恩御講住職指導(令和7年4月)

 大聖人様は『御義口伝』に、「大願とは法華弘通なり」と仰せになられ、また毎日朝勤行の四座の御観念文において、「祈念し奉る一天四海本因妙、広宣流布、大願成就御祈祷の御為に」と観念されていると思います。日蓮正宗の僧俗にとって、宗祖日蓮大聖人様の御遺命たる日本乃至全世界の広宣流布の大願を成就する為に、日々折伏弘教への志を立てて精進の誠を尽くし、自他共の幸福なる境涯を目指して行くことがいかに大切なことであるかを、本日拝読の御書を通してよくよく感じられたと思います。さらに、御自身の罪障消滅宿業打開、所願成就や諸難困難の解決に向けても同様でありますが、その成就に向かっての基本中の基本、根本中の根本行は、ただ偏に御本尊様への唱題行に尽きます。どれだけ時間を割いて余念無く真剣に唱題に徹することができるか否かに、今後の人生が左右されると言っても過言ではありません。
 この妙法唱題について御先師日顯上人の御指南に、「『総勘文抄』に、『此の度必ず必ず生死の夢を覚まし、本覚の寤に還って生死の紲を切るべし』と説かれている。この『生死の夢を覚まし』とは、どういうことか。思えば、人々の生活は皆、生死無常そのものである。その現実が夢であると言われるのは、生と死に挟まれた毎日の生活において、本理に基づく人生の正しい目的を弁えず、五官の楽しみや権勢、名誉等の自我中心の生活に明け暮れることが、いわゆる酔生夢死であり、夢中の生活だからである。ならば、人生の正しい目的とは何か。それは自己の欲望のためにのみ生きるのではなく、根本的な法理を元として、他を幸福に、また他を救うために、自ら尊厳の自覚をもって、楽しく清らかに生活の各方面に勇往邁進しきっていくことである。これが三世常住の勇猛心であり、『本覚の寤に還る』とはこのことである。この尊い人生が、巧まずして自然の形で現れる唯一の秘術は、ただ妙法を受持することである。次の『生死の紲を切る』とは、過去・現在・未来の三世にわたり、妙法の人生としての自覚に立った生命となることであり、そこに今生のみに執われた自我の煩悩による生死の紲を切り、三世常住の本覚の寤を得る。故に、妙法の唱題こそ大切である」と仰せられております。
 この御指南を拝した時、果たして自分は大聖人様をはじめ御歴代御法主上人の御指南に沿い奉った日々を過ごしているかどうか。学生なら学生の本分として学業に努め、成人したならば国民の三大義務として「勤労・納税・教育(子供に対する)」が日本国憲法に定められており、一期の人生においてしかるべき義務を真剣に務めつつ、その日々を正法の受持信行によって、より有意義且つ有益なる結果を求め、令和の法華講衆として恥ずべき姿がないよう、その使命と責務を全うすることに重点を置くべきであります。末法五濁悪世の様相を呈する世の中の風潮や時代の流れに決して身を任せることなく、宗門七百五十年の歴史と伝統を継承し、自我邪見に執することがないよう自身を戒めるべきであります。
 世情混沌とする今こそ、大聖人様が「我が弟子等、行動ををこせ」と仰せになられていると拝し、自身の幸ある日々と世情の浄化矯正は、末法唯一無二の正法弘通にあることを今一度銘記し、今年こそは必ず「折伏成就」という大願を成就すべく、新年度を迎えた今こそ心を入れ替え事に当たって頂きたいと心より念願いたします。