両目が開いた妙昭(令和4年5月)

両目が開いた妙昭(りようめがひらいたみようしよう)

                      令和4年5月 若葉会御講        

 むかし、信濃国(しなののくに)(今の長野県)に妙昭(みようしよう)という目の見えない盲目(もうもく)の僧侶がおりました。両目が不自由で物を見ることはできませんでしたが、日夜に「法華経(ほけきよう)」を読誦(どくじゆ)しておりました。7月15日、妙昭は托鉢の修行に出かけました。ところがその日はどうしたことか、道に迷って深い山に入り込んでしまい、1軒の山寺をみつけてそこで休ませてもらうことにしました。
 寺の年老いた住職は、盲目の妙昭を気の毒に思い、快(こころよ)く妙昭を山寺に招き入れました。そして、妙昭に、「わしはこれから法事があって村里まで出かけるので、しばらくここで休んでいなさい。帰ってきたら、あなたを里まで送っていきますからね。1人で出かけて行くとまた迷ってしまうから、ここで待っていてくださいね」と言って、食料を少し与えて山を下りて行きました。妙昭は住職がすぐ帰って来るものと思っていましたが、夜になっても翌日になっても、帰って来ません。始めは一人で、なれない山寺で心細かったのですが、そのうち腹がすわりなれていきました。
 住職は5日たっても、3ケ月たっても、ついに帰って来ませんでした。もらった食料はとうになくなりました。妙昭は毎日仏さまの前に座って「法華経」を読んで、山寺の近くで食べられそうな草や木の葉っぱを採って飢えをしのいでいました。
 季節は11月になっていました。雪がふるようになったら、自分はもう飢(う)え死にするだろうと思いながら、法華経を読んでいると、「御僧侶よ、なげくことはありません。私があなたを助けてあげます」という声が聞こえました。妙昭はとっさに仏さまの声だと思いました。その時、急に大風が吹き、大木の倒れる音がしました。妙昭が外に出て、手探りで様子をみると、梨の木と柿の木の大木(たいぼく)が倒れていました。妙昭は梨の実と柿の実をたくさん取りました。実(み)は甘くて、とてもおいしく、妙昭はこれで当分、食料に事欠くことはありませんでした。妙昭は、「これは偏(ひとえ)に法華経読誦の功徳だ」と確信しました。冬の間、倒れた木の枝を薪(たきぎ)として、寒さをしのぎました。
 やがて年が明け、春になりました。ある日、村人がやって来ました。村人は妙昭を見るとびっくりして、「あなたは誰ですか。いったいどうしてここにいるのですか?」と怪しんで聞きました。妙昭は「去年の7月に、迷ってこの山寺に来たこと、住職から留守をたのまれたこと、そして今日までのこと」を詳しく話しました。村人は、「住職さんは去年の7月16日、急病のため、村で亡くなりましたよ」と答えました。それを聞いて妙昭は泣き、悲しみました。そして「私は住職さんが亡くなられたなどと、思ってもみませんでした。ただ、どうして帰って来てくださらないんだろうかと、見捨てられた気持と心細さで、悲しく恨んでもおりました」と言いました。
 その後、妙昭は村人に手を引かれ村里に行き、そこで暮らすことになり、以前にもまして妙昭は、一生懸命に法華経を読誦するようになり、住職の追善供養も真心をもって行いました。その頃、病気で苦しんでいる人がいました。それを聞いた妙昭は法華経を読誦して病気が治るように祈りました。すると、不思議なことに、法華経を聞いた病人は、すぐに病気が治ってしまいました。
 こうして村人たちは妙昭に導かれ、法華経を信仰するようになりました。多くの人たちの病気や苦しみが解決するにしたがって、全く見えなかった妙昭の眼が少しずつ見えるようになりました。妙昭は法華経の功徳を身をもって体験しました。
 今日の話は法華経信仰の功徳の話です。妙昭が飢え死にしなかったこと、村人の病気が治ったこと、妙昭の目が見えるようになったことなどです。又、なによりも住職が帰って来なかったことを恨んでいた心が、真実がわかって、後悔の心、慈しみの追善供養の心に変わったことです。
 悪に縁すれば悪の心に、善に縁すれば正善の心に変わります。法華経は最善の教えであり、法華経を読誦した功徳によって、護られ、幸せになれたのです。法華経の開経である無量義経というお経には、法華経を信じる功徳として、
  いかりの心は、がまんの心に いばる心は、規則を守る心に
  乱れた心は、安定の心に ぐちの心は、智慧の心に
  欲ばりの心は、ほどこしの心に 執着の心は、とらわれのない心に
  しっとの心は、喜びの心に 退転の心は、不退転の心に
  まよいの煩悩の心は、まよいを滅する強い心に
と、それぞれ変わっていくという心の功徳が説かれています。
 皆さんは、悪口を言われていかりの気持ちが出てきても、がまんの心が起これば、友だちとけんかしなくてもすみます。あれが欲しい、これが欲しいと思う執着する心も、欲の心がなくなれば、欲しいものが手に入らなくても少しも不幸な気持ちではありません。かえって人のために何かしてあげられることに幸せな気持になれるのです。規則が守れるようになれば、自分勝手の自由が、実は我がままだということに気づきます。自己中心の身勝手な幸せは、実は不幸な姿だということに気づきます。辛いという字に一本の棒を加えれば、幸せになります。薬という字から草かんむりを取れば楽しみになります。苦しいという字をチョット変えてみれば、若いということになります。辛いことが幸せに、にがい薬で楽しい人生を、苦しみを乗り越えて若々しく。このチョットした違いが、自分に負けない強い心を作るのです。眠たいけど、朝の勤行を続けていく、遊びたいけど勉強する、欲しいものがあるけどが少しまんする、言い訳したいけど素直に親の言いことを聞いていく、こんなチョットしたことの積み重ねが苦を楽としていく力なのです。
 妙眞寺には、古い信者さんに北原鉄雄さんという方がいました。そのお父さんが北原長太郎さんといい、その方は病気でほとんど目が見えない状態でした。しかし、この大聖人さまの信心に出会い、毎日朝・昼・晩に勤行を起こい、1万遍のお題目を唱え続け、ついに目が見えるようになりました。そして、その姿を見た鉄雄さんのお兄さんで、有名な歌人の北原白秋さんという方が、この信心の素晴らしさを感じて、一緒に信心を行っていくことになり、総本山大石寺にも家族で登山参詣しました。
 世の中は今コロナ禍となって3年目になりました。今も、毎日日本国内でも1万人以上の人が感染しています。ですから、私たちもいつ新型コロナウイルスに感染するかわかりません。もちろん、感染しないことが1番ですが、学校や塾など色々な場所で感染するかもしれません。しかし、この信心を一生懸命行っていれば、感染しても必ず乗り越えることができる、御本尊さまが守って下さると信じて、毎日勤行・唱題を欠かさず行っていってください。また、新型コロナウイルスだけではなく、これから皆さんが人生を送っていく中で、様々な病気にかかることもあると思います。そうした時こそ、できれば日頃から、いざという時のために、真剣に勤行・唱題を行って下さい。そうした姿を御本尊さまは、いつもご覧になっています。そして、病気だけではなく、色々な場面で御本尊さまが皆さんを助けて下さると信じて下さい。
 住職さんは、皆さんが立派に成長して大人になり、お寺にも毎月欠かさず参詣して、悩んだ時も、困った時も、辛いと思う時も、お寺にきてお題目を唱えて行けば、すべてが解決して、楽しく喜びあふれる毎日を送ることができると、皆さん全員が思えるように、心から願っています。