鴨の夫婦(令和3年7月)
むかし、京都(きようと)に一人の若いお侍(さむらい)さんがいました。家には妻がいて、貧(まず)しい生活でしたが明るく暮らしていました。1年後、妻(つま)は出産して子供にお乳を与(あた)えるため、「肉を食べて栄養(えいよう)をつけたい」と言いました。しかし、市場(いちば)に行って肉を買うにもお金がありませんので、考えたあげく、お侍さんは、色々な鳥が水を飲みにやってくる、遠くの深泥池(みぞろがいけ)で狩(か)りをすることにしました。
お侍さんは、夜明け前、弓矢を持って家を出て、深泥池にやってきました。草むらにひそんで様子をうかがっていると、鴨の夫婦(ふうふ)がやってきて、仲良く水浴(あ)びをしています。そのうち鴨がお侍さんの隠れている茂みに近づいてきました。お侍さんは、そうっと弓矢を構(かま)え、大きい方の雄(おす)の鴨を狙いました。矢は鴨の胸元に命中し、おどろいた雌(めす)の鴨は一声鳴いて飛び立って行きました。お侍さんは、「これで妻に肉を食べさせてあげられる」と喜び、鴨を捕まえ、急いで家路(いえじ)につきました。途中、日が暮れ、家に着いたときは夜になっていました。お侍さんは妻に、捕ってきた鴨を見せ、「どうだい、肉付きのいい鴨だろう。明日、お鍋(なべ)にして食べさせてあげるよ」と言い、妻は大変喜び、鴨を吊(つ)るして二人は眠りにつきました。
真夜中のことです。ばたばたと羽根を動かす音で、お侍さんは目を覚ましました。おそるおそる鴨を吊したところへ行ってみると、なんと1匹の鴨が雄鴨(おすがも)の周りをグルグルまわっているのです。「あっ、これはあの仲の良かった雌鴨(めすがも)だ。夫を慕(した)いずっと後をつけてきたのか。なんとか助けたいと、このようにつついたりグルグル回っているのか」。雌鴨は、お侍さんが近づいても、雄鴨から離れようとはしません。お侍さんは急に悲しくなり、「鴨という畜生(ちくしよう)の身であっても、夫を恋(こ)い慕って命を惜しまず、こうして遠いところまでやってきて、離れようとはしない。自分はいくら妻と子供のためとはいえ、あんなに仲の良かった鴨の夫を殺し、すぐ明日の朝には食べてしまおうとしている。ああ、なんと無慈悲(むじひ)なことをしてしまったんだろう」と思い、お侍さんは妻を起こし、妻も雌鴨のいたいけな行動を見て涙しました。そして、夜が明けても2人は鴨を食べる気にはなれず、土を掘(ほ)りそこに埋(う)めて、手厚く葬(ほうむ)りました。
雌鴨はいつまでも雄を葬ったところから離れようとせず、悲しい声をあげて鳴いています。お侍さんは涙を流して、「かわいそうなことをしてしまった。自分たちのことばかりを考え、雌鴨に悲しい思いをさせてしまい、本当に申しわけない」とお詫(わ)びました。お侍さんは、妻のためとはいえ雄鴨を殺してしまい、畜生である鴨でも夫婦の愛情、お互いを思いやる気持ちは尊いものであり、自分の命さえも惜しもうとしない雌鴨の必死な行動に心打たれたお侍さんは、このことが縁となり、侍をやめるため、髷(まげ)を切って出家し、生命の尊さを教える慈悲深い僧侶となり、一生を終えました。
皆さんは、ふだん何気(なにげ)なく肉や魚を食べていると思いますが、鳥や家畜も、魚にも家族がいたはずです。きっと、捕らえられた時、残った家族は悲しい思いをしたはずです。また、お米や野菜、果物も、それぞれ農家の方たちが、毎日一生懸命汗水流して栽培し収穫することによって、そうした食べ物を食べることができます。ですから、食事を頂く時には、お題目を三唱して「頂きます」と、それぞれに感謝の気持ちをもって頂き、生きものを大事にする気持ち、農家の方々への感謝の気持ちを持つようにしましょう。そして、食事を頂くことによって栄養をもらい満足することなく、尊い他の命を頂いた分だけ、世の中のために役に立てるような人になれるよう心掛けましょう。また、外食して焼き鳥屋さんに行ったり、焼き肉屋さんに行って、「楽しい思いをしておいしかった」と思うだけでなく、「その分自分は世の中の人たちのためにお役に立ちますよ」という心を忘れないで下さい。
また、小中学生は義務教育、そして高校や大学生で勉強する人もいると思います。果たして何のために勉強するのか?また、私たちはなぜ信仰しながら毎日の生活を送るのか?そうした疑問を持つ時があると思います。それは、いざ自分が社会人になったとき、今まで勉強したことが役に立ったと思う時が必ずきます。また、大人になっても勉強することは沢山あります。ですから、今は今すべき勉強をしっかり行い、例えば将来結婚して子供が産まれ、やがて子供の勉強や宿題を見てあげるとき、自分が勉強してきたことを子供に教えるのですから、そうした時にも役立つ時もきます。成績はともかく学生時代は勉強が仕事だと思って、一生懸命勉強してあらゆる知識を身に付け、その知識を活かして世の中の人のために役立つことができるよう、がんばって下さい。
また、私たちは勤行や唱題を行いながら毎日の生活を送っていると思いますが、それは仏さまからの尊い智慧や徳を積ませて頂き、正しく尊い人生を送るためであります。世の中では悲惨な事故や事件、大雨や大地震が色々なところで起こっています。では、なぜこうしたことが起きるのでしょうか。それは、人の心が悪に染まったり、警察に捕まるような悪いことをする人たち、間違った宗教を信じている人が沢山いるため、そうした悪の心や思い、教えが世の中に充満することによって、自然災害や不幸な出来事が沢山起きるのです。
ですから、私たちはそうした不幸な出来事に巻き込まれることがないように、ましてや悪い心を起こすことがないように、信心に励み清く正しい心を絶やさず持ち、何か困った時、願い事がある時には、御本尊様にお題目を唱えて困難を乗り越え、願い事が成就することができるように、一生を送ることが大切なことであります。そして、こうした有り難い大聖人さまの信心を実践できることに感謝し、誰にでもやさしく接し、もし周りに悩み困っている人がいたら、親身になって相談にのり一緒に解決できるよう、頑張っていきましょう。