指導教師指導⑤

 皆さんこんにちは。
 本日は、婦人部広布推進会に当たり、各支部婦人部の皆様方におかれましては、お休みのところまた、お忙しい中、御信心以ての御参加、誠に御苦労様でございます。
 いよいよ寛元4年(1246年)3月8日に御誕生された第二祖日興上人様の御生誕七百七十年の大佳節まで1年を切りました。いま、私達は法華講員50%増の御命題成就の為、いずれの支部も、本日お集まりになられている婦人部の皆様が中心になって、地涌の菩薩の流類としての尊い折伏下種活動に東奔西走されていることと存じます。よって各支部の法華講員50%増の御命題成就の鍵は、皆さん婦人部にかかっていると言っても過言ではないかと思います。
 日蓮正宗760年の歴史を拝してみましても、江戸時代には徳島藩主・蜂(はち)須(す)賀(か)至(よし)鎮(しげ)公夫人の敬台院殿は、多大なる総本山維持基金の御供養や、総本山御影堂の建立寄進、僧侶の学問所である細草壇林の設立寄進、徳島・敬台寺の建立寄進をはじめ、近親者への折伏・子孫への法統相続にも余念無く、長女・芳春院の子である、鳥取藩主・池田光仲公は、若くして亡くなった母の菩提の為に、鳥取に日香寺を建立されております。
 また、徳川六代将軍家宣公夫人の天英院殿は、東京・向島の常泉寺本堂建立や大石寺三門造立に尽力されております。
 近世においては、政情不安定な幕末から昭和初期の時代に、天璋院篤姫や大正天皇皇后陛下・貞明皇太后様も本宗に帰依せられ、心より国家安寧を御本尊様に祈られたこととご拝察するところであります。
 こうした御婦人御信徒方の歴史と伝統を受け継ぐべく、本日お集まりの婦人部の皆様には、益々信心強盛に御精進の誠を尽くして頂きたく存じます。
 さて、この信心の二文字に含まれる内容は縦横無尽であり、大変重要な意義があります。
 本日は、その意義と信心の具体的実践についてを、少々申し述べさせて頂きます。
 大聖人様は、『念仏無間地獄抄』に「信は道の源功徳の母と云へり。菩薩の五十二位は十信を本と為し、十信の位には信心を始めと為し、諸の悪業煩悩は不信を本と為す云云。然れば譬喩品十四誹も不信を以て体と為せり」と仰せられ、『法華題目抄』には「夫仏道に入る根本は信をもて本とす。五十二位の中には十信を本とす。十信の位には信心初めなり」と仰せられ、「信心」という言葉は、菩薩の五十二位、要するに十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚の根本、十信の始めの信心という事からきております。そして、その十信の名目を挙げますと、「信心・念心・精進心・慧心・定心・不退心・回向心・護心・戒心・願心」の十の心をいいます。
 このように、「信は道の源、功徳の母」と言われる根本の信心は、この十心が具足した信心でなければならない、という事であります。
 それではこの十信について、一つ一つを簡単に拝しますと、第一の「信心」とは、清浄な心を以て、仏・法・僧の仏祖三宝尊様に対する信を起こし、発心し、随順して疑わないことを言います。
 すなわち、三宝の根本であり法の宝たる、宗祖日蓮大聖人の魂であり、御内証の悟りであり、御本懐たる本門戒壇の大御本尊様を、末法における唯一無二の仏法の根本、御法体として信じ仰ぐことであります。
 次に仏の宝たる宗祖日蓮大聖人様は『開目抄』に「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」と仰せの通り、主師親の三徳兼備にて、末法尽未来際に亘る御本仏様として仰ぎ奉り、その御金言、御振る舞いを拝し奉ることであります。
 そして、僧の宝として拝すべきは、大聖人様が「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり」、「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す」と仰せの通り、大聖人様がただ一人、大聖人様の御法体、仏法全ての極理を唯授一人血脈相承遊ばされた第二祖日興上人様であります。そして、日興上人様を随一として、その血脈を脈々と受け継がれた御歴代御法主上人猊下を僧宝と仰ぐのが、日蓮正宗僧俗としての信心であります。
 ただ、この仏法僧の三宝の名目を学び、覚え、知っているだけでは何もなりません。如実に三宝を信じ、帰依し、随順し、報恩致し、供養の誠を尽くし、三宝を受持信行していくところに自ずと功徳利益が具わるのであります。

 第二の念心とは、六念の法をいいます。これは仏、法、僧、戒、施、天の六つを深く念ずることであります。はじめの仏法僧の三つは言うまでもなく、三宝を意味します。次の戒を念ずるとは、妙法の受持即持戒、尽きるところ『教行証御書』の「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為り。此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持って後、行者破らんとすれども破れず。是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つべし」とのことであります。次に施を念ずるとは、一切の人々に対し、慈悲の折伏を施すことを意味します。そして天を念ずるとは、日頃私達を守護して下さる諸天善神に妙法の法味を供え、諸天の冥加、守護を受けることを言います。これら六念心は、毎朝五座の勤行における観念文に全て成り立っていると言えます。広布大願の為に、一家安穏の為に、罪障消滅、宿業打開の為に、祈り念ずること、この祈念こそが念心であります。
 
 第三の精進心とは、精進の心、いわゆる勇猛精進していくことをいいます。要するに、懶惰懈怠無く、不平不満言うことなく、ただ一心に精進していくことであります。

 第四の慧心とは、以信代慧という言葉もありますように、大聖人様の正法を信受し、御法主上人猊下の御指南を肝に銘じ、『土篭御書』に「法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」と仰せの如く、口ばかり、形ばかりの御座形の信心ではなく、身口意の三業相応の信心を以て智慧とすることをいうのであります。

 第五には、定心という事であります。これは、深く静慮し、余念、雑念、散乱の心をなくし、御本尊様の前に端座して勤行唱題に励み、即身成仏の境界を開く事を言います。

 第六番目は不退心、つまり不退転、不動の信念を持つことであり、いかなる誹謗、中傷を受けても、怯まず、恐れず、決してその信心が紛動されないことをいいます。

 第七の戒心とは、大聖人様の正法正義こそが末法唯一無二の即身成仏の教えであり、その他のあらゆる宗教は無得道、邪宗謗法の教えであるとの確信をもって、十四誹謗をはじめ、一切の謗法を犯さないと、決意することをいいます。
 
 第八の回向心は、すなわち『開目抄』の「仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」との御文の通り、四恩報謝の心を起こして信行の実践、仏法僧の三宝様への御報恩による総本山並びに菩提寺への参詣、師匠への報恩感謝、父母への孝養、一切衆生への慈悲の上の折伏を行じ、これを怠ってはならない、ということであります。

 第九の護心は、護法の心を持つことであります。これは、宗祖日蓮大聖人の御法体たる人法一箇の御本尊様とその教義、信条、総本山大石寺と大聖人様よりの法統を、連綿として受け継がれている、唯授一人血脈付法の御法主上人猊下に信伏随従し、折伏弘教に勤め広宣流布を目指して、異体同心の信心を行ずることであります。とにかく、日蓮正宗を離れての信仰には全く功徳利益が無く、ましてや創価学会や正信会、顕正会等の新興宗教は、日蓮大聖人との縁もゆかりもない外道であると断じ、愛宗護法の念を持つことが肝要であります。
 そして最後が、願心であります。これは、菩薩の四弘誓願、衆生無辺誓願度、煩悩無数誓願断、法門無数誓願知、無上菩提誓願証の四弘誓願を持つ事をいいます。この四弘誓願について大聖人様は『御義口伝』に「所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度肝要なり。今日蓮等の類は南無妙法蓮華経を以て衆生を度する、是より外には所詮無きなり」とありますように、大聖人様は四弘誓願の第一、衆生無辺誓願度、いわゆる衆生教化という化他行を重んじ、地涌の菩薩の流類として折伏の誓願を起こし、南無妙法蓮華経の大法を弘通する菩薩道の姿に、他の三つの誓願も、煩悩即菩提、生死即涅槃として即身成仏を境界を得て、四弘誓願を成就することができるのであります。更に、大聖人様は『上野殿御返事』に、「願はくは我が弟子等、大願をおこせ」、また『法華真言勝劣事』には「四弘誓願満足せずんば又別願も満ずべからず」と仰せであります。
 ですから、まずもって『誓願貫徹の年』の今、皆様一人ひとりが折伏の誓願を起こし、行動する。そしてまた、あらゆる願い、目標、志を打ち立て、その成就の為に真剣にお題目を唱えていくことが、大聖人様が私達日蓮正宗の僧俗に御指南された姿であり、そこに又自らの人生にその功徳利益が必ず不可思議な実証として顕れ、更なる御本尊様への確信へと繋がるのであります。
 以上、本日は十信についてをごく簡略に申し上げましたが、この十信具足の信心を持ち、道心を起こして行じていくことが、冒頭に申し上げました「信は道の源、功徳の母と云へり」の深義であり、皆様方一人ひとりの万代に亘る幸福の源、功徳の源泉となり、『色心二法抄』の「大慈悲心・菩提心を意得べし。其の故如何となれば、世間の事を案ずるも、猶心をしづめざれば意得難し。何に況んや、仏教の道、生死の二法を覚らんことは、道心を発こさずんば協ふべからず」と仰せの通り、いよいよ求道の一念を以て、明年の第二祖日興上人御生誕七百七十年の大佳節に向かって、精進の誠を尽くして頂きますことを衷心よりお祈り申し上げ、本日の指導とさせて頂きます。
 御静聴、誠にありがとうございました。