指導教師指導⑥
皆様こんばんは。
本年「行動の年」の上半期もあと数日となり、いよいよ平成二十一年の大佳節に向けて、地涌倍増と大結集の御命題達成の為、各支部一丸となって日夜御精進の事と存じます。
さて、本日は皆様のお手元にお配りしている折伏・育成・学会破折のチラシについて、少々拝していきたいと思います。
まず折伏用の、王様と学者~四苦八苦を越えて~のチラシがございます。
そもそも仏教は、この四苦八苦を如何に乗り越えるかということを基本テーゼにその教えが説かれ、特に仏教の初門である、小乗教のお経典には、まず私達の生命が数珠の如く三世を貫き、原因結果の理法と宿業の存続、そして三毒強盛五陰仮和合の我が身我が心に執着することによって、人は不幸を招き、悩み苦しみを生じ、もがき苦しむことを説かれています。
要するに私達がこの世に人として生を受けてから、病気や生活上の悩みといった困難を少なからず味わいながら一生を送り、やがて臨終を迎えるわけでありますが、そうした人生上の四苦八苦といったありとあらゆる苦しみをどのようにして乗り越えるのか、目前に迫り来ているかもしれない不幸の原因はどこにあり、いかに消滅させるべきか、人生における真の楽しみとは何か、その答えが仏様の教えにあるわけであります。
先日も渋谷の温泉スパで白昼に爆発事故が起き、企業のずさんな管理運営によって、またもや尊い命が奪われることとなってしまいましたが、平成の今日、正に明日何があるかわからない、いつ自分が事件事故に巻き込まれるかわからない毎日であります。
そうした濁乱の日々を如何に生きるか、といった信心に精進するべき根本的なことを、このチラシを通じてまず皆さんが感じて頂き、折伏弘教乃至家庭訪問等に大いに活用して頂きたいと思います。
次に育成用のチラシには、法統相続の大事とあります。
法統相続については今申し上げた折伏用のチラシの内容を、如何にお子さんお孫さんに伝えていくべきか、そしてこの信心無くして現当二世に亘る我が身の幸福と子孫繁栄はありえないということであります。
ですから、この法統相続ということを決して疎かにすることなく真剣に捉え、各講中未だ法統相続できていない方がいらっしゃいましたら、これらのことをしっかりと訴えて頂かなければなりません。
そして最後に学会破折のチラシでありますが、創価学会では宗門で出している、こうした何々を破折するといったチラシについて、更に支離滅裂な論理を以て、「何々を破折するを破折する」といった文書を最近出しているようですが、とにかく創価学会、特に池田大作氏の自語相違ぶりにはほとほと呆れかえるものですが、その池田氏が曾て会員の人達に指導してきたことがこのようなことであったという文証として、今回のチラシには掲載されております。
学会問題が十五年以上たった今日、こうした自語相違の道理を学会員の方々に理解して頂くことはそう簡単なことではありませんが、現実に毎年全国各地で創価学会の方が少なからず脱会していることは紛れもない事実であります。ですからこそ、私達はそのような良縁に巡り会えるよう御精進頂きたいと思います。
以上、この三種類の文書を千葉布教区として毎月発行しておりますが、大事なことはこれらの文書を以て、しっかりと実践行に精進することであります。
そして弛まざる実践活動の中で、また一つ大事なことは、しっかりとした具体的目標を立て、あるいは目前にある困難の解決に対して、深い祈りを持って精進して頂くことであります。
仏教には菩薩の五十二位という御法門がございます。これは大乗の菩薩の修行の位で、十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚でありますが、この中で最初の十信には、信心・念心・精進心・慧心・定心・不退心・回向心・護法心・戒心・願心の十の位がございます。
この十信につきまして、御隠尊日顕上人猊下は、『十信とは最初が信心、つまり信ずる心で、それから二番目に念心、すなわち念ずる心というのがあります。皆さんもそうだと思いますが、最初から念ずる心というのは、あまり出てきません。というよりも、念ずるということを最初はあまり知らないのです。ところが信心を一生懸命やっていきますと、念ずるということが、信心の上において非常に大事だということが次第に解ってくるのです。つまり「早く病気を治してください」とか、あるいは「あの人を立派にして下さい」とか、また「自分をもっと立派にさせてください」等々と、とにかく何か願いをもって念ずるわけです。その念ずるという位は、十信のうちの初信から第二信に進んだ位です。それからさらに進むと、今度は精進心といいまして、念ずる心がどんどんと湧き上がってきて常に念ずることができるようになると、信心修行のなかにおいて、とかく怠けたり遊ぶことがなくなってくるのです。「今日は忙しいから勤行をやめておこう」とか「今日は寒いからやめておこう」とか、最初のうちは勤行も、やったりやらなかったりということがあるでしょうが、それがだんだんと、きちっと勤行をするようになる、ということが精進の境界です。そこにまた次第に智慧が湧いてくる、という意味で、信心のなかにおいてだんだんと境界が開かれ、修行が進んでいくということがあります』と御指南であります。
要するに、日々の信心の実践によって自分自身の境界は着実に開かれていくのであり、その元となるのは皆様一人一人の信心の志、つまり求道の一念であります。
特に本年は「行動の年」であり、平成二十一年の地涌倍増と大結集の御命題成就に向けて、今迄以上により真剣に、実践活動に精進しなければならないことは今更言うまでもありません。そして御本尊様に真剣な「祈り」をもって精進することが、一つのキーポイントになってくるわけであります。
大聖人様は『呵責謗法滅罪抄』に『何なる世の乱れにも、各々をば法華経・十羅刹助け給へと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』と仰せになられています。
ですからこそ私達は御本尊様に対してあらゆる祈り、たとえ自分自身不可能かもしれないと思えるような願いであったとしても、深い祈りのもと真剣に唱題行に励むことにより、その尊い行業の功徳によって、湿れる木より火を出だすような不可思議な現証が必ず顕れてくると、大聖人様は仰せになられているのであり、私達はこの大聖人様の御指南をしっかりと確信していくことが肝要であります。
最後に、御法主日如上人猊下は『大聖人は『経王殿御返事』に、「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき」と仰せであります。我らの祈りは必ずかなう、とのお言葉であります。ただし、この祈りも「御いのりの叶ひ候はざらんは、弓のつよくしてつるよはく、太刀つるぎにてつかう人の臆病なるやうにて候べし。あへて法華経の御とがにては候べからず」と仰せのように、我々の信心が臆病であっては祈りもかないません。臆病な信心とは、難を恐れて、優柔不断で実践を伴わない信心であります。祈りは、実践を伴って初めて、祈りが祈りとしての験を顕すのであります』と御指南であります。
今こそこの日如上人猊下の御指南を深く身に体して頂き、本年残りの後半戦、全力を尽くして実践活動に御精進されんことをお祈り申し上げ、本日のお話とさせて頂きます。
御静聴誠にありがとうございました。