聖牛(せいぎゅう)ビサーラ (平成29年10月)

むかし、お釈迦さまが弟子たちと修行のために山林を歩いていました。

そこへ、ある修行者が来て、「アッサジたちの修行僧がひどい言葉で私たちの悪口を言いました」とお釈迦さまに報告しました。

それを聞いたお釈迦さまは、アッサジたちをよびつけ、「アッサジよ、むごい言葉でこの者たちをののしったというのはほんとうか」ときびしい言葉でたずねました。

「お師匠さま。その通りです」とアッサジたちは答えました。

お釈迦さまは、アッサジたちをおしかりになり、「ひどい言葉、むごい言葉は人を傷つけるだけでなく、動物にすら嫌われるのだ」とおおせになり、次のような過去の物語をお話しになりました。

 

『むかしむかし、ガンダーラ王国にいた僧侶に、ある牛つかいが菩薩さまの生まれ変わりの仔牛を御供養しました。

その牛をいただいた僧侶は、その牛にナンディ・ビサーラという名前をつけて、自分の家に住まわせました。

修行でいただいた、わずかなお米をおかゆやご飯にして食べさせ、息子のように可愛がって育てました。

菩薩さまであるその牛は、大きくなるにつれ「主人である僧侶は、自分の食べる分まで私に食べさせて、私を立派な牛に育ててくれた。世界中で私ほど幸せな牛はいないだろう。何とか恩返しをしなければならない」と考えるようになりました。

聖牛ビサーラは、菩薩さまでしたので、国中のことはすべてお見通しでした。そして、この国で自分よりも力持ちの牛がいないことも知っていました。

 

ある日ビサーラは僧侶に「お坊さま、私はあなたのおかげでこんなに立派になりました。今では、荷物をいっぱい積んだ100台の車も引くことができます。金貨100枚をかけて力くらべをさせて下さい」と言いました。

その言葉を聞いた僧侶は大変よろこんで、牛を売り買いする商人のところへ行って、「この都では、誰のどの牛が1番力持ちでしょうか」と聞きました。

すると商人は「そうだね、あそこの牛はすごい」などと、何頭かの牛について話したあと、「しかし、この都中で私のところの牛ほど力持ちはどこにもいませんね」と言いました。

僧侶は「そうですか、でもうちのナンディ・ビサーラにはかないませんね。なにしろうちのビサーラは、荷物をいっぱい積んだ100台の車を引くことができますから」と商人に言いました。

それを聞いた商人は顔を真っ赤にして怒り、「このウソつきめ、この世にそんな牛がいるわけないだろう」と言いました。

僧侶は「そうですか、それならできるかどうか、金貨千枚をかけましょう」と約束をして、家にもどってビサーラを連れてきました。

 

商人は、牛飼いたちに命じて、100台の車を一列にならべて、その車に、砂やじゃりや石をたくさん積ませ、1台1台つなでむすばせました。

その話を聞きつけて、たくさんの人が集まってきました。

僧侶はビサーラを先頭の車につなげ後ろをふりむくと、荷物でいっぱいになった車がながながとつながっているのを見て、いくらなんでもこんなにたくさんの車をビサーラが引けるだろうかと不安になってしまいました。

気がどうてんしてしまった僧侶は、ビサーラに「行けビサーラ、角なしめ、引け、角なしめ」とどなってしまいました。

びっくりしたのはビサーラです。

ちゃんと角のある私に対して「角なし」とは、なんてひどいことを言うのだろうと思うと、車を引くどころか、動くのもいやになりました。

「角なし」という言葉は、インドの言葉で「うそつき」という意味の、悪くきたない言葉でした。

結局、千枚の金貨をとられてしまった僧侶は、すっかり打ちのめされて、家に帰ってねこんでしまいました。

 

ビサーラは、すっかりおちこんで横になっている僧侶に「お坊さま、私がこの家にきてから、何かものをこわしたり、ふみつぶしたり、まちがってフンやおしっこをもらしたことがありますか」と言いました。

僧侶は「いやいや、そんなことはないよビサーラ、ただ私はたくさんの車を見て、気がどうてんしてしまったのだよ」とビサーラにあやまりました。

するとビサーラは僧侶に「それなら、もう1度やりましょう。今度は金貨を二千枚かけてください」と言いました。

 

そして、1回目のときと同じように準備がととのい、僧侶はビサーラの背中をなでながら、「がんばれ、賢いものよ、引いてみせてあげなさい、賢いものよ」と言いました。

すると、ビサーラの体は、みるみる体中の筋肉がふくれあがり、まわりにいた観衆がどよめきの声を上げるなか、100台の車はガラガラと動き出したのでした』

 

この物語を話し終えたお釈迦さまは

「僧侶たちよ、ひどい言葉というものは人を不愉快にするものだ。むごい、汚い言葉は刀のように人を傷つけるものだ。つねに、こころよい言葉を語りなさい。こころよい言葉は牛に重荷を引かせ、金貨をもたらしたのです。そのうえ牛を幸せにしました。今こそ、こころよい言葉を語っていきなさい」

と、お釈迦さまはそのように言ってさらに、
「僧侶たちよ、その時の僧侶は私の弟子の阿難(あなん)の過去の姿である。そして、ナンディ・ビサーラは、わたしの過去のすがたである」と言われました。

 

みなさんも、言葉づかいには充分注意をしなければなりません。

お父さんやお母さん、お友達に対して、きれいな言葉、あたたかい言葉、やさしい言葉を使うように心掛けましょう。

そして、もっと大事なことは、人が勇気をもったり、安心したり、心をなくさめられるような、りっぱな言葉を話すことができるようにがんばりましょう。