精衛(せいえい)海をうずむ (平成29年6月)
中国の古い伝説の王様に神農(しんのう)という神がいました。
体は人間ですが牛の顔をした神です。
伝説によると、ある時、天から粟(あわ)が降ってきたので、神農は土地を耕して粟を植えました。
斧(おの)や鋤(すき)や鍬(くわ)も最初に作ったのは神農であると言われています。
その道具を使って野原を耕し、五穀(ごこく)(米(こめ)・麦(むぎ)・粟(あわ)・豆(まめ)・稗(ひえ))を収穫しました。
また百草(ひゃくそう)をなめて、どの草が薬になるのか、どの草が毒になるのかを調べました。
神農の体は透明な玉のように透き通っていて、体の中の内蔵である肺や肝臓などの五臓(ごぞう)がよく見えて、毒を消すことが自分でできたと言われています。
最初に農業を始めた人ですから、農業の神さま、神農と呼ばれました。
また、火と夏を司る神として「炎帝(えんてい)」や「太陽神(たいようしん)」とも呼ばれています。
この炎帝には、娃(あい)という末娘がいました。
この子は水遊びがとても好きで、いつも海で水遊びを楽しんでいました。
泳ぎもとても上手だったので、炎帝も心配することなく、好きなように遊ばせていたのですが、ある晴れた日のこと、急に強い風が吹いて、波が高くなり、娃は一瞬のうちに波に飲み込まれて亡くなってしまいました。
炎帝は太陽が光を失ったように悲しみました。
しかし、その娃の魂は、精衛(せいえい)という小鳥に生まれ変わりました。
小鳥の頭には花紋(かもん)があり、くちばしは白く、細長い足は赤く、尾っぽは長く、全体的にきれいな色をしていました。
さて、この小鳥は毎日休むことなく不思議な行動をくり返していました。
それは山へ飛んで行って、小枝や小石を口にくわえて海に落とすというもので、毎日何回も往復して同じことをくり返し、それを何年もくり返します。
なぜこんなことを続けるのでしょうか?それは前世で自分を飲み込んだ海を埋めるために行っているのでした。
この話はここで終わっています。
広大な海を小石や小枝で埋めることは、考えただけでも到底できないし、実際不可能なことでしょう。
しかし、困難で無理なことでもあきらめず、目的を達成するまでは少しも休まず行うことは大事なことであり、とても尊いことです。
中国ではこの小鳥を、「精衛々々(せいえいせいえい)」と泣くので「精衛鳥(せいえいちょう)」とも言い、前世が炎帝の娘であったことから「帝女雀(ていじょすずめ)」とも呼びます。
また、志を通すという意味で「志鳥(こころざしちょう)」とも呼ばれました。
私たちはつい、できるかできないかを頭で考え、計算して、これならできる、何日でできる、何年でできるだろうと答えを出そうとします。
しかし、精衛鳥の行っていることは、先も見えず計算できないことで、普通であればやっても無理なことだと思って、最初からあきらめてしまうでしょう。
しかし、海は一滴の水が川から流れはじめてできます。山も最初は一粒の土から作られます。
日蓮大聖人さまは「一渧(いってい)あつまりて大海(たいかい)となる。微塵(みじん)つもりて須弥山(しゅみせん)となれり」と仰せになっています。
一滴一滴の水の流れが大海となり、一粒一粒の土の積み重ねが、仏法に出てくるインドの須弥山(しゅみせん)という大きな山になると仰せなのです。
皆さんは毎日の生活の中で、「本当にできるかな~?あとどれくらいでできるかな~?たぶん無理だから止めよう」と思うことはありませんか?
例えば、これから36,500文字の漢字や英単語を覚えることとしましょう。
そんな数字を聞いたら、自分には到底ムリだと思うかもしれません。
しかし、1日に漢字と英単語を10ずつ覚えたとしましょう。すると1ヶ月で300になり、1年で3,650になり、10年で36,500になります。
こうした毎日の積み重ねが1年、5年、10年といった先を見据えて挑戦すれば、いつか必ず達成することができるでしょうし、そうした志をあらゆることにあてはめ、毎日挑戦していくことが大切なのです。
世の中でも、志を立て努力を積み重ねて何かを成し遂げる、報われる人も沢山いるでしょう。
しかし、志半ばであきらめたり、努力が報われない人もいます。
例えば、高校野球で甲子園大会に出場して、活躍したり優勝してプロ野球選手になれる人は、ほんの一握りの人たちですが、その人たちでさえプロ野球で活躍できずに辞めさせられたり、あきらめたりする選手も少なくありません。
逆に、高校野球選手の時代はなったくの無名で、甲子園大会に出られなくても、努力を積み重ねて、何とかプロ野球選手になり大活躍する選手もいます。
ですから、「継続は力なり」という言葉もありますように、皆さんも少年時代から、何かことをやろうと決めたら、必死になって努力を積み重ねて、途中であきらめたりすることなく、辛抱強くやり続ける、その姿は大人になって必ず役に立つと思います。
ましてや、私たちには御本尊さまがついています。
毎日朝晩の勤行や唱題を続けると、御本尊さまはその努力に必ず応えてくれます。
お寺に通ってない他のお友達とくらべたら、勤行や唱題を毎日続けて行くことは決して楽なことはないでしょうし、何でやらなきゃいけないの?と思うこともあるかもしれません。
しかし、皆さんが少年時代からしっかり信心修行していくと、高校・大学時代、そして社会人になって仕事をするようになった時、辛いことや苦しいこともあるでしょうが堪え忍び、今まで信心修行してきて本当に良かったと思う日が必ず来ます。
必ずその時が来ることを楽しみに、精衛鳥(せいえいちょう)のように頑張っていきましょう。