正直 (平成28年10月)

皆さんは、「金の斧」というお話を知っていますか?

そのお話は、正直な木こりがある時、山奥の古い池のほとりで、太い木を切りたおそうと一生懸命おのをふっていると、勢いあまっておのを池の中に落としてしまいました。

木こりが池のほとりで残念がっていると、池の中から神さまが現れ「なぜ、そんなにおちこんでいるのか?」と聞かれました。

木こりは自分の大切なおのを池に落としてしまったことを話すと、「おまえが落としたのは、この金のおのではないか?」と聞かれました。

木こりは正直に「そのおのではありません」と答えたので、神さまは次に銀のおのを取り出して、「では、この銀のおのか?」と聞かれました。

木こりはまた正直に「そのおのではありません」と答え、神さまは木こりが落としたおのを取り出して、「では、このおのだろう」と言われ、木こりは喜んで「ありがとうございます。そのおのです」と感謝して、お礼を言いました。

すると神さまは正直な木こりに感心して、金と銀、2つのおのも木こりに与えました。

 

このことを聞いた欲ばりな木こりが、自分も金と銀のおのをもらおうと、わざと池に自分のおのをなげこむと、神さまが金のおのをもって現れ、「おまえが落としたのは、この金のおのか?」と聞くと、欲ばりなきこりは「はい、その金のおのです」と言うと、そのとたん神さまは消えてしまい、欲ばりな木こりは大切な自分のおのまでうしなってしまいました。

 

このお話はイソップ寓話の1つで、正直な人は幸福をなれることができるのに対し、不正直でうそつきな人は不幸になってしまうことを教えています。

 

辞書には「正直」の意味について、「うそやごまかしがのないこと。かげひなたのないこと。すなおで正しいこと」とあります。

このように正直に生きている人は、やましいことがないのでいつも堂々としていられますし、まわりの人から信頼され、困ったときには助けてもらえます。

反対に、不正直な人はいつ自分がついたうそがばれないか、いつもビクビクしなければなりません。

また、人から信頼されないので、困ったときも誰も助けてくれません。

 

家族や友だちから信頼され、助け合って幸せになっていくには、人の信頼をうらぎらないこと、つまり正直であることです。

 

 

次に、お釈迦さまの子供の羅睺羅(らごら)のお話です。

羅睺羅はお釈迦さまの息子として僧侶になりましたが、また幼かったので色々なイタズラをしました。

ある時、「お釈迦さまはいらっしゃいますか?」と訪ねてきた人に対して、お釈迦さまがおられるのに、羅睺羅は「いらっしゃいません」と、ウソをつきました。

また、お釈迦さまがいないときには、訪ねてきた人に「お釈迦さまはいらっしゃいますよ」とウソをつき、困っている人を見て喜んでいました。

 

このような羅睺羅のイタズラに困った人たちは、いくらお釈迦さまの子供でも困ると、お釈迦さまに相談しました。

お釈迦さまは羅睺羅をよび、「タライに水をくんで、わたしの足を洗いなさい」と命じました。

羅睺羅はお釈迦さまの足を洗い終わると、「このタライをひっくりかえして、その上からタライに水をそそぎなさい」と命じると、羅睺羅は「ひっくりかえったタライに水はたまりません」と言いました。

 

お釈迦さまは、「このひっくりかえったタライは、今のお前と同じだ。人をだまして喜ぶような、反省すること、恥じることをしらない、ひっくりかえった心の持ち主には、正しい教えは入っていかないし、理解もできない」と羅睺羅をいましめました。

 

御法主日如上人猊下(ほっすにちにょしょうにんげいか)さまは、「信心は不正直ではなりません。上っ面の信心ではいけません。やはり心の底から信じている人を、仏様(ほとけさま)や菩薩(ぼさつ)はみんな見抜いているのです」と仰せられています。

 

つまり、私たちの発言や行動は、すべて御本尊様がお見通しであり、さらにお父さんやお母さん、兄弟、友だちに対してウソをついたりすると、自分が不幸になるばかりか、まわりの人をも不幸にしてしまうことを知るべきです。

 

どうか、つねに自分やまわりの人たちが幸せでいられるように、決してウソをついたり、人をだますようなことは絶対にしてはいけませんし、正直な気持ちをもって毎日の生活をおくり、人から信頼されるように努力していきましょう。

そうした毎日をコツコツと積み上げていくと、きっと将来それが役立つ時が必ずくると思いますよ。