親への報恩感謝(ほうおんかんしゃ)(平成28年11月)

皆さんは、誰でもお父さんやお母さんからしかられたことがあると思います。

厳しくしかられて思わず涙を流したことがある人もいるでしょう。
その時、どのように感じましたか?

「お父さんなんて大きらい!」とか「お母さんは私のことなんかきらいなんだ!」などと思ったこと人も、中にはいるかもしれませんね。

でも、御両親は本当に皆さんのことがきらいだから叱るのでしょうか?今月は、御両親が皆さんを叱る時の気持ちを考えてみましょう。

 

今年、91才で亡くなった作家の西村滋さんは、
「ぼくは小さい時に両親を結核という病気で亡くしたんですが、母親は6才の時に亡くなりました。物心ついた時から、なぜかぼくを邪魔者あつかいして、イヤなお母さんだったんです。さんざんいじめられました。

これはあとで知ったことですが、母は僕に結核という病気の菌をうつさないために、わざとそうしていたのです。

母は、どうせ自分は死ぬのだから、この家においてほしいと父にたのみ、家の敷地にべつの家を建ててもらいました。

ぼくはそこに母がいることを知っていますから喜んで会いに行くと、さんざん罵声を浴びせられ、物を投げつけられ、ぼくは本当に悲しい思いをして、母を憎むようになりました。

幼稚園から帰ってくると、お手伝いさんに裏庭に連れて行かれて『今日はどんな歌をならってきたの?』と聞かれ、歌わされるんです。

『もっと大きな声で歌いなさい』なんてうるさく言われました。

これも母が僕の歌を聞きながら成長していくすがたを楽しみにしていたのだと、あとになって知りました。

ぼくはそんなことは知りませんから、母が死んだときもちっとも悲しくなかった。

でも母は、病気をうつさないためだけじゃなく、『幼い我が子が母親に死なれて泣くのは、やさしく愛された記憶があるからだ。憎たらしい母なら死んでも悲しまないし、もし父親が新しい奥さんと結婚して、我が子が新しい母親から愛されるには、実の母親のことなど憎ませておいたほうがいい』と。

ぼくがそれを知ったのは、不良となって非行をくり返していた13才の時でした。お手伝いさんだった人が、ぼくがグレたと聞いて駆けつけてくれたのです。

そして、『ぼくは、母親から愛されていたんだ』ということがわかって、とめどなく涙があふれてきました。」

ということです。

 

コスモス

 

西村さんのお母さんの、病気や死に対する不安はどれほど大きかったことでしょう。
また、かわいい我が子を抱きしめたいと、何度も思ったことでしょう。

しかし、お母さんは我が子を愛するからこそ、心を鬼にして息子に憎まれるようと辛くあたって、自分から遠ざけるようにしたのです。

 

「親思う心にまさる親心」という言葉があります。
世の中のお父さん、お母さんは、子供が親を思う以上に深い愛情を注ぎ、自分を犠牲にしても子供を守り、育ててくれています。

厳しく叱られる時も、やさしくほめてくれる時も、いつも子供の幸せや健康を祈ってくれているのが、親というものなのです。

 

日蓮大聖人さまは、「仏教を信ずる者は、まずこの父と母の恩を報じなければならない。父の恩の高いことは須弥山もなお低く、また母の恩の深いことは大海も浅いほどである」と仰せられ、仏さまの教えを信じる者は、必ず父母の恩を報じなければならないと教えられています。

 

父母の恩を報ずる方法について、日蓮大聖人さまは
「親孝行する心を持っている人々は、法華経を贈りなさい。それが最高の親孝行となるのである」と教えられています。

「法華経を贈る」ということは、私たちが御本尊様に真剣にお題目を唱え、両親の健康と幸福を心から祈っていくことです。

また、もしも両親そろって信心をしていないのであれば、両親が御本尊様を信じて幸せになれるように祈り、折伏していくことが最高の親孝行となります。

 

御法主日如上人猊下さまは「自分が一番の恩を被っているご両親などは、何としても折伏をしなければだめなんです。ご両親に対する恩返しの中で一番尊いのは、やはりご両親に南無妙法蓮華経を信じてもうらうことなのです。それが親に対する最高の恩返しなんですね。それをしなければ真実の恩返しにはならないのです」と仰せになられています。

 

要するに、私たちが今あるのは、まぎれもなく両親のおかげであり、時には叱られることもあると思いますが、それは皆さんが立派な大人に成長できるようにと思って、皆さんの悪いところを直そうとしているのであり、決して憎んだりしているわけではありません。

それよりも、孝養の心、親への感謝とその恩に報いることが大切であることを仏教では説かれ、その1番大事なことが、家族そろって御本尊様を信じ、お題目を唱えて幸せになることです。

どうか皆さん全員が、しっかりとお父さんお母さんに感謝の思いをもって、一緒に南無妙法蓮華経のお題目を唱えて幸せになれるように願っています。