夜叉の誘惑(令和7年9月)

夜 叉(やしゃ) の 誘惑(ゆうわく)
令和7年9月 若葉会御講

 今日は夜(や)叉(しゃ)のいろんな誘(ゆう)惑(わく)にも負けず、立派な国王となった王子の話をします。
 むかし、インドの波羅奈国(はらなこく)の王に十人の子供がいました。国王に何かあった場合は長男が次の国王になり、長男に何かあった場合には次男が国王になり、このように順番に国王になります。ですから、十番目の王子が国王になることは、ほとんどあり得ません。でも、十番目の王子はとても勇気があり、信仰心がとても厚い立派な若者でした。
 ある日のこと、修行僧がお城に来た時に、十番目の王子は自分の将来について相談しました。すると修行僧は、「王子様はこの国に留まられるよりは、この地からはるか北西に方向にガンダーラという国があり、その国にタキシラという都がありますが、そこへ行かれることによって必ず王子様の未来が開かれます。ただし、その途中には夜叉の住む森を通らなければなりません。その夜叉の誘惑に惑わされないようにしてください。」と王子に話しました。
 夜叉とは、インドの鬼神で実に恐ろしい形相をしていますが、後に、お釈迦さまに従って毘(び)沙(しゃ)門(もん)天(てん)の眷属として仏道修行者を守護するようになった鬼神です。王子は鬼神の誘惑に負けないでタキシラに行こうと思いました。そうして王子は新たな自分の進むべき道を示していただいて、とても勇気とやる気が起こりました。王子は国王と王妃に自分の決意を報告し、旅立つことの許しを乞いました。
 王子に仕(つか)えていた五人の家来は、「どうか私たちを置いていかないで下さい。どうしても行かれるのなら、私たちも連れて行って下さい。一生お仕えします」と王子に申し出ました。すると王子は、「そう言ってもらえるのは嬉しいが、かなり困難な旅になるだろう。特に夜叉は様々な事をして、目的地に行かせないように迫害してくるだろう。それでも覚悟があれば来なさい」と家来たちに言いました。
 こうして王子と五人の家来は波羅奈国の城をあとにしました。やがて三日目のこと、奥深い森へ到着しました。森の中は昼間なのに薄暗く、大きな木が折り重なって繁っています。その木には、つたがからまっていて、うっそうとした森の中に一歩でも足を踏み入れたなら、もう戻って来られないのではないかと思うほど不安な気持ちにかられます。そんな中に、人がやっと一人通れそうなか細い道らしきものがずうっと奧まで続いていました。その道を数時間歩いて行った所で周りの景色が変わり、随分見晴らしが良くなってきて、おいしそうな果物がたくさん実っています。皆は喜んでそれを食べようとしました。
 すると王子は、「これは夜叉の誘惑でしょう。この森は全てを夜叉が支配しているから、いろんな仕掛けをしてきます。だから気をつけなさい」と注意しました。それでも、一人だけそっとポケットに果物を入れ、一番後ろからついて行きながらその果物を食べてしまいました。そして命を落としてしまったのです。食いしん坊の家来は我慢ができなかったのです。
 次に花のいい香りがしてきました。次にとても素敵な音楽が聴こえてきました。その香りにつられて、その音楽につられて一人、そしてもう一人と引き返し、そのまま戻ってくることはありませんでした。
 しばらくすると一軒の家が見えてきました。若い美しい女性が飲み物を持って、微笑(ほほえ)みながら立っています。そして、「どうぞお休み下さい。おいしい飲み物も用意しました」と、王子たちに声をかけてきました。その言葉に残った二人の家来は、「疲れました。少し休んでいきましょう。喉もカラカラです」と王子に言いました。しかし王子は、「あの女性は夜叉です。騙されてはいけない」と、いさめました。しかし、二人は美しい女性に夢中になり、「すぐ追いつきますから、先に行っていて下さい。少しだけ喉を潤してきます」と言って、後戻りしてとうとう二人は王子のところには戻ってきませんでした。二人共夜叉に食べられてしまったのでした。
 王子は、たった一人になってしまいました。でも後を振り向くこともせず、もくもくと前に向かって歩き続けました。やっとの事で深い森から抜け出ることができました。そしてやっとのことでタキシラの都に着きました。しかし、夜叉は美しい女性の姿で、「待って下さい。私を一人にしないで下さい」と叫び、泣きながら付いて来ました。街の人々はけげんな顏をして、「冷たい夫だ」と言って王子を非難しました。王子は人々に、「その女性は恐ろしい夜叉です」と、何度も訴えましたが、誰も信用してくれません。
 王子は一軒の宿屋に入り、修行僧に事前に教えてもらっていたように、体に糸を巻きつけて夜叉から身を守りました。夜叉は入りたくても入れないので、宿の外で悲しそうに王子を待っていました。その姿をちょうど外出していたタキシラの国王に見られ、かわいそうだということで、城に連れて行かれました。
 次の日のことです。お城の門がいつになっても開きません。朝六時には開くのに、昼過ぎになっても四つの門は閉じたままなのです。街の人は不安になって、門を越えてお城の中に入りました。するとそこはどうした事か血の海になっていて、もう誰もいませんでした。これには皆びっくりです。
 たった一人の夜叉のためにお城の兵士も全滅してしまったのです。王様が夜叉に魂を奪われたために、このような結果になってしまったのです。そして夜叉の姿はありませんでした。街の人たちは、「あの女は恐ろしい夜叉だ」と訴えていた若者のことを思い出し、その若者を迎えに行きました。そして、その若者が波羅奈国の王子であることを知りました。こうして王子は、タキシラの人々の願いによってタキシラの王に就任したのです。
 志を成し遂げるためには様々なハードルを越えていかなければなりません。私たちは五欲といって、見てみたい、聞いてみたい、嗅いでみたい、食べてみたい、触れてみたいという、目、耳、鼻、舌、身からなる五つの欲望が湧き起こります。皆さんが勤行の時に読んでいる『法華経如来寿量品第十六』には、「放(ほう)逸(いつ)著(じゃく)五(ご)欲(よく) 堕(だ)於(お)悪(あく)道(どう)中(ちゅう)」とあります。これは、「放逸にして五欲に著し悪道の中に堕ちなん」と読みます。つまり、「心がわがまま勝手で五欲に執着していると、後々悪道の世界に堕ちてしまう」ということです。五人の家来は、そうした五欲に執(とら)われて命を落としてしまいました。タキシラ国の王様も、同じように見かけの美しさに執われて滅んでしまいました。
 皆さんは、今日の王子のように、見かけにとらわれることなく、物事の大事なところを見抜くことができるように、また最後まで魔に負けない強い意志を持つ為に、毎日の勤行や唱題を行い、真面目に正直に、周りの友だちに振り回されないように、一歩一歩確実に、自分の道を歩んでいけるように頑張ってください。