本年下半期を迎えるに当たり

 3月4日より総本山大石寺にて、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山が行われ、更に妙眞寺創立九十周年並びに法華講結成七十五周年たる本年もいよいよ下半期となりました。依然コロナ禍も出口の見えない状況であり、更に妙眞寺近隣の小中学校では、現在インフルエンザや胃腸炎、あらゆる感染症や長引く咳を伴う風邪が流行っており、処方箋を取り扱う近所の薬局では、抗生物質が不足気味であるとも伺っております。そして、全国各地での大地震、線状降水帯や台風といった大雨洪水などの自然災害が猛威を奮い、犯罪事件や交通事故と枚挙に暇の無い惨憺たる報道が、コロナ禍に追い打ちをかけるような日々、私たちは改めて無病息災にして、無事故無障礙、平和安穏なる日々を送ることが、いかに有り難いことかを痛感致します。

 こうした混迷を極める日々を「いかに生きるか」、を説かれているのが仏様の教えであり、その文証としてお釈迦さまが説かれたあらゆる経典と、その説かれるところの道理、そして因果の理法における厳然たる現証の上から、令和末法の今日、私たちが信じ行ずるべき正法正義が、お釈迦さまの出世の本懐たる法華経の、更に本門寿量品の文底に秘し沈められたる大法である南無妙法蓮華経の教えであります。

 そして、私たちは有り難くも過去世からの因縁宿習によって、人として生を受け、値い難き大聖人様の正法に縁することができたことを、決して軽々しく考えてはならないと思います。宇宙法界森羅万象における世の中の一切の果報は、仏様の御仏意のままに時々刻々と有為転変しており、私たちは仏様の御意に適った日々を送ることがいかに大事大切であるか、そしてまた、一生成仏の大直道へといかに繋げて行くかを、よくよく銘記しなければなりません。

 宗祖日蓮大聖人様は『持妙法華問答抄』に、「過去遠々の苦しみは、徒にのみこそうけこしか。などか暫く不変常住の妙因をうへざらん。未来永々の楽しみはかつがつ心を養ふとも、しゐてあながちに電光朝露の名利をば貪るべからず。「三界は安きこと無し、猶火宅の如し」とは如来の教へ「所以に諸法は幻の如く化の如し」とは菩薩の詞なり。寂光の都ならずば、何くも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて何事か楽しみなるべき。願はくは「現世安穏後生善処」の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後生の弄引なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」と仰せのように、今生現世のみにおける、はかない名聞名利、地位や名声、財産を貪り欲し、無為なる日々を送ることがないよう心掛けることも肝要でありますし、六月度の御報恩御講でも申し上げましたように、勤行態度一つとっても、御本尊様に御不敬の姿がないように姿勢を正し、いいかげんな朝夕の五座・三座の勤行にならないよう勤め上げ、万事を閣いて仏道修行を優先、中心にした日々を送ることができるよう自らを律して頂きたいと思います。また、そうした一つ一つの姿を御本尊様が常時御照覧遊ばされていると心得、功徳が生ずる信心姿勢、自ずと折伏を成就することができる信行の実践に励んで頂きたいと存じます。

 さて、仏教には『四無量心』という教えがあります。この教えは、慈・悲・喜・捨という四つの心であり、その心を無量という計り知れないほど、我が身に固く持ち実践していくことであります。すなわち、いつの時もありとあらゆる人々に慈しみの心を持って接し、身の周りに悩み苦しみ困り果て、嘆き悲しんでいる人がいたならば、当然の如く親身になって寄り添い、共に解決の道を探ることが肝要であります。そして、日々我が喜びを追い求めるに留まらず、あらゆる方々の喜びを願い共に喜び合えるよう努め、「不染世間法如蓮華在水(世間の法に染まざること蓮華の水にあるが如し)」との言葉もあるように、世俗の垢に身を染めて、自身の凝り固まった我意我見、偏見や差別、自分よがりの考え方、あらゆることへの執着を捨て去り、只一心に信行倍増福徳増進して、瞋りや憎悪に満ちた三悪道四悪趣といった醜い汚れた境界を離れ、常に冷静沈着にして、正しく物事を推し量れるよう心掛けることが肝要であります。こうした境界を具えつつ、仏さまより与えられた人生を有意義に全うして行く為には、今一度自問自答し、自分自身の日頃の発言や行動、信心の姿を省みて頂くことも至極大事なことであります。

 そもそも広布大願を御遺命とする日蓮大聖人様の教えの目指すところ、日蓮正宗の宗旨は折伏にあり、より多くの方々をこの正法に帰依せしめ、共に幸福なる人生を歩むことができるよう努めているかどうか。御法主日如上人猊下は常々、「折伏しなければ折伏はできない。まずは住職が率先して折伏に歩くこと」の大事を御指南されております。どうか住職は当然のことながら、皆さんも、一カ月に一人下種・折伏をすれば一年で十二人、一週間に一人であれば一年で五十二人と考え実践し、是非ともそうした方々を一人でも多く、広大無辺不可思議偉大なる功徳を生ずる妙法の教えに帰依せしめて頂く為にも、不断の唱題行を行じて頂かれ、更に唱題が唱題で終わることのないよう願います。

 最後に、総本山第六十七世日顯上人の御指南を拝しますと、
 『廣妙寺山門新築落慶法要の砌(昭和56年1月22日)』において、「さて法華経が、大聖釈尊が説き残された〝五千七千の経巻〟といわれるたくさんの教えの中において、最も真実・本懐を顕されたところの教えであることは、皆様も御承知のとおりであります。そのなかで特に、皆様方の信心修行において銘記しなければならないことが、二つあると思うのであります。その一つは『方便品』に「若し法を聞くこと有らん者は 一人として成仏せずということ無けん」と説かれてありますように、この法華経をひとたびでも聞く者は必ず仏に成ることができるとの、仏様の大箴言(だいしんげん)があるわけであります。ここに説かれる「法を聞く」ということはただ単に法華経を聞くということでありまして、〝法を聞くといっても、その法を聞いて法門が心の中にきちんと入らなければ、成仏などできないのではないだろうか〟というように思うのが凡情(ぼんじよう)でありますが、仏様は〝聞くだけで成仏できる〟とお示しになっておるのであります。ところで、この「成仏」という意味がはっきり解らない方が多いかもしれませんが、過去におけるあらゆる教えを修行して得るところの功徳、あるいは仏道を行ずることによってさまざまの功徳が具わっていくなかにおいて、その最高の功徳が「成仏」ということであります。それでは〝信心をすることによってどのようになることが、即身成仏ということなのか〟ということでありますが、それは〝法華経を無二に信ずる〟という心をもって南無妙法蓮華経と唱えるところがそのまま〝即身成仏〟の相(すがた)なのでありまして、〝それでは自分も仏になったのか〟と思うかもしれませんが、まことにそのとおりなのであります。そのことをいささかも疑うことなく、毎日毎日しっかりと下種の南無妙法蓮華経の題目を唱えることが、最も肝要でございます。
 この末法におきましては、〝冥益(みようやく)〟といいまして、―冥益とは顕益に対する語でありますが、―さまざまな功徳は、目に見えない、冥(かく)れた利益なのであります。つまり〝顕益〟ということは、法を行じた功徳が直ちに顕われてくるということでありまして、例えば釈尊在世の衆生はさまざまな神通力をもっていたり、今の我々では到底考えられないような、法による功徳を受けており、法華経の会座(えざ)にはそのような方が充満しておるのであります。ところが、末法の衆生である我々は、たとえお題目を唱えたといっても、そのような力を得ることは到底できません。しかし、その一番の根本であるところの〝成仏〟という功徳は、御本尊の大きな力によって我々の命の中に自然と植え付けられていくのであり、未来永遠にわたる成仏の原因である戒・定・慧の三つの功徳が具わっていくのでありまして、そこに必ず〝成仏〟ということが存するのでございます。ですから、〝末法においては大御本尊様を信ずることが最高の道であり、最高の功徳である〟ということを確信しなければなりません。
 その反面、もう一つは、法華経を信じるところには必ず難が起こってくる、ということであります。〝法華経には、だれでも成仏できると説かれていながら、一方では大難が必ず起こってくると説かれるのは、少しおかしい〟と感じるかもしれませんが、これもひとえに、法華経があらゆる教えに超越した真実の法であるが故に起こってくる、必然的なことなのであります。そして、それを自ら実証あそばされたのが宗祖日蓮大聖人様でございまして、法華経に予証された大難のすべてを、自らの身に宛てられて実証あそばされたが、大聖人様の御一期の御化導でございます。このことは、まず大聖人様お一人がこの予証を実証あそばされましたが、末法において法華経を正しく行ずる者に対してもまた、これを打ち破らんとする第六天の魔王等の用きにより、さまざまな人の心に、あるいは体に入って争いを起こし、迫害を生ずるということがあるのであります。それが今日では、日蓮正宗に籍を置く一部の僧侶や、不心得な一部の信徒であります。その者逹は、日蓮正宗の僧俗でありながら、和合僧団を破ろうとして、正法を信じていない政治家等にとりいり、そして一緒になって正法を迫害し、正法を破らんとしているのであります。しかもそれが、宗祖日蓮大聖人様の第七百御遠忌という、宗内の僧俗が一致団結して御報恩の誠を尽くさなければならないという大事な年の初頭に当たってさまざまの迫害が起こってくるということは、これこそ法華経が真実であることの証しであることを、我々は知らなければならないのであります。したがって、その怨嫉・迫害の者達、いわゆる〝三類の強敵〟にも比すべき者達の迫害等を恐れず、それを打ち破っていくところ、また、それらに対して我々の信心修行をしっかり確立していくところにこそ、末法の即身成仏が存するのでございます』
と御指南であります。

 以上の御先師日顯上人の御指南を拝しつつ、コロナ禍もこうした大事な時にこそ起こるべくして起きているのであり、毎日の世情はどうであれ、まずは私たち一人ひとりが成すべき大事を心得、現在行われている「宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山」に一回でも多く参加し、総本山大石寺に馳せ参じて、大聖人様出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊様に御内拝申し上げ、その功徳と歓喜をもって力強く前進して頂き、更なる御本尊様からのありとあらゆる大果報を得て頂き、信心の基盤をより強固なものにしつつ、何事が起きても決してブレない姿を自ら顕現させることが肝要であります。尚かつ所詮大聖人様門下における異流儀やお題目を唱える新興宗教は数あれど、大聖人様出世の本懐として御図顕遊ばされた本門戒壇の大御本尊様を拝し奉ることができず、宗祖日蓮大聖人様からの三大秘法などの尊い相伝の御法門を令和の今日拝聴、興学できない、そうした群生の徒輩に功徳利益は生ずるはずもなく、私たちは大聖人様からの血脈を受け継いだ第二祖日興上人、第三祖日目上人以来御歴代の御法主上人が継承されてきた正統門下としての自信と誇りを持って、ただただ御本尊様の有り難き御冥加と諸天善神の御加護を確信し、その有り難き報恩感謝の御一念をもって、自らの即身成仏の道を一歩一歩確実に歩みを進めて頂きたいと、衷心より篤くお祈り申し上げます。

毎週日本乃至世界各地の法華講衆が集う、本門戒壇の大御本尊様在します総本山大石寺奉安堂