4人のともだち(令和4年6月)

 4 人 の と も だ ち

令和4年6月度 若葉会御講

 むかし、インドのある都(みやこ)に、1人の長者(ちようじや)がいました。長者には、かけがえのない4人の友達がいました。
 1番目の友人は、長者が一番大切にしている人で、いつも一緒で、離れることがありません。起きていても、寝ていても、立っていても、座っていても、いつも一緒の行動をする友人です。2番目の友人は、長者が努力して友人になってもらった人で、いつも大事にしている友人です。3番目の友人は、とても気が合い、お互いになぐさめ合ったり、励まし合ったりしている友人です。そして4番目の友人は、長者の言うことを何でも聞く友人です。でも長者は、特別大事にするわけでもなく、あまり仲良くはありませんでした。
 ある時、長者は、自分の住んでいる大きな家を出て、遠い外国に行くことになりました。1人で外国に行くのは寂しいので、1番目の一番仲の良い友人に「一緒に行こう」と誘いました。ところが友人は、「あなたが私のことをいつも思ってくれるのは、うれしく思います。私もあなたと少しでも長くいたいし別れたくありません。でも一緒に外国に行くことはできないのです。ごめんなさい」と言いました。
 長者はがっかりしました。でも2番目の友人はきっと一緒に行ってくれると思い、「一緒に行こう」と誘いました。でもやっぱり「1番目の友達が行かないのに、私が一緒に行くわけにはいかない。もともと、あなたが一方的に私のことを好きに思っているだけで、私はあなたのことを別に何とも思っていませんよ。でも、あなたがこの家にいる間は、良い友達でいたいと思っていますよ」と言いました。
 長者はがっかりして、3番目の友人を誘いました。友人は「私はあなたにいろいろお世話になっているし、あなたとずっと離れたくないけれども、一緒に遠い外国までは行けない。でも、せめて途中までは見送ります」と言いました。長者はとても大好きだった3人の友達に断られ、たいへんショックを受けました。
 長者は、日頃冷たくしている4番目の友人に、「よかったら外国に一緒に行ってほしいんだけど」と聞きました。長者はてっきり断られると思っていました。ところがその友人からは、意外な返事が返ってきました。「私は、あなたにずっと、どこまでも付いて行きます。苦しい時も、楽しい時も、死のうが生きようが、あなたとはどんなことがあっても、離れることはありません」と言ってくれました。
 こうして長者は、いつも仲良しだった友達と別れて、あまり心に掛けていなかった、4番目の友人と遠い外国に行くことになりました。
 さて、この話についてお釈迦さまは、次のように説かれています。
 まず長者の家とは、この私たちが生きている「この世の世界」です。遠い外国とは「死後の世界」のことです。長者は人の永遠の生命、魂(たましい)をいいます。したがって、長者が家を出て遠い外国に行くということは、人が死んでいくことを意味します。
 1番目の友人とは、その人の肉体のことです。生きている時は、心と体は常に一緒です。手も足も、心の思うままに動きますし、悲しいことがあると自然に涙が出てくるし、うれしいことがあると自然に笑顔になります。寝ても起きても、心と体はいつも一緒です。だから人は自分の体を一番大切にします。でも死んでしまうと、その瞬間から心と体は別々になり、体は地上で滅び、その形はなくなってしまいます。しかし心である魂は、生前の善いことは楽しみの原因となり、悪いことは苦しみの原因となり未来世に向かい、体と一緒に滅んでしまうということはないのです。
 2番目の友人とは、その人の財産や名誉や地位のことです。世の中の人は、お金があれば好きなことができると考え、スターや有名人になれば、皆からうらやまがられます。だから多くの人は、お金や地位や名誉によって幸せが得られると思って、せっせとがんばるのです。しかし、地位や財産のみを大事にする人は、最初、百万円あれば最高に幸せと思うのですが、今度は一千万円欲しいと思うようになり、欲望の心は果てしなく、かえって不幸になるものです。そんなにまで努力して得た地位や財産も、いったん死を迎えると、もうその人のものではなくなり、死後の世界には、何一つ持っていくことはできないのです。
 3番目の友人とは、その人の両親や兄弟、妻や子供などの家族、又、その人にとってかけがえのない大切な人達です。生前において、どんなに好きな人でも、生きがいだった人でも、死の別れにはついていくことはできません。皆、別れをおしんで、家を出てお墓までは付いて来てくれますが、もうそれ以上は無理です。結局、肉体や財産や家族は、生前のその人にとっては大事なものであっても、死の旅には、ついて来てはくれないのです。
 最後の4番目の友人だけは、「長者が死のうと生きようと、どこまでも一緒です」と言ってくれました。それは自分の心のことです。人は、自分で自分の本当の心の存在には、あまり気がつきません。つい、人の言葉や物やお金などに惑(まど)わされてしまいます。そして、ついには、三毒煩悩(さんどくぼんのう)という、むさぼる心、いかりの心、おろかな心、そしておごりたかぶる心にとらわれて争いをおこし、地獄(じごく)、餓鬼(がき)、畜生(ちくしよう)といった苦しみの境界に落ちてしまい、不幸な人生になっていく人が多いのです。
 それは自分の心を大事にしないからです。自分の本当の心には、仏種(仏さまになる種)が具わっています。そして、その仏さまの種を芽生(めば)えさせ、仏になることを願っています。それは、正しい御本尊様を正しく信じ、行じていくことによって、初めて叶っていくことなのです。
 大聖人さまは、「蔵(くら)の財(たから)よりも、身(み)の財、身の財よりも心の財第一なり」と仰せになられ、「一念無明(いちねんむみよう)の迷心(めいしん)は磨(みが)かざる鏡(かがみ)なり。是(これ)を磨かば必ず法性真如(ほつしようしんによ)の明鏡(めいきよう)と成(な)るべし。深く信心を発(お)こして、日夜(にちや)朝暮(ちようぼ)に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只(ただ)南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是(これ)をみがくとは云(い)ふなり」と仰せになられています。
 物の豊かさよりも心の豊かさ、体の健康よりも、心の健康こそ第一なのです。皆さんも、第4の友達(自分の仏性)を大切にし、自分の心を唱題で磨いて行きましょう。そして豊かな心の持ち主となって、やさしさや思いやりの心をもって、家族や友だちと接していきましょう。その一つ一つの心掛け、行動が皆さんの幸せな毎日を築くきっかけとなっていくことを忘れないで下さい。