御会式の月を迎えて(改)

 このところ、新型コロナウイルス感染症の新規感染者も小康状態にあり、各都道府県への緊急事態宣言等も9月30日にて解除となりました。特に10月は全国各寺院において御会式法要が奉修されるに当たり、非常に喜ばしいことではありますが決して油断してはいけないと、皆さま方もよくよく感じられていることと思います。

 宗祖日蓮大聖人様は『兵衛志殿御書』に、「過去遠々劫より法華経を信ぜしかども、仏にならぬ事これなり。しをのひるとみつと、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」と仰せのように、夏から秋に移り変わる今、常日頃から私たちの仏道修行の障礙となる三障四魔の用きがより活発となり、『聖人御難事』の「月々日々につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」との御教示の如く、油断怠りなく信行の実践に励まなければ、魔につけいる隙を与えてしまいます。この三障四魔とは、煩悩障・業障・報障の三障と煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔の四魔に分かれます。

 まず『三障』について、『煩悩障』とは、「自らの貪・瞋・痴の三毒などの煩悩によって仏道修行を妨げる障り」、『業障』とは、「自らの行業、特に十悪、五逆などを始め、自らの倫理道徳を踏み違えた非常識な行為によって起こる障り」、『報障』とは、「過去からの宿世の因縁によって被る苦果や家族、友人知人など親しい人が原因となって起こる障り」をいいます。これらは自らの油断怠慢から呼び出してしまう障礙でありますから、自身の周囲や、自らの発言行動、いわゆる身口意の三業を厳に慎むことが肝要であります。

 次に四魔について、『煩悩魔』とは、「魔が人の三毒煩悩を盛んにして、仏道修行者の智慧を奪う魔」といい、『陰魔』とは、「人間の身心を構成する5つ構成要素、五陰(色・受・想・行・識)の長和を乱し、修行させまいとする魔」をいい、『死魔』とは、「仏道修行者が死を迎えることによって功徳を積むことを中断させたり、仏道修行者の死によって他の者の修行を妨げる魔」をいい、『天子魔』とは、私たちが住する三界六道の天界、その中でも欲界の第六天である他化自在天に住む魔王のことで、『第六天の魔王』とも言います。この魔王は陰に陽に仏道修行の成就を妨害し、修行者の精気を奪うことを無上の楽しみとする魔王であり、様々な魔の根源であります。こうした三障四魔の用きに我が身心を滅ぼすことがないよう気を付けて頂きたく存じます。

 また、現在のコロナ禍において、よくよく大聖人様の御書を拝すると、『戒法門』に「五戒を破る中に不妄語戒を破るは罪深き戒にて候。其の故は世間の人妄語し候へば、冬は夏になり、春は秋になり候。故に冬温かにして草木出生して花さき菓ならず。夏はさむくて物そだたず。春・秋も此を以て知るべし。(中略)世間の人虚事をする故に、春夏秋冬たがひて世間の飢渇是より起こり、人の病これより起こる。是偏に妄語より始まれるなり」と仰せになられております。要するに、コロナ禍の原因は邪宗謗法の害毒や人心の荒廃が根本的原因ではありますが、そもそも邪宗教や世の中の人々の妄語、綺語がコロナ禍を引き起こす全てに繋がるのが正法の道理であります。それだけ妄語、つまり嘘偽りが引き起こす恐ろしさと、御授戒文にもあります不妄語戒を厳しく守ることの大切さを考えて頂きたいと思います。

 御先師日顕上人は、御在職中、常に私たち弟子一同に対し、「正直であれ」と御指南遊ばされてきました。また、大聖人様は『兄弟抄』に、「一生が間賢なりし人も一言に身をほろぼすにや」と、私たちが一生を通じて、また信行の実践において誡むべき肝心なこととして、常に謙虚で正直に日々の日常生活を送り、そこに決して不正直なことがないように、また一瞬にして信頼を失ってしまう失言がないように過ごしていくことの大事が説かれています。また「正直者が馬鹿を見る」ことは絶対にありません。もし、馬鹿を見るようなことがあったならば、別の原因であり、嘘偽りは明らかになったとしても、正直者が必ず報われることは間違いありません。ですから、日頃からそうした面は特に留意して頂きたいと存じます。

 しかしながら娑婆世界あっては、常に様々な五欲の悪風が吹き荒び、人々を貶めようとする悪の存在は、いつの時代も必ずと言ってといいほど存在します。特に大聖人様は『唱法華題目抄』に、「悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧みにして愚癡の人の心を取って善心を破るといふ事なり。総じて涅槃経の心は、十悪・五逆の者よりも謗法・闡提のものをおそるべしと誡めたり」と仰せのように、私たちは刑法で罰せられる人々は当然のこと、正法によって罰せられる悪知識と呼ばれる人々を恐れることがより大事であること、正法を修することを妨げる人々がいかに忌むべき存在であるかを知ることが肝要であり、そうした徒輩に振り回されないよう気を付けるべきであります。

 ましてや私たち自身が世間のなかにあって、『崇峻天皇御書』の「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」との御指南を深く身に体し、己の身口意三業を慎み誡め、決して三業不相応の姿、人を傷つけるような軽率な発言、失言妄言、うわさ話に花を咲かせたり、人を傷つけるような安易な発言の無いよう気を付け、よく人の話を聞き、理解し、しかるべき発言行動を行うことの大切さを心掛けて頂き、間違えても地獄・餓鬼・畜生乃至修羅界の、三悪道四悪趣の境界に陥ることが無いようあるべきであります。その為にも、信心においては常に「初心不可忘」、常に初心に立ち返り、私たちはなぜ信仰を行う必要があるのか。世の中には信仰をしなくても、幸せそうな生活を送っているように見える方々が沢山いるのに、なぜ信仰している自分はそうならないのか。そうした疑問を持つこともあるかもしれませんが、私たちの信行の実践はそもそも過去からの宿業、罪障を今生現世に召し出だして消滅打開し、成仏得道の境界を目指す尊い信心であることをよくよく理解し、いかに今生現世で物質的精神的に恵まれ、豊かな生活を送っていても、いざ臨終を迎えた時、成仏の道を歩むことができるのは、コツコツと毎日大聖人様の正法正義を修し功徳を積み累ねてきた者だけに与えられる秘法であることを考えた時、世間の方は世間の方、私たちは出世間の信心を心掛け、特に今大事なことは人間力を高めることにあります。

 本来、仏教の教えは与えられた一期の人生をいかに生きるか、そして信心修行を励ませる為に、仏さまは法を説かれてきたのであります。世間では高学歴にて有名企業や官僚、いわゆる上級国民を目指している姿がありますが、人としてそれに見合う成長が出来ていないが故、ドロップアウトする姿も顕著となっております。ですから、お子様お孫様を持たれる方は、特にそうした面において常に信心を基軸とした生活を送ることの大切さ、何かしらの問題に直面したとき、私たちには祈るべき、頼るべき御本尊様の存在があること、そして諸天善神の御加護があることを誇りとして確信し、人としての所作振る舞いにおいて、尊く気高い姿を示すことができるよう人間力を高め、どのような世の中や社会にも順応できるような境涯を作り上げて頂きたく存じます。そして、身の回りに何かしらの問題を抱え悩み、苦しんでいる方がいたならば、困っている方がいたならば、そうした方を正法に導くことができるように、そして苦労を分かち合い、正法に帰依して喜び溢れる姿を拝して、我が喜び、楽しみとするような境涯に至ることが大事大切なことであります。

 つまり『観心本尊抄』の、「数他面を見るに、或時は喜び、或時は瞋り、或時は平らかに、或時は貪り現じ、或時は癡か現じ、或時は諂曲なり。瞋るは地獄、貧るは餓鬼、癡かは畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり。他面の色法に於ては六道共に之有り、四聖は冥伏して現はれざれども委細に之を尋ぬれば之有るべし」と大聖人様が仰せのように、声聞・縁覚の境界、乃至菩薩道を行じて仏界の境界に至ることができるよう、御先師日顕上人が「一切を開く鍵は唱題行にある」との御言葉を心肝に染め、お題目にお題目を累ね、全ての障魔を排除し、常に尊い境界にありつつ、その境界の上から慈悲の一念を持って悩める人々を救わしめ、更に世の中を正しく達観することができるような境界を目指すことが大事大切なことであります。

 また、私たちが信ずる正法正義の教えには、当然成仏得道への道、無始已来の罪障を消滅し、不幸な人生を幸福な人生へと好転させて行くことが説かれているのではありますが、同時にその本懐を成就する為には、倦まず弛まず継続して仏道修行していくことの大切さも説かれています。つまり、正しい仏道修行無くして成仏得道も成就しませんし、幸福な人生を構築することもできません。ましてや正法を行じていても、そこに嘘、偽りの信行の姿があったならば、油断怠りの姿があったならば、逆にありとあらゆる形で不幸な姿が顕れ、例えば大病に罹患したり、大ケガをしたり、世間上の大失態を犯したりと、本来遭わなくてもいい不幸な出来事を被ることになりかねません。

 だからこそ、時代が変わろうが、世間が変わろうが、コロナ禍になろうが、やるべき事は何も変わりません。自らの人生を限り無く好転させて行くためには、弛まざる仏道修行によって功徳を積み累ね、御本尊様からの御仏智御利益を得ることに尽きるのであります。そこのところを、よくよく掴んで離さずに日々お送り頂くことが皆さまの今後の人生の幸不幸の鍵となってくるのであります。

 最後に大聖人様は『観心本尊抄』に、「天台の云はく「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、花の盛んなるを見て池の深きを知る」等云云。妙楽の云はく「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得べきか」と仰せであります。つまり、正法を受持信行する者は、何事も一見することによって、より多くの事を見極め、物事の本質や因縁を理解することができ、そして世法をも理解し得ることができるようになるとの御教示であります。ここで大事なことは、やはり境界の高低によります。境界が高ければ高いほどその力が増し、境界が低ければその力も本領を発揮することができません。

 今回のコロナ禍もそうではないでしょうか。医者や専門家の言うことがいかに場当たり的で、いい加減なものであるかが、テレビやメディア等によって明らかになっております。それだけ、コロナ禍の動向は凡夫には理解し得ない動きを見せ、インターネット等では、コロナ禍は諸外国の陰謀論であることや、ワクチン接種についても不要論者や、今後の副作用などの不正確な情報を鵜呑みにしている姿もあります。それが否かどうかはそれぞれの方々が判断することではありますが、少なくとも1つの例として欧米のワクチン不要論者が身内をコロナ感染で亡くし、ワクチンを接種しなかったことに対して後悔している姿が多く報道されております。

 日蓮正宗におきましては、宗祖日蓮大聖人様出世の本懐である、本門戒壇の大御本尊様と時の御法主上人に信伏随従し広布大願に向かって、常に共にあることが大事であります。よって御法主日如上人猊下もワクチン接種をなされておりますので、皆さまに御迷惑をかけないようにと、私も迷い無く8月中に2回のワクチン接種を受けました。

 とにもかくにも、今はただコロナ禍の早期終熄と、本年、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節を名実共にお祝い申し上げることができるよう、決して無為に過ごすことなく、有意義且つ喜ばしい果報を賜り、結果のでる信行の実践に励むことが肝要であります。そして本年から明年にかけての丑年から寅年の刻みには、正に陰から陽にと様々なことが白日の下にさらされ、明らかになることも忘れてはなりません。ですからこそ、残すところの3ヶ月が、明年を左右するいかに大事な3ヶ月であるかを皆さま一人ひとりがお汲み頂き、倦まず弛ます信行の実践に励んで頂き、無事本年度の御会式を厳修させて頂き、無事故無障礙にて大晦日に向かって不撓不屈の信心を持って、日々御精進の誠を尽くして頂きたいと心よりお祈り申し上げます。