盂蘭盆会(令和3年8月)
今月は15日に盂蘭盆会法要(うらぼんえほうよう)を行います。「盂蘭盆(うらぼん)」とは、梵語(ぼんご)の「ウランバナ」のことで、「倒懸(さきがけ)」という意味で、餓鬼道(がきどう)の世界の飢(う)えや渇(かわ)きの苦しみが、逆(さか)さまに吊(つる)された苦しみに似ているところから、このように言われます。
盂蘭盆会は、悪道の世界に堕(お)ちて苦しむ人を救うために行う儀式(ぎしき)であり、仏教が日本に伝わってから約100年後の、斉明天皇(さいめいてんのう)の時代と言われています。
さて、『盂蘭盆経(うらぼんぎよう)』というお経典には、次のようなお話があります。「お釈迦(しやか)さまの十大弟子(じゆうだいでし)の1人に、神通第一(じんずうだいいち)と言われた目連尊者(もくれんそんじや)がいました。目連尊者は、幼い時に母親と死別したので、生前(せいぜん)に親孝行できなかったことを悔やみ、それを悲しく思っていました。そこで、母親の現在の様子を知るために、これまでの修行によって得ることができた神通力(じんつうりき)という不思議な力を使って、すべての世界を見わたしたところ、母親である青提女(しようだいによ)は、餓鬼道という苦しみの世界にいました。
その姿は骨と皮だけで、やせ衰(おとろ)え、のどは針のように細く、お腹(なか)だけがふくれて、見るもあわれな餓鬼(がき)となっていました。それでは、なぜ青提女は餓鬼道の世界に堕ちたかというと、生きている時は、大変欲ばりで物を惜しむけちんぼな性格で、慳貪(けんどん)という罪によってそうした世界に堕ちてしまいました。
この姿を見た目連尊者は大変悲しみ、早速(さつそく)神通力の力を使って母親に食べ物を与えようとしましたが、いざ母親が食べ物を口に入れようとすると、突然食べ物が燃え上がり、母親は炎に包まれてしまいました。驚いた目連尊者は、火を消そうと水を送ると油になり、母親は火だるまになって悲鳴を上げて泣きさけぶのでした。この様子を見て、もう自分では母親を救うことができないと思った目連尊者は、お釈迦さまのもとへ駆(か)けつけ、母親を救う道を尋ねました。
お釈迦さまは「目連よ。お前の母は罪深く、おまえ1人の力では救うことはできない。7月15日に、百味飲食(ひやくみおんじき)を供え、あらゆる僧侶を招(まね)いて供養しなさい。そうすれば母を餓鬼道の苦しみから救い出すことはできるであろう」と言い、目連尊者はお釈迦さまの言われた通りに、百味と言うあらゆる食べ物を、沢山の僧侶にご供養しました。そして何とか母親を餓鬼道の世界から救うことができた目連尊者は、お釈迦さまに「この大功徳を人々にも伝えて、それぞれの両親はもとより七代まで遡(さかのぼ)る父母をも救いたいと思います」と願ったところ、お釈迦さまは、「それは私の望むところである」と、多くの弟子や信徒に対して、この仏事を行うよう勧められました。これが「盂蘭盆会」、「お盆」の始まりとなりました。
目連尊者は、なぜ自らの修行で得た神通力という、私たちには考えられないような力で母親を救うことができなかったのでしょうか。それは、お釈迦さまがのちに説かれる法華経(ほけきよう)の力には遠く及ばなかったからです。また、目連尊者は母・青提女を一時的に餓鬼道の苦しみから救ったにすぎず、成仏させることは未だ出来ていませんでした。青提女の成仏については、日蓮大聖人さまが「目連尊者という人は、『正直に方便捨てて』と説かれるように小乗の戒律二百五十戒を投げ捨てて、南無妙法蓮華経と唱えたことにより、のちに多摩羅跋栴檀香仏(たまらばつせんだんこうぶつ)という仏に成ることができた。この時に、目連尊者の父母も仏に成ったのである。目連尊者の身心は父母が遺(のこ)した身体である。故に目連尊者の身心が仏に成った時に、父母も成仏することができたのである」と仰せであります。要するに目連尊者は、お釈迦さまが説かれた法華経を聴聞し、信受したことにより自分自身の成仏が適(かな)い、その功徳によって父母をも成仏に導くことができたのです。
そして今、私たちは日蓮大聖人さまが説かれた法華経より更に奥深い、南無妙法蓮華経の教えによってのみ、目連尊者と同じように亡くなった方々を成仏させて頂くことができるのです。ですから、いま世の中には色々な宗教がありますが、亡くなった人を正しく成仏に導くことは決して簡単なことではありませんし、何よりも今生きている全ての人が成仏するには、大聖人さまの正しい教えによってのみ、初めてかなうことであることは忘れてはいけません。
また、今月の「お盆」や3月、9月の「お彼岸」は、ご先祖さまの追善供養(ついぜんくよう)申し上げる大事な行事です。ましてや、大聖人さまの正しい教えのもと、お塔婆(とうば)を建てて、住職さんと一緒に御本尊さまに読経(どきよう)・唱題(しようだい)してお焼香(しようこう)を行い、正しく追善供養することがとても大事なことです。もしも、私たちが誤った教えによって供養しようとすると、目連尊者が神通力で母親を救おうにも、逆に苦しめてしまったように、亡くなったご先祖さまを苦しめてしまうことになります。ですから、皆さんには、この盂蘭盆会法要を機に、改めてご先祖さまへの供養の大切さを理解し、間違った教えによって供養している人たちに正しい先祖供養を教え、大聖人さまの正しい教えに導くことができるようになりましょう。
御先師(ごせんし)日顕上人(につけんしようにん)さまは、「末法の人々の周囲には、その人を不幸に落とそうとする、あらゆる障魔(しようま)が存在する。得体(えたい)の知れない地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしよう)のようなものの幽霊(ゆうれい)が取りついて障礙(しようげ)をなしたり、また過去の障(さわ)りが病魔(びようま)として表れたり、現在の心のなかの迷いが障魔として出て、あらゆる苦痛と不幸が生ずる」と仰せであります。世の中には成仏できずに苦しんでいる魂(たましい)があらゆるところに存在し、救いを求めています。特に、成仏せずに亡くなった魂は、亡くなった場所に残り彷徨(さまよ)っていると言われます。ですから、よく怪談話とか本当にあった恐い話を見たり聞いたりしたことがあるかもしれませんが、皆さんはいたずらにそうした場所や肝試しに行くことはやめましょう。そうした所に行ったりすると、成仏できずに苦しんでいる魂が幽霊となってついてきて、恐い思いをするかも知れませんよ。