木の話 ~生命を敬う~
奈良、法隆寺の宮大工棟梁(とうりょう)・西岡常一(つねかず)さん(故人)は、その著書の中で、木の扱いについて「樹齢千年の檜(ひのき)なら、寿命千年の建物が出来る。その為に、一本一本の樹の個性を見極め、最も適した所に配材する」と話している。
これを実行する為の膨大(ぼうだい)な経験と智慧が口伝(くでん)という形で西岡家に伝わっていて、興味深い。
(一) 木を買わずに山を買え
山ごと樹木を買い取れという意味ではなく、一本の木を買うにも、その生育の環境を知り、木の癖(くせ)を理解しろ、と。斜面の北に育ったか南に育ったか、その場所の風向(かざむき)きは、地質は・・・。
ここで特に風向きは大切なようで、木のねじれは風と逆方向に戻ろうとする癖(くせ)なので、生(は)えている場所を実際に見なければ、それは読めない。正しく読んだ上で、右にねじれる柱と左へねじれる柱を梁(はり)で結(むす)べば、両側から材がギュッと押し合い、只まっすぐな柱を立てるより余程(よほど)強い建物になる。
(二) 木は生育の方位のままに使え
北斜面の木は建造物でも北に配し、南のものは南に使う。東西も同様。飛鳥(あすか)時代の建物は忠実にこれが守られ、千三百年の寿命を持(たも)った、室町のものは方位を忘れて組まれ、六百年の寿命しか持(も)たなかった、と西岡さんは言う。その他にも山の中腹から上の木は、その強さを生(い)かし、柱や梁(はり)の構造材に、谷に近い木は柔(やわ)らかさを生かし造作材に、等々・・・。
「木は大自然が育てた命。物ではありません。生き物です。人間も又生き物ですな。木も人も自然の分身ですがな。物言わぬ木と、よう話し合って、命ある建物に変えてやるのが大工の仕事ですわ」
一本の木を理解する為に、どんな労苦も惜しまない、それは、西岡さんが木に命を見、尊敬の念を持ち、仏や神さえ感じるから、出来る事であろう。
(草思社刊「木のいのち、木のこころ」取意)
一つの道を極(きわ)めた人は、時に法華経に通ずるような智慧や言葉を示してくれる。
木の話から、法華経に登場する不軽菩薩を連想した。道で行き会うあらゆる人々に、合掌礼拝した不軽(ふきょう)菩薩(ぼさつ)を、日蓮大聖人様は「修行の手本とせよ」と教えられている。
自我(じが)の強さから、人を敬う事の出来にくい弟子に
「法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ」
(御書一一七四㌻)
と、自分と相(あい)容(い)れない、対立する人の中にも仏の命を見なさいと教えられている。
生きた人間は、木よりずっと難(むずか)しい癖があり、一人として同じ人間も居(い)ない。妙法のお題目を唱え、修行のし所(どころ)である。