Take action (其の一)

Take action (其の一)

 8月27日、28日の両日、総本山大石寺にて第69回全国教師講習会が開催されました。コロナ禍の影響で6年ぶりとなりましたが、全国の教師一同が総本山大石寺に一堂に会し、御法主日如上人猊下による『一念三千法門』の御講義や教師指導会での御指南、水島総監様の御指導を有り難く拝聴させて頂きました。
 その中で御法主日如上人猊下は、「自らの鍛錬」、「信・行・学の実践」、「身軽法重死身弘法」の大事を御指南遊ばされ、水島総監様は、「大聖人様の御法門、一般仏教やあらゆる学問に精通する学の德、身口意の三業相応した所作振る舞いをもって、あらゆる方々から信頼を得る人徳を身に付けることがいかに大事なことであるか。そして、1番大事な徳とは福徳を身に付けること、すなわち日頃の信行実践によって功徳を積み重ねること(積功累徳)が肝要である」と御指導されました。
 世間でも、人徳や学問に秀でた方々は数多いれど、それによって人を救うことはできません。当然、医学に精通している医師であったならば、医学的に人々を救うことはできますが、過去・現在・未来の三世を貫く、私たちの人生における不幸の原因を断ち切り、根本的に人々を幸福ならしめるには、まず自らが功徳を積み累ねて我が身を荘厳し、更にその功徳利益をもって人々を教化しこの法に帰依せしめることしか、その方途はありません。
 さて、私は昭和51年末に生を受け成長してきましたが、その私ですら令和の今日の世相を拝するに、この50年間で世の中は大きく変わってしまったと感じます。昭和末期から平成初頭は、円高ドル安の為替相場で1ドル80円前後、日本では初めて平成元年4月1日から3%の消費税が導入され、何か浮き足立った感じはあったものの、まだ世の中は明るく活気に満ち溢れ、マクドナルドは39セットと称して、390円でハンバーガー・ポテト・ドリンクが買えた時代、将来に対する安心感や期待感が持てる時代、毎日のニュースの内容も、現在のようなものではなかったと記憶しております。ましてや、戦前・戦中・戦後に誕生された方々には、戦時国家や敗戦国としての苦悩極まりない生活を経験し、国家国民が一体となって努力に努力を重ね、所得倍増計画や東京オリンピック開催、東京タワーの建造など、戦禍を乗り越え、高度経済成長により世界各国を驚かせるような戦後復興と経済発展を遂げてきた姿を間近に見てきたかと存じ上げます。その要因の一つとして、必死に努力すれば大凡報われる時代であったからだと思います。今なお日本人は勤勉にて礼節を弁え、それを美徳とする人種として世界から認知されておりますが、令和の今日における我が国の世相はいかがなものでしょうか?
 再び話は平成元年に戻りますが、「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのCMのキャッチコピーが平成元年の流行語大賞にノミネートされ、「長時間労働を美徳」とする風潮を象徴する言葉でしたが、今では働き方改革が叫ばれ、過労死などをよびおこすブラック企業と見做され、既に死語となっております。実際のところ、この栄養剤の製造元である三共によれば、「24時間働くという意味ではなく、オンオフを使い分けて戦おう」というメッセージを込めたものであったようではありますが、その時代背景からすれば、一生懸命働けば働くほど賃金を稼げる、バブル経済末期の時代の象徴であったことは事実であります。
 やがて平成2年以降、世の中はバブル経済の崩壊と共に多くの地方銀行、証券会社も数社が経営破綻し、大手銀行が合併する結果となり、現在は三大メガバンク、四大銀行体制になりました。また、平成6年の阪神淡路大震災を皮切りに、長岡中越沖地震、東日本大震災、能登半島大地震といった大地を揺るがす大災害、病原性大腸菌O157、SERS、新型コロナウイルスといった感染症の蔓延、その他台風の大型化やゲリラ豪雨、平均気温の上昇といった気候変動、さらには地下鉄日比谷線脱線事故やJR福知山線脱線事故、高速バスや飛行機のハイジャック事件、ゆとり教育などによる子供の学力低下をはじめ、悲惨な交通事故や奇怪な惨殺事件等の人災が、我が国の人々を襲う姿は枚挙に暇がありません。
 そうした世相の影響の故か、はたまた先般紹介しました『東京大学名誉教授・上野千鶴子氏の祝辞』の、「世の中には多くの不正が罷り通り、不正直不公平極まりない世の中、頑張っても報われない、頑張り過ぎて身心に不調を来す人、頑張ろうにも頑張れない人が沢山いる世の中」となっている今、努力することなく、楽に簡単にお金を稼ごうとするところから、失敗に失敗を重ねてそれが犯罪へと変わり、オレオレ詐欺に始まり、還付金詐欺や太陽光発電、不動産、FXなどの投資詐欺をはじめとする、人々を貶めて資産を得ようとしたり、そうした上手い話に手を染め騙される人々、そもそも日本人が美徳としてきた勤勉さ、何事も必死に一生懸命取り組む姿を売りにしてきた状況が、この数十年で大きく変わってきたと思います。
 ここでようやく本題となりますが、人心の荒廃や世情の混乱は、偏に邪宗謗法の害毒と三毒煩悩渦巻く五濁悪世であるが故に、不幸の歴史は繰り返されるのではありますが、令和の今、唯一の救いは信教の自由にあります。江戸時代は寺請制度の弊害、明治・大正・昭和の戦後までは、廃仏毀釈や国家神道による仏教弾圧が大きく存在し、末法唯一無二の正法正義たる宗祖日蓮大聖人様説くところの『立正安国』の御教えは、大きく顕揚することが非常に難しい時代であったのではありますが、その難局を各時代における御歴代上人をはじめとする僧俗御一同が奈良時代の既成仏教や鎌倉新仏教、江戸末期、明治維新以降乱立した新興宗教との公開法論や、全国各地での折伏戦の展開により、宗祖日蓮大聖人から決して断絶することなく厳護されてきた、本門戒壇の大御本尊様とその御法を御相承遊ばされた時の御法主上人により、令和の現在では御当代御法主日如上人猊下のもと、私たちは些かの弊害もなく、自由闊達に信仰に励める時代であります。
 曾ては日蓮正宗の僧俗でありながら、宗門の歴史としかるべき伝統を蔑み、法盗人とも言うべき新興宗教団体も存在しますが、私たちは宗祖日蓮大聖人様が説かれた全ての法義を継承されている、時の御法主上人猊下に信伏随従申し上げ、何時の時も宗祖日蓮大聖人が弘安二年十月十二日に御図顕の、出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊様に御目通りさせて頂けること、つまり総本山第二十六世日寛上人が『寿量品談義』の「三大祕法惣在の本尊大石寺に在る事」に、「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ」との如く、本門の大御本尊様在す総本山大石寺に詣でて、令和の今、現時における本門の戒壇たる奉安堂において、本門の題目を唱えさせて頂ける有り難みを噛み締め、一期の人生における最高最善なるの至福の時として拝すべきであります。(つづく)