卞和が璞玉(令和7年7月)

卞 和 が 璞 玉(べんかがはくぎよく) 令和7年7月 若葉会御講

 今日は立派な宝石の真価が分かってもらえず、かえって両足を切られる迫害にあった人の話をします。この話は日寛上人の寿量品談義の中にあります。卞和(べんか)は人の名前で中国の楚(そ)の時代(紀元前七四〇年頃)の人で、三国伝記の書物にも書かれています。璞玉(はくぎよく)とは、まだ研磨(けんま)していない宝石の原石(げんせき)のことです。
 さて、この卞和という人が荊山(けいざん)という山の中を歩き回っていると、めったに発掘することのない一尺(三〇センチ)位の宝石の原石を見つけました。卞和は、他人にはただの石ころに見える石でも、それが本当にただのつまらない石なのか、磨けば素晴らしい宝石に変化するのかという見分けのできる力を持っていたのです。しかし、自分では研磨することはできませんでした。
 卞和は、「これはすごい。この国の王様に献上してこの国の宝としてもらおう」と決心して、時の王様である厲王(れいおう)に「この石は立派な璞玉です。玉造りの職人によく磨かせて御覧下さい」と言ってその石を差し出しました。しかし、玉磨きの命令を軽く受け入れた職人は、ろくに磨きもせずに「これはただの石です」と厲王に報告しました。卞和はどんな輝き玉になるのだろうかと楽しみにしていたのですが、厲王は「お前はよくも私に嘘をついたな」と言って、罰として卞和の左足の筋を切ってしまいました。卞和は、まだよく磨かれていない璞玉を返されて「もっとよく磨けば本物かどうか分かるのに」と悔やみました。
 やがて代は武王(ぶおう)の代になりました。卞和は今度こそ真実が解(わか)ってもらえると思い、武王に「二度と出現しない尊い璞玉です」と言って献上(けんじょう)しました。武王は玉造りの職人に磨かせました。しかし、まだ磨きが足りません。職人は、自分の判断で、途中なのにやめてしまいました。そして「磨いてはみましたが、たいした璞玉ではありません」と武王に報告しました。武王は怒って今度は卞和の右足を切って、荊山に置き去るように家来に命じました。
 それから二十四年が過ぎました。武王は亡(ほろ)び、文王(ぶんおう)の代になっていました。文王は、荊山に狩りに出かけました。すると、山の中で男の泣き声が途切れることなく聞こえてきます。近づいて見ると璞玉を抱いて泣いている卞和でした。文王は、「大人のお前がどうして声を上げていつまでも泣いているのか。」と聞きました。すると卞和は、「私は足を切られて悲しんで泣いているのではありません。この璞玉の何物にも代え難い真価が、誰にも分かってもらえないことを嘆いているのです。又、私が国王を想う忠義の真心を解ってもらえず、うそつきの慢心者とののしられていることを悲しんでいるのです」と答えました。
 文王は早速卞和を城へつれて帰り、玉造りの職人に磨かせました。今度は何日もかけて、途中でやめることなく光り輝くまで磨かせました。一ヶ月近く経った頃、璞玉はまぶしいばかりの七色の光を放ちました。卞和は両足を失っても国の宝となりえる璞玉を献上し続けました。文王は卞和のことばを信じて来る日も来る日も磨かせました。職人も全ての技術を尽くして磨き上げました。その結果、璞玉は立派な宝玉(ほうぎょく)に変身したのです
 この宝玉は、道にかかげると、十七両の車を照らしたので「車照の玉」といい、客殿にかかげると、夜中でも十二の街を照らしたので「夜光(やこう)の玉」と言われました。この宝玉は卞和が言っていた通り国の第一の宝として代々の王に伝わっていきました。
 ちょうどその頃、趙(ちよう)の国の隣に秦国(しんこく)の大王がいました。隣国を攻め落として勢力を伸ばしている大変威勢のいい国王です。その王が十五城の領地と例の宝玉を交換しようと言ってきました。一城は、一万三百六十六里(約五万キロメートル)という広さで十五城ではとてつもなく広大な領地です。
 趙王(ちょうおう)は秦王(しんおう)に立てつく力がなかったので秦王に宝玉を献上し、宝玉は「連城(れんじょう)の玉」と名付けられました。ところが秦王は趙王に一城も与えようともせず、宝玉も返そうとしませんでした。そんな時に藺相如(りんしようじよ)という趙王の臣下が「私が連城の玉を取り返してまいります」と言って、刀剣も持たず兵士もつけず、衣を着て冠をかぶって礼儀をつくして秦の宮殿まで向かいました。そして「私は趙王の使いでやってきた者です。実は先年献上した連城の玉には隠されたきずがあります。そのことで国に災難があるといけませんので、それを申し上げに参上いたしました」と伝えました。
 秦王は連城の玉を王盤の上に置き、藺相如の前に差し出しました。すると藺相如は、玉のきずを見るふりをしながら、「君主に二言(にごん)なしとありますが、秦王はどうして十五城と交換すると言われながら領地も玉も返さず、はかりごとをなさるのですか。実はもともとこの玉にきずは全くありません。今私がきずをつけ、私の血でこの玉を汚します。いかがしますか」と、ふところに隠し持っていた短刀を玉に突きつけ、命がけの勝負に出ました。近づく者があれば、玉にきずをつけ血まみれになる覚悟がひしひしと伝わってきます。秦王は、その気迫を見込んで、藺相如に連城の玉を持ち帰ることを許したのでした。
卞和が璞玉のように、私たちが誰かに本当に伝えたいことをわかってもらえること、さらにまた大聖人さまの教えの素晴らしさ、尊さを世の中の人々に理解してもらうことはとても難しいことです。けれども最後はその卞和の熱意が通じて、文王がやっと璞玉の素晴らしさを知ったように、私たちは何事も最後まであきらめないことが大事です。
 さて、私たちの命について宗祖日蓮大聖人さまは、「譬へば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」と仰せになられています。
 つまり、私たちは日頃、楽しい時嬉しい時が続けば良いですが、悩んだり悲しんだり、苦しい時やつらい時があると思います。さらにこれから中学生や高校生、そして大人に成長していくと、そのような大変だと思うときが増えてくると思います。しかし、卞和(べんか)が見つけた原石を磨き続けていけば宝石になったように、私たちの心は汚れて曇(くも)った鏡のようなものですから、本当の姿を映すことができない鏡であり、きれいに磨いていけばその鏡も本来のきれいな鏡の役目を果たすことができるようになり、私たちの心も清らかな心へと変えていくことができます。
 そのためには、一生懸命御本尊様に勤行や唱題をねばり強く続けて行くとで、まずは自分自身の心が変わり、ものの見方が変わり、そうすると色々なことが正しく見えるようになり、悩んだり困ったりすることもなくなっていきます。
 ですから、毎日の勤行や唱題を怠らず続けて行くことがとても大事なこととなります。どうか皆さんには、これから夏休みを迎えますが、休み中病気やケガをすることなく、つまらない思いや悲しい思いをすることがないよう、楽しい夏休みを送るためにも規則正しい生活を心がけ、しっかりと朝夕の勤行や唱題を行い充実した毎日を送り、宿題も早く終わらせることができるように、夏休み中の計画を立てて、その計画をもとに頑張って行きましょう。