御報恩御講(令和7年6月)
令和七年六月御講
四条金吾殿御返事 (1117ページ) 建治三年四月 五十六歳
賢人(けんじん)は八風(はっぷう)と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり。をゝ心(むね)は利(うるおい)あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風(はっぷう)にをかされぬ人をば必ず天はまぼ(守)らせ給(たま)ふなり。
さて、今月拝読の御書は、『四条金吾殿御返事』であります。
本抄は、建治三(一二七七)年四月、大聖人様御歳五十六歳の時に、身延より四条金吾殿に与えられた御書であります。また、その内容から『八風抄』とも呼ばれています。御真蹟はその大半が現存せず、断簡が京都妙覚寺と池上本門寺(いずれも日蓮宗)にわずかに保管されています。
最初に本抄御述作の背景について少々申し上げます。
四条金吾殿については、何度もお話しておりますが、金吾殿の主君・江間光(みつ)時(とき)・親(ちか)時(とき)が、極楽寺良観の熱心な信徒であることが大きく関係しております。
文永十一(一二七四)年四月、大聖人様が佐渡配流から鎌倉に戻られ、平ノ左衛門尉に対して三回目の国家諫暁を行いましたが聞き入れられず、日興上人の教化による波木井実長の招きに応じ、身延に入山されました。その年の五月の頃です。大聖人様が身延へ入山されると、金吾殿は、「今こそ主君よりの大恩に報いるべき時である」と決意を固め、主君・江間光時への折伏を敢行したのであります。
しかし、その折伏によって金吾殿は主君より不興をかってしまったのです。すると普段、主君からの信頼を一身に受けていた金吾殿を面白く思っていなかった同僚たちは、ここぞとばかりに金吾殿に関する讒言(ざんげん)を加え始めました。
そして建治二(一二七六)年九月、とうとう主君から減俸(げんぽう)左遷(させん)となる越後への領地替えを命じられたのです。この領地替えの件は大聖人様の教導に従って拒否しました。 しかし、これを拒否した金吾殿に対して同僚たちから非難の声があがり、ついには所領没収の声があがりました。いよいよ窮地に追い込まれた金吾殿は、訴訟を起こして種々の申し開きをしようと決意し、その旨を大聖人様に御報告したのです。
金吾殿からの御手紙をご覧になった大聖人様は、金吾殿に対して重ねて「大恩ある主君を恨むことなく、一途に君臣(君主と臣下)の道を守れば、必ず諸天の加護がある」旨を示され金吾殿を戒め諭されたのです。
それでは通釈して参りますと、
「賢人(けんじん)は八風(はっぷう)と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。」
(通釈)
「賢人、賢明な人とは、八風といって八つの風におかされない人をいうのです。」
「利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり。」
(通釈)
「(その八風とは)利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)のことです。」
①利(うるおい)とは仕事が驚くほど事が運ぶなど、なんでも自分の思いのままになること。
②衰(おとろえ)とは、一生懸命に努力してもうまく事が運ばないなど、自分の思いのままにならないこと。
③毀(やぶれ)とは、俗に言う陰口など、自分の見えない所で悪口を言われたり、非難されたりすること。
④誉(ほまれ)とは、自分の見えない所で自分のことを誉められること。
⑤称(たたえ)とは、何かの表彰を受けたりして他人から褒められること。
⑥譏(そしり)とは、面と向かって悪口や苦言をいわれること。
⑦苦(くるしみ)とは、自分が病気になったり、家族が悩み事を抱えるなどの身体的、精神的に押さえ込まれ、悩むこと。
⑧楽(たのしみ)とは、悩みや苦しみが解決して身心が快適で楽しい状態。
「をゝ心(むね)は利(うるおい)あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。」
(通釈)
「この八風の主旨は、利(うるおい)があるときも喜ばない、また 衰(おとろ)えたとしても嘆(なげ)かない等のことをいうのです。」
「此の八風(はっぷう)にをかされぬ人をば必ず天はまぼ(守)らせ給(たま)ふなり。」(通釈)
「この八風におかされない人を必ず諸天は守ってくださるのであります。」
大聖人様はこれら八つの風に対し、一々動揺したり粉動(ふんどう)されてはいけないと四条金吾殿に仰せになっているのでありまして、一喜一憂しない賢人としての振る舞いをすることにより必ず諸天の御加護があると仰せになっています。
本抄を賜った二ヵ月後、法華誹謗の説法を行った比叡山(ひえいざん)の竜(りゅう)象房(ぞうぼう)という僧侶を、大聖人様の弟子である三位房(さんみぼう)が完膚(かんぷ)なきまでに破折しました。この時金吾殿も三位房(さんみぼう)に 同行していたところ、逆恨(さかうら)みした竜(りゅう)象房(ぞうぼう)は極楽寺(ごくらくじ)良(りょう)観(かん)と結(けっ)託(たく)し、「金吾らが徒党を組んで乱入し、暴力で法座を乱した」と、虚偽(きょぎ)の訴えを幕府に起こしたのです。
良観の策謀(さくぼう)を真に受けた江馬氏は立腹し、とうとう金吾に対して、大聖人様の信仰を捨てる旨の起請文(きしょうもん)を書くよう命じました。さもなくば所領を没収するという厳しい処置でした。これに対して金吾殿は「たとえ所領を没収されようとも、法華経を捨てる起請文(きしょうもん)は断じて書かない」旨を 大聖人様に誓い、あくまでも大聖人様の御指南に従って 一心に唱題に励みました。
その後しばらくして国内に流行(はやり)病(やまい)が蔓延(まんえん)し、主君・江馬親(ちか)時(とき)も病に倒れました。いかなる治療も効果を発揮しなかったため、親(ちか)時(とき)はやむを得ず医道にも長じた金吾の治療を受けることになったのです。金吾の真心からの治療の結果、親(ちか)時(とき)は無事回復し、金吾は親(ちか)時(とき)よりの信頼を取り戻しました。そして、金吾は以前よりも多くの所領を賜ることができたのです。
このように、進退窮(きわ)まるほどの苦難の中で金吾殿は最後まで大聖人様の御指南を守り続け、見事に正法受持の大功徳を顕すことができたのです。
それでは、拝読の御聖訓のポイントを二つ申し上げたいと思います。
一つ目は「八風に左右されない信行をしよう」ということです。
御聖訓では、大聖人様が八風に左右されない強(ごう)盛(じょう)な信心を培(つちか)うべきことを説かれています。八風は、利(うるおい)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・楽(たのしみ)の四(し)順(じゅん)と、衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)の四違(しい)に分けられ、私達は四順に値っては喜び、四違に値っては悩み 落ち込んだりします。
たとえば、利益を得ればさらにより多くの利を欲し、衰えれば嘆いて動揺したり、周囲の人から誉められれば謙虚さを忘れて傲慢(ごうまん)不遜(ふそん)になる人もいます。また、病苦を抱えた時には自暴自棄(じぼうじき)になるなど、心が揺らぎ定まらないことで、人生や生活の中に様々な問題を抱え込むようになるのです。
大聖人様は本抄で、「利(うるおい)あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。」と仰せられ、金吾殿に対して八風に一喜一憂しない賢人としての振る舞いをするよう御教示なされています。そして「此の八風(はっぷう)にをかされぬ人をば必ず天はまぼ(守)らせ給(たま)ふなり。」と、泰然(たいぜん)とした境界を築いてこそ、諸天の守護を受け、人生の苦難を乗り越えていくことができるとお示しになっています。
大聖人様は、同じく金吾殿に与えられた別の御書に、
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとな唱へゐ居させ給へ」
(御書九九一㌻)
とお示しのように、苦悩の中にあっても、いかなる状況の変化があろうとも、一切を御仏智に任せ、朗々と題目を 唱え続けて自身を見失わない人こそが真の賢人であり、 御本尊様の功徳はもちろんのこと諸天の加護も得て、いかなる祈りをも叶えていくことができるのです。
このような境界に住することは、大変に難しいことかもしれません。しかし、一切を御本尊様にお任せし、強盛な信行に徹することによって、必ずこのような境界を得ることが出来るのです。私たちは、たとえ目前に困難が競い 来ようとも、それに翻弄されず、真剣な唱題を重ねて乗り越え、さらに自行化他の信心修行に精進することが最も 肝要であることを肝に銘じて参りましょう。
ポイントの二つ目は、「御法主上人の御指南を体して折伏に挑戦しよう」ということです。
大聖人様は本抄に、「だんな(檀那)と師とをも(思)ひあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし」(御書一一一八㌻)と示されています。
その例として、大聖人様は、大学(だいがく)三郎(さぶろう)殿や池上(いけがみ)宗仲(むねなか)殿、波木井(はぎり)実(さね)長(なが)殿等を例にとり、仏法の師である大聖人様と 信徒とが心を合わせて祈らなければ、決してよい結果を 得ることができない旨を厳しく忠告されています。
所領(しょりょう)替えの件については、自暴自棄(じぼうじき)に陥(おちい)ることなく 神妙な態度で主君に仕え、難を乗り越えるまで辛抱するよう念を押されています。
波木井実長の場合は、訴訟について大聖人様の御指南に従わなかったことをおおせになっています。そして、このようなことでは決して良い結果を得ることができないと訓誡され、師匠と檀那(檀信徒)が心を一つにして御祈念することの大事を教えられています。
現代を生きる私たちにとって仏法の師匠は、大聖人様より唯授一人血脈付法の御法主上人の御事であります。御法主上人猊下の常の御指南は、大聖人御遺命の広宣流布に向かって全国、全世界の僧俗が心を同じくして立ち上がり、真の幸福境界を得ていくことにあると拝されます。今こそ私たちはこの御意を体し、何としても誓願を成就するため折伏に勇気を持って挑戦してまいりましょう。
自分の今できること、やらねばならないこと、疎(おろそ)かにしていませんか? 先ずは目先の出来ること、やらねばならないことと、しっかり向き合う姿勢が大切だと思います。
最後に御法主日如上人猊下は、次のように御指南なされています。
「末法の一切衆生は、宗祖日蓮大聖人様を久遠(くおん)元初(がんじょ)の御本仏と仰ぎ奉り、大聖人様が御建立あそばされた人法一箇(にんぽういっか)の大御本尊を帰命(きみょう)依止(えし)の本尊と崇(あが)め、至心(ししん)に妙法を唱え、自行化他にわたる信心を行じていくところに、必ずや自らの幸せと多くの人々の幸せを実現し、真の世界平和を築くことができるのであります。」(大日蓮・令和七年四月号)
このように御指南なされ、御本尊様に向かって真剣にお題目を唱え折伏をしていく、これこそが真の世界平和を築くと御指南なされております。御法主上人猊下の御指南のもと、指導教師と心を合わせて誓願達成に向けて精進してまいりましょう。
本年、「活動充実の年」も間もなく半年が過ぎようとしています。この半年間の活動はいかがだったでしょうか。
もし、十分ではないところがあったならば、今日からまた決意を新たにしましょう。残り半年の活動こそが、支部の誓願達成を決する貴重な時間であることを自覚し、折伏と育成に情熱を傾け実践してまいりましょう。
そして、さらにもう一歩、さらにもう一言の折伏を実行し、日々の活動を充実させ共に前進してまいりましょう。