御報恩御講住職指導(令和7年6月)

 総本山第五十七世日正上人は、「何事も おのが因果の報いぞと 思う心が仏なりけり」とお詠みになられているように、私たちは日々の生活において三世の生命と宿業の存続、厳然たる因果の理法のもと過ごしており、善悪様々な事象、自身が受けるありとあらゆる果報は必ず自分自身に原因があり、その上で如何に信行の実践に励み罪障消滅宿業打開に努め、悪の果報を離れてよりよき善業の礎を築き上げることができるよう、精進していくことが肝要であり、そこにこそ一生成仏の道が開けてくるのであり、多忙な日々で朝夕の勤行や唱題をしっかり修して、大聖人さまの御意に適った人生を構築することがいかに大事でありなおかつ、基本中の基本、根本中の根本であるかを銘記すべきであります。
 日蓮正宗の僧俗たる私たちであっても、生来の三毒煩悩の用きにより、知らず知らずのうちに慢心を起こしたり、我意我見に執して、うっかり貪欲・瞋恚・愚癡の境界に堕してしまえば、たとえ小さな悪行の因縁の報いであっても、結果的にそれが特大ブーメランとなって、必ず自身にかえってくることを知るべきであります。 
 したがって大聖人様が『当体義抄』に、「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」との仰せを拝し奉り、さらに「日蓮が一門は、正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てヽ、正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕はす事は、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふるが故なり」との御教示のままに、我が身を荘厳すべく何事も唱題行を根本に因果応報の道理を銘記しつつ、より一層信行の実践に励み、不幸の境涯を真の幸福なる境涯に転じるべく、平穏無事なる日々をより尊くより長く継続することができるよう、自身の悪業の因縁を断ち切り、不幸の境涯に堕すことがないよう精進の誠を尽くすことが非常に大事なこととなります。
 今世間では、長く続いた学歴社会の風潮も無くなりつつありますが、当然高学歴にして多様な知識を持ち、それを活かせる能力を持ち合わせているならば非常に結構なことであります。しかし、今世の中に求められている人材とは、いかにコミュニケーション能力が高く、どんな場面を迎えても柔軟に対応でき、協調性のある人材が必要とされているのではないでしょうか。よって、私たちはそのような人材になれるよう信心を根本に自身を変えていくことができるよう、己を省みより高く尊い境界の上から大局的に物事を推し量れるように、自身を錬磨して行くことが大事大切なことであります。 そしてまた、このことは折伏においては尚更であります。いかに下種相手の置かれている状況を見極め、適切な言葉と誠意をもって対話していくかが、折伏成就の一つの鍵になると思います。ただ日蓮正宗の正しさ、日蓮大聖人の教えの尊さを一方的に伝えても、相手が求めている現状に即した話でなければ、なかなか聞く耳を持たず、かえって反発を招くきっかけになってしまうと思います。ですから、まずは御本尊様に対する祈りと願いを込めて真剣なる唱題行に徹し、その功徳利益をもって尊い御仏智を賜り、自由自在な崇高なる境涯になれるよう、弛まざる信行の実践と志高い信心への熱意をもって、それぞれ取り組んで頂きたいと心より念願いたします。