御報恩御講(令和7年5月)
令和七年五月御講
椎地四郎殿御書(しいじしろうどのごしょ) (一五五五ページ)
弘安四年四月二十八日 六十歳
法華経(ほけきょう)の法門(ほうもん)を一文(いちもん)一(いっ)句(く)なりとも人(ひと)にかたらんは過去(かこ)の宿縁(しゅくえん)ふかしとおぼしめすべし。経(きょう)に云(い)はく「亦(また)正法(しょうぼう)を聞(き)かず是(か)くの如(ごと)き人(ひと)は度(ど)し難(がた)し」云云。此(こ)の文(もん)の意(こころ)は正法(しょうぼう)とは法華経(ほけきょう)なり。此(こ)の経(きょう)をきかざる人(ひと)は度(ど)しがたしと云(い)ふ文(もん)なり。法(ほっ)師(し)品(ほん)には「若(にゃく)是(ぜ)善男(ぜんなん)子(し)善女人(ぜんにょにん)乃(ない)至(し)則(そく)如来(にょらい)使(し)」と説(と)かせ給(たま)ひて、僧(そう)も俗(ぞく)も尼(あま)も女(おんな)も一(いっ)句(く)をも人(ひと)にかたらん人(ひと)は如来(にょらい)の使(つか)ひと見(み)えたり。
本抄は、弘安四(一二八一)年四月二十八日、大聖人様御歳六十歳の時に、身延より椎地四郎殿に与えられた御書であります。
本抄お認めの背景について簡単に申し上げますと、本抄の冒頭に、
「先日(せんじつ)御物語(おんものがたり)の事について彼(かれ)の人(ひと)の方(かた)へ相尋(あいたず)ね候(そうら)ひし処(ところ)、仰(おお)せ候ひしが如く少しもちが(ちが)はず候ひき」
という御文があります。
どういうことかと申しますと、椎地殿が身延の大聖人様の元に参詣し、何か大切な事柄について御報告した。そして大聖人様がそのことを「彼(かれ)の人(ひと)」に尋ねた、つまり、確認したところ、貴方の話した通りであった。
椎地殿が、どのようなことを大聖人様に話されたのかは明らかではありません。
と言うのは、本抄の成立年代に二つの説があります。
一つは、弘長元年四月二十八日。本宗では、弘安四年四月二十八日の説を取っておりますから、二十年の開きがある訳です。二十年の間には社会情勢も色々変わっておりますから、系年によって、背景が違ってくるわけであります。
弘安四年の説を取りますと、重大な事件として、弘安の役があります。本抄は四月二十八日の御書ですが、実際に高麗(こうらい)軍が対馬(つしま)に攻め入って来たのは五月二十一日ですから、社会は非常に緊迫した状況にあり、人々の不安も大変大きなものであったことは想像に難(かた)くありません。此の蒙古(もうこ)襲来(しゅうらい)に対する鎌倉の為政者(いせいしゃ)の対応を報告したのではないか。大聖人様がそのことを「彼の人」に確認したところ、貴方の報告の通りであった、と解することが出来ると思います。それは恰(あたか)も「師曠(しこう)が耳・離婁(りろう)が眼(まなこ)のやうに聞き見させ給へ」との仰せのように、椎地殿の正しい耳、正しい眼をお褒(ほ)めになり、今後とも正しく聞き、正しく物事を見るように御教示なされたと拝するのであります。
椎地四郎殿について、年齢・経歴等その人となりは明らかではありませんがが、本抄の最後の一文には、
「四条金吾殿に見参(げんざん)候はゞ能く能く語り給ひ候へ」とあるところから、鎌倉在住の武士であり、同信の仲間であったと思われ、その誼(よし)みで、四条金吾殿と親交があったことが分かります。
また、弘安四年十月二十二日の富木常忍殿に与えられた御書には、
「又必ずしいぢ(椎地)の四郎が事は承り候ひ畢んぬ」(『富城入道殿御返事』御書・一五七三㌻)とありまして、ここでは富木殿が大聖人様に椎地殿のことについて何か一身上のことをお願いしていることからも、椎地殿は鎌倉の四条金吾殿ばかりではなく、下総の富木殿とも親交(しんこう)を深(ふか)く結んでいたことが分かります。
椎地四郎殿は大聖人様の葬儀にも参列されており、本抄には「金吾殿に見参(げんざん)候はゞ能く能く語り給ひ候へ」とあることから、金吾殿や富木殿から信心を学び、御法門を聴聞していた大変信心の篤い方であったと思われます。
此れ等のことを、よくよく念頭に置きながら、いつものように通釈をしてまいります。
「法華経(ほけきょう)の法門(ほうもん)を一文(いちもん)一(いっ)句(く)なりとも人(ひと)にかたらんは過去(かこ)の宿縁(しゅくえん)ふかしとおぼしめすべし。」
(通釈)
「法華経の御法門を一文一句でも人に語ることは、過去の宿縁が深いと思うべきであります。」
「経(きょう)に云(い)はく「亦(また)正法(しょうぼう)を聞(き)かず是(か)くの如(ごと)き人(ひと)は度(ど)し難(がた)し」云云。此(こ)の文(もん)の意(こころ)は正法(しょうぼう)とは法華経(ほけきょう)なり。此(こ)の経(きょう)をきかざる人(ひと)は度(ど)しがたしと云(い)ふ文(もん)なり。」
(通釈)
「法華経方便品には「正法を聞く耳を持たないような人は救うことができない」と説かれています。」
この経文の意味は、正法とは法華経であり、この法華経を聞かない人は救うことが難しいという文であります。
「法(ほっ)師(し)品(ほん)には「若(にゃく)是(ぜ)善男(ぜんなん)子(し)善女人(ぜんにょにん)乃(ない)至(し)則(そく)如来(にょらい)使(し)」と説(と)かせ給(たま)ひて、僧(そう)も俗(ぞく)も尼(あま)も女(おんな)も一(いっ)句(く)をも人(ひと)にかたらん人(ひと)は如来(にょらい)の使(つか)ひと見(み)えたり。」
(通釈)
「法華経法師品第十の文には、『若し是れ善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊(ひそか)に一人の為にも、法華経の、乃至 一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり』法華経三二一)と説かれており、僧侶も信徒も、尼も女性も、法華経のたとえ一句でも人に語る人は如来の使いというべきであります。」
このように大聖人様は仰せになり、法華経の一文一句でも人に語る、即ち折伏する人は仏様の使いであると自覚して、益々信心に励みなさいと激励なされています。
それでは、御聖訓のポイントを三つ申し上げたいと思います。
一つ目は「一文一句なりとも仏法を語ろう」ということです。
本日拝読した御聖訓には、「一文一句なりとも人にかたらんは過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし」と、折伏を行じる者は過去世からの深い因縁があると仰せられています。
御法主日如上人猊下は次のように御指南なされています。
「我々が妙法に巡り値うということの宿縁深厚なる因縁を、本当に一人ひとりがしっかりと噛みしめていくと、それこそわずか一秒でも無駄にできなくなってくるのです。もっと価値ある人生を送っていかなければならない、広布のために尽くしていく人生を送っていかなければならない、このように思っていただけると思うのです」(功徳要文一五七)
と御指南なされています。
私たちが今、妙法の御本尊様を信ずるのみならず、折伏成就を祈り実践しているのは、大聖人様との過去世からの深い因縁があった証(あかし)なのです。この宿縁に感謝し、喜びをもって一言でも仏法を語り、折伏の実践者となって、日蓮が弟子檀那としての使命を果たしていきましょう。
二つ目は「仏の使いとして折伏実践」ということです。
拝読の御聖訓には、「此の経をきかざる人は度しがたし」と、正法を聞かない人は救い難いと仰せられています。
つまり、私たちが正法を説き、伝え、聞かせなければ、世間の人達は成仏の機会を得ることができないということです。
さらに、大聖人様は法師品の文を引かれて、「一句をも人にかたらん人は如来の使ひと見えたり」と、自ら決意し正法を説く人は仏様の使いであるとお示しです。大聖人様の 願いは、一切衆生救済です。そのために私たちができることは、まずは自分の目の前にいる人、縁のある一人の人からの折伏です。
朝夕の勤行や唱題で真剣に御祈念申し上げていけば、 折伏の場が自ずと与えられます。一度断られても、二度、三度と根気よく続けていくならば、折伏は必ず成就していきます。大切なことは、自身の決意と実践と諦めない心です。
私たちは、大御本尊様に対する信の一念のもと、講中 一人残らず折伏に立ち上がり、ともに手を携え励まし合って、地域広布に向けて勇往邁進してまいりましょう。その信心姿勢にこそ、大きな功徳が具わるのです。
三つ目は、「如渡得船の信心を」ということです。
本抄の中で大聖人様は、「此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なり」と仰せになり、「妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず」と仰せになっています。法華経、即ち、大聖人様の仏法を信仰する人は、「渡りに船を得たるが如し」という言葉が現実となるのです。このことを大聖人様は教主釈尊を船大工に喩え次のように御教示です。
「釈尊は、無量無辺の善(ぜん)巧(ぎょう)方便(ほうべん)を以て「四味八教」という諸々の材木を取り集め、それを「正直捨権(しょうじきししゃごn)」という真実の鉋(かんな)でけずり、削り取った材木を「邪(じゃ)正一如(しょういちにょ)」と切り合わせ、醍醐(だいご)一実(いちじつ)の釘(くぎ)をば丁(ちょう)と打って生死の大海へと浮かべられたのである。しかも帆柱(ほばしら)は「中道(ちゅうどう)一実(いちじつ)」、帆は「十界千如・一念三千」、その帆を「諸法実相」の順風に上げて「以信得入」の一切衆生を取り乗せ、釈迦如来は楫(かじ)を取り、多宝如来は綱手(つなで)を取って力を添え、四菩薩はぴったり調子を合わせ、ためらうことなく漕(こ)ぎ行く。これを如渡得船の船とは申すなり」(御書一五五五~一五五六㌻取意)
と御教示であります。
即ち、正直に方便を捨てて、御本尊様を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、必ず成仏の境界を得ることができると仰せなのです。
ただ、信心の力によってのみ成仏の境界に入ることが出来るのです。その為には、朝夕の勤行が等閑(なおざり)になってませんか? 唱題に励んでいますか? 真剣に唱えてますか?
此れ等、毎日の当たり前の仏道修行がいい加減になっていきますと、寺院参詣が遠のき、御戒壇様への恋慕(れんぼ)渇仰(かつごう)の心が知らぬ間に薄れていくものです。私達は、何時も初め、何時も初め、との思いを持って御本尊様に向かう姿勢が 大事なことだと思います。
最後に御法主日如上人猊下は、次のように御指南なさっています。
「私どもが、もし謗法を見て、そのまま放置しておくようなことがあれば、いくら祈ろうとも、広宣流布の大願を達成することはできないのでありますから、私達は改めて謗法厳誡の宗是に照らして、謗法に対しては厳しく対処していくことが、我々の一生成仏のためには絶対的に大事であると知るべきであります。」(大日蓮・令和七年二月号)
このように仰せられ、謗法を厳しく誡め、折伏していくことが如何に大事であるか御指南なされております。
「活動充実の年」も中盤に差し掛かり、総本山では法華講講習会が始まりました。また七月・八月には、中高等部・学生部の研修会も行われます。
このことを周りの講員に呼び掛け、一人でも多くの方の参加を促(うなが)しましょう。また、御報恩御講や唱題会、座談会等の行事に、縁のある方、家族や未入信の方をお誘いしましょう。
一人ひとりが積極的に声を掛け合うことが、講中全体の活動充実につながっていきます。信心の歓喜を益々拡げていけるよう、皆で力を合わせて精進してまいりましょう。