やさしい心の平吉(令和7年5月)
やさしい心の平吉
令和7年5月 若葉会御講
むかし、あるところに平吉という男の子がいました。父親は平吉が2才のときに病気で亡くなりました。母親は平吉を育てるために山菜(さんさい)や薪(たきぎ)などを山から採(と)ってきて、それを売ったりしながら一生懸命働きましたが、平吉が10才のとき体を悪くして、とうとう病気になってしまいました。
ある朝、平吉は家を出て夕方帰ってきて、母親に「おっかさん、もう無理して働かなくていいよ。おいら明日からとなり町の造(つく)り酒屋(ざかや)で使ってもらうことになったからね」と言いました。母親は、「お前、何を言っているの!まだ子供のお前が仕事なんかできる訳ないでしょう」と言いましたが、平吉は「うん、でもご主人が『お前の母親思いの気持ちはわかった。仕事はできなくてもいいから、明日からきなさい。体の悪いお母さんには米代を送ってやるから』と言ってもらえたよ」と言いました。
平吉は酒蔵(さかぐら)の小間(こま)使(づか)いに雇(やと)われ、ご主人になんとか恩返(おんがえ)しをしたい気持ちで、何でもさせていただこうと決心し、はりきっていました。平吉はご主人に、「自分は何をすればいいでしょうか」と聞きましたが、ご主人は、「お前がやれるような仕事なんかないよ」と言われ、先輩たちからは「じゃまだ!隅(すみ)っこに立ってじっとしていろ」と言われました。平吉は誰からも認めてもらえませんでしたが、自分にできる掃除などの仕事を自ら進んでしました。そして、平吉は先輩たちにどんなにいじめられても、じゃま者扱いされても、それを主人に言いつけることはしませんでした。それは主人に心配かけたくなかったからです。
ある夕方のこと、主人は使用人全員を集めて、「わしは酒造(さけづく)りに全(すべ)てをかけてきた。わしには女房子供も後継ぎもおらん。じゃが、もうわしも年老いたから、そろそろ隠居(いんきよ)しようと思う。そこで、次のなぞ解(と)きができた賢い者に後を譲(ゆず)って、わしは傘一本持って旅に出ようと思う。『宵(よい)のしゃら、夜中(よなか)のりんの細声(ほそごえ)、夜明(よあ)けの玉づさ』とはなんのことか。明日の朝までに考えておけ。それまで皆に暇(ひま)をやろう」と言いました。
使用人たちはざわめき立ちました。酒屋(さかや)の身(しん)代(だい)、財産が全て自分のものになる。もう全員が夢中になりました。平吉はそんなことより暇が出て母親に会える喜びで飛んで家に入ると、いろりの前に汚(きたな)い衣を着た旅の僧侶が座っていました。平吉はこんな貧乏(びんぼう)なおいらの家に泊まられるお坊さんも気の毒なお方だ。精一杯おもてなしをしようと、母親へのお土産(みやげ)にもらってきたおにぎりを差し出しました。
僧侶は「かたじけない」と言って、受け取り、三人で分けて食べました。母親が布団(ふとん)で休むと、僧侶と平吉はいのりのそばで休みました。布団は一つしかなかったのです。遠くで犬がほえだしました。すると、旅の僧侶は、「しゃらが鳴く。宵(よい)のしゃらが鳴くのおう」とつぶやきました。平吉はびっくりしました。やがて夜明け前になると、一番鶏(いちばんどり)が鳴きだしました。僧侶がまた、「りんの細声(ほそごえ)がするのおう」とつぶやきました。
朝になって僧侶は顔を洗いに井戸端(いどばた)へいきました。まわりの草の葉には朝露(あさつゆ)が光っています。僧侶はそれを見て「ほう、けさは玉づさが深いのおう」とつぶやきました。
平吉は僧侶に「お坊さま、宵のしゃらとは犬の鳴き声で、夜中のりんの細声(ほそごえ)とは鶏(にわとり)の鳴き声で、夜明けの玉づさとは朝露(あさつゆ)のことですか」とたずねました。僧侶はにっこり笑って、「そうじゃ、お前さんは利口(りこう)じゃのう」と言って、平吉の頭をなでてくれました。平吉は僧侶に、主人のなぞ解きの話をしました。僧侶は、「そうかそうか、じゃ早く行ってそう答えなさい」と言って平吉を見送りました。
店の大広間に皆が呼ばれました。結局、平吉の答えだけが正解でした。主人は平吉に、「お前を初めて見た時から利発(りはつ)な子だと思っていたが、わしの目に狂いはなかったのう。約束どおりお前に全てを譲(ゆず)ろう。病気の母親をここにつれておいで。親孝行(おやこうこう)するんだよ」と言って、本当に傘(かさ)一本持って旅に出ました。
平吉の親思いのやさしい心は、病気の母親に思ってもみなかった大きな屋敷で、何不自由なく親孝行できる状態にさせたのです。平吉はすぐに身寄りのいない元主人をさがしに行きました。平吉は元主人を、父親とも、主人とも、酒造りの師匠とも仰ぎ、大事に仕(つか)えしお世話しました。使用人たちの中にはいろいろな人がいましたが、慢心(まんしん)や欲心(よくしん)の強い人たちは「あんな小僧に仕(つか)えられるか」と言ってやめていきました。残ったのは平吉のやさしい行動についてくる従順な人達です。心が一つになった造り酒屋では、ますます良い酒が造られ、店はどんどん繁盛(はんじよう)していきました。
皆さんは平吉のやさしい心をどんなところに感じましたか。病気の母親にかわって、でっち奉(ぼう)公(こう)に出たことですか?先輩からいじめられても、主人に心配かけたくないという思いで、だまっていたことですか?汚(きたな)い身なりの僧侶に対し、敬いの心を失わないで、精一杯の食べ物でもてなしたことですか?なぞ解きで身代(しんだい)が譲られるという時も、母親に会える、母親に孝行したいという気持ちと行動ですか?最後まで主人と母親を大事にしたことですか?いじめた人を恨(うら)んだりしないで、いつも人の幸せのために心をくだき、行動したことですか?
皆さん、「見返りを求めない、素直な心とその行動」が本当のやさしさだと思いませんか?あの人が親切だから、自分もやさしくなれるというように、常に相手の行動や気持ちに、自分の行動が左右されていませんか?いつも人の幸せが祈れる、人のために自然に行動できる、そんな豊かな広い心が本当のやさしさの源で、それは御本尊様を信じて修行する心から自然と生まれます。
貧(まず)しい身なりでも僧侶を敬い親切にした平吉は、僧侶のつぶやきによって救われ、主人が平吉に変わっても、優しさあふれる平吉についてきた先輩たちと共に酒屋をさらに繁盛させることができたました。これは皆さんが正直に真剣に信心して、家族仲良く生活していると、御本尊様から守られ必ず救われるということです。私たちも平吉を見習って、家族や友人などの幸せを祈って信心修行に励んでいきましょう。