竜と天狗(令和7年4月)
竜(りゆう) と 天(てん) 狗(ぐ)
令和7年4月 若葉会御講
むかし、讃(さぬ)岐(き)国(のくに)(現在の香川県)に万(ばん)能(のう)の池(現在の満(まん)濃(のう)池(いけ))という日本で一番大きなため池がありました。池の周りには堤(つつみ)が高く積まれ、豊かな水はあたりを潤(うるう)しています。その池には様々な魚とともに、一匹の竜が住んでいました。
とても天気の良いある日のこと、竜は久しぶりに水面から出て岩の上で、一匹の小さな蛇(へび)に身を変えて日なたぼっこを楽しみ、うとうとと気持ちよく眠っていました。そのとき、一(いち)羽(わ)のトビがその池の上を飛んでいました。そのトビは近(お)江(うみ)国(のくに)の比(ひ)良(ら)山(やま)(現在の滋賀県の比(ひ)良(ら)山(さん)地(ち))で修行をしていた天(てん)狗(ぐ)が姿を変えていたものです。
トビは一匹の太っておいしそうな蛇を見つけ、さっと急降下して、両足のつめで蛇をつかみ、空高く舞い上がりました。一瞬のことで蛇はびっくりしましたが、空の上なのでどうすることもできません。トビはそのまま天狗の住みかである比良山の洞(どう)窟(くつ)まで飛んでいき、もとの天狗の姿にもどり、蛇を洞窟の小さな穴の中にむりやり押し込めました。蛇はせまい穴の中で身動きもできません。せめて力の源となる一(いつ)滴(てき)の水さえあれば、もとの竜に戻ることができるのですが、日なたぼっこをしていたため、今はただひぼしになって天狗に食われるのを待つだけです。
次の日のことです。天狗は「いちど比(ひ)叡(えい)山(ざん)の僧を食べてみたいものだ」とつぶやくと、さっそく比叡山に出かけました。夜になるまで待っていると、一人の僧侶がかわや(トイレ)から出てきて、小さな水(みず)瓶(がめ)で手を洗おうとしていたその時、木の上で様子をうかがっていた天狗はさっと飛びおりたかと思うと、その僧侶を抱きかかえ、比良山の洞窟へ連れていきました。大男の天狗はふるえる僧侶に、「お前は、明日の朝(あさ)飯(めし)だ!おとなしくしておれ!」と言い残すと、またどこかに飛んで行ってしまいました。
僧侶は修行の身であっても、まだ十代です。天狗のあのおそろしく光った目や形(ぎよう)相(そう)を思い出しただけでも身(み)震(ぶる)いがして、生きた心(ここ)地(ち)がしませんでした。少し落ち着くと僧侶はお経を唱え出しました。すると洞窟の奥から、か細い声がしました。「誰かいるのですか?」洞窟は真っ暗です。僧侶は自分一人と思っていたのでびっくりして目をこらして見ましたが何も見えません。奥でまた声がしました。「私は万能池に住む竜です。小さな蛇になって日なたぼっこをしていたところ、トビに変身した天狗につかまってしまいました。私は一滴の水さえあればもとの竜にもどることができます。どうか力を貸してください」と言いました。僧侶は我にかえり、夢中で抱(かか)え込んできた手洗い用の水(みず)瓶(がめ)を思い出しました。水はほとんどこぼれていて残っていそうにありませんでしたが、それでも一滴ぐらいは残っていそうです。僧侶は手さぐりで声のするほうに近づいていき、小さな穴から頭だけを出して、身動きできない蛇の頭の上に水瓶を傾けました。「ポトーン!」と一滴の水が竜に落ちました。するとどうでしょう。蛇は生(せい)気(き)を取り戻し、次の瞬間、たくましい竜に変身し、僧侶を抱きかかえると洞窟をやぶり空高く舞い上がりました。すると稲(いな)光(びかり)がして雷が鳴りひびき、大雨が降り出しました。竜はぐんぐんと昇っていき、僧侶にどこへ送ればよいか尋ねました。僧侶が比叡山と告げると、急降下してあっという間に僧侶の住む坊まできました。縁側に僧侶を降ろすと竜は丁(てい)寧(ねい)に御礼を言ってあっという間に空高く昇っていきました。
落雷の音にびっくりしてかけつけた僧坊の人たちの前に、さきほどいなくなってしまった僧侶がいるではありませんか。人びとは二度びっくりし、僧侶から竜の話を聞いて、またもやびっくりしました。それからの僧侶は、不思議な自分の体験を大事にし、生まれ変わった気持ちで仏道修行に励むことができました。一度死を覚悟し、竜に助けられたという報(ほう)恩(おん)感(かん)謝(しや)の気持ちは、自ら進んで人々の幸せを願い、勇気をもって行動するというように、今までの自分から、蛇のように脱(だつ)皮(ぴ)することができたのです。
一方、竜は天狗の身勝手な振る舞いをこらしめようと、天狗を探していたところ、京都の町で人びとに乱暴する荒(あら)法(ほう)師(し)のうわさを聞きました。竜はさっそく、京の空の上から荒法師の様子をみつけ、それがあの天狗だということに気づき、急降下して荒法師をにらみつけました。荒法師は身の危険を感じてトビに変身し、空に舞い上がりましたが、竜はそれをひと吹きで吹き飛ばしたため、トビは地面にたたきつけられ、羽が折れて身動きできなくなりました。転がったトビは道行く人に踏まれ、けとばされ、ぼろぼろになって死んでしまいました。
竜は僧侶の一滴の水に助けられ、命を全(まつと)うすることができました。僧侶は天狗に食べられるところを、竜の力によって助けられ、僧道を以前にもまして精進することができました。天狗はトビや荒法師になって、好き勝手なことをしてきましたが、最(さい)期(ご)は自分のしてきた報(むく)いを受け、人々に踏(ふ)まれたりけとばされたりと、ぼろぼろになって死んでいきました。どんなにその人に力があっても好き勝手な生き方は、最期はあわれなものです。その反対にどんな窮(きゆう)地(ち)に追い込まれても、善行と強い志、気もちがあれば必ず乗りこえられます。
宗祖日蓮大聖人さまは、「妙とは蘇(そ)生(せい)の義なり、蘇生とはよみがへる義なり」と仰せのように、私たちはどんな窮(きゆう)地(ち)におちいっても、「一(いつ)滴(てき)の水」でよみがえった竜のように、御本尊様への信心で春の若葉のように夢をふくらませ、夏の青葉のように茂(しげ)っていけます。また大聖人様は、「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」と仰せになられています。寒い冬が必ず暖かい春となるように、止まない雨がないように、私たちは御本尊さまを信じて毎日朝夕の勤行をしっかり行い、お題目を唱え続けて行けば、どんなに苦しいことや辛いことがあっても、必ず解決の道へと導いて頂けるのが御本尊様のお力です。ですから、新年度をむかえた今、皆さんは朝起きて学校へ行くのが辛いと思うことがあるかもしれません。さらに、朝勤行を行ってから学校へ行くとなるとさらに大変かもしれません。しかし、そうした皆さんの努力している姿を、御本尊さまはいつも見守られていると思って頑張って行っていきましょう。