御報恩御講(令和7年3月)
令和七年三月御講 松野殿御返事 (一〇四六ページ)
建治二年十二月九日 五十五歳
御文(おんふみ)に云(い)はく、此(こ)のの経(きょう)を持(たも)ち申(もう)して後(のち)、退転(たいてん)なく十如是(じゅうにょぜ)・自我偈(じがげ)を読(よ)み奉(たてまつ)り、題目(だいもく)を唱(とな)へ申(もう)し候(そうろう)なり。但(ただ)し聖人(しょうにん)の唱(とな)へさせ給(たま)ふ題目(だいもく)の功(く)徳(どく)と、我(われ)等(ら)が唱(とな)へ申(もう)す題目(だいもく)の功徳(くどく)と、何程(いかほど)の多少(たしょう)候(そうろう)べきやと云云(うんぬん)。更(さら)に勝劣(しょうれつ)あるべからず候(そうろう)。其(そ)の故(ゆえ)は、愚(ぐ)者(しゃ)の持(たも)ちたる金(こがね)も智(ち)者(しゃ)の持(たも)ちたる金(こがね)も、愚(ぐ)者(しゃ)の燃(とも)せる火(ひ)も智(ち)者(しゃ)の燃(とも)せる火(ひ)も、其(そ)の差(さ)別(べつ)なきなり。但(ただ)し此(こ)の経(きょう)の心(こころ)に背(そむ)きて唱(とな)へば、其(そ)の差(さ)別(べつ)有(あ)るべきなり。
さて今月拝読の御書は『松野殿御返事』であります。
本抄は、建治二年(一二七六)十二月九日、大聖人様御歳五十五歳の時に著された御書であります。本抄を賜った方は、題号のごとく松野殿、松野六郎左衛門尉という方であります。松野六郎左衛門尉いう方は、駿河国、現在の静岡県の庵原郡(いはらぐん)松野という所の郷主で、三人の子供がいたと伝えられます。長男は跡をとり、六郎左衛門を襲名しました。第二子の長女は、上野の南条家に嫁ぎ、南条時光殿の母となられた上野後家尼です。そして第三子は、幼少にして四十九院に上り、それが縁で日興上人の弟子となり、さらに文永七年には大聖人様の直弟子となって、六老僧の一人に加えられた日持上人です。このような系譜を見ますと、松野家がいかに家族一丸となって大聖人様を支えられたかが分かると思います。松野殿は、建治二年頃に入信されたようで、これ以後、松野家では、弘安五年に大聖人様が御入滅なさるまでの七年間に、現存しているだけでも十二通の御手紙を頂戴しています。今回の御聖訓は、その第四番目の御手紙であり、三位房日行に届けさせたと考えられています。
本抄は、松野殿が大聖人様にある質問をされました。それは「日夜勤行唱題に励んでいるが、入信間もない何も知らない者と、信心修行の進んだ聖人が唱える題目には、どれくらい功徳の違いがあるのでしょうか」というものです。その質問に対して大聖人様は回答を示され、また、謗法に対する御教示をお示しになったのが本抄であります。
本抄の御文を通釈しますと、
「御文(おんふみ)に云(い)はく、此(こ)の経(きょう)を持(たも)ち申(もう)して後(のち)、退転(たいてん)なく十如是(じゅうにょぜ)・自我偈(じがげ)を読(よ)み奉(たてまつ)り、題目(だいもく)を唱(とな)へ申(もう)し候(そうろう)なり。」
(通釈)
「あなたからの御手紙にこのように書いてありました。
『この法華経を受持してから、退転することなく方便品と寿量品の自我偈を奉読し、題目を唱えています。』」
その上でお尋ねする内容が次の所です。
「但(ただ)し聖人(しょうにん)の唱(とな)へさせ給(たま)ふ題目(だいもく)の功(く)徳(どく)と、我(われ)等(ら)が唱(とな)へ申(もう)す題目(だいもく)の功徳(くどく)と、何程(いかほど)の多少(たしょう)候(そうろう)べきやと云云(うんぬん)。」
(通釈)
『聖人の唱えられる題目と、我等凡夫の唱える題目の功徳には、どれほどの多少があるのでしょうか』とありました。」
それに対する大聖人様のお答えが次の所です。
「更(さら)に勝劣(しょうれつ)あるべからず候(そうろう)。其(そ)の故(ゆえ)は、愚(ぐ)者(しゃ)の持(たも)ちたる金(こがね)も智(ち)者(しゃ)の持(たも)ちたる金(こがね)も、愚(ぐ)者(しゃ)の燃(とも)せる火(ひ)も智(ち)者(しゃ)の燃(とも)せる火(ひ)も、其(そ)の差(さ)別(べつ)なきなり。」
(通釈)
「決して功徳に勝劣があるわけではありません。その理由は、愚者の持つ金も智者の持つ金も、愚者の灯す火も智者の灯す火も、そこに差別はないのと同じことです。」
「但(ただ)し此(こ)の経(きょう)の心(こころ)に背(そむ)きて唱(とな)へば、其(そ)の差(さ)別(べつ)有(あ)るべきなり。(通釈)
「ただし、同じ題目でも、法華経の心に背いて題目を唱えるならば、そこに差別が生ずるのであります。」
このように大聖人様は仰せになり、法華経の心に背いて題目を唱えないこと。具体的には十四誹謗を犯さないことを訓戒なされています。
それでは、今回の御聖訓のポイントを二つ申し上げたいと思います。一つ目は「『若実若不実』の誡め」ということです。
日蓮大聖人は、松野殿から「大聖人の唱える題目と、我々が唱える題目の功徳とでは、どれほどの違いがあるのでしょうか」という質問を受け、「更に勝劣あるべからず」と御教示されています。ただし、「此の経の心」に背いて唱える 題目の功徳には差別があると説かれていますす。そして、「此の経の修行には重々の段階がある」と仰せです。つまり、入信した人は全て同等の信心修行をしているかといえば、そうではありません。純真な強い信心を持っている人も居れば、まだまだ信心が薄弱で、濁っている人も居て、色々な違いがあることをお示しです。その違いの概ねを言うならばということで、妙楽大師の『法華文句記』を引いて、その具体的な要因として、十四誹謗を挙げられています。要するに、入信はしていても、この十四誹謗を厳格に誡めている強信者か、それとも、十四誹謗を気にも留めない緩き者か、その違いによって唱える題目の功徳にも差別が出てくるというのであります。それは、題目に本来具わる広大無辺の功徳が、十四誹謗の分々を犯すことによって、打ち消されるからであります。
では、その十四誹謗とは具体的に申し上げますと、
① 憍慢(きょうまん)=自分が大した者でも無いのに、思い上がって慢心し、驕り高ぶることです。終には正法を侮ること。
② 懈怠(けたい)=仏道修行を怠ること。なすべき仏道修行である勤行や折伏、登山参詣や、会合等の参加を怠ること。
③ 計(け)我(が)=自分勝手な考えで仏法を推し量り、曲げて解釈すること。
④ 浅識(せんしき)=浅はかな知識で正法を誤って解釈すること。
⑤ 著(じゃく)欲(よく)=欲望に執着して正法を軽んじること。仕事に 熱心なことはいいことですが、お金を稼ぐことに執着して勤行や、登山などの仏道修行を怠ることは、著欲に当たります。
⑥ 不解(ふげ)=正法を理解しようとしないこと。仏法の道理を聞いても、自分の歪んだ心や物の見方のために正しく真っ直ぐに理解することが出来ないこと。
⑦ 不信(ふしん)=正法を信じないこと。ここで言う信とは、根拠も無いことを信じるという盲信ではありません。本宗の御本尊には、道理、証文、現証の上から確かな根拠があります。是を信じないとか、信じたくないということが、不信に当たります。
⑧ 顰蹙(ひんじゅく)=正法や信心している人を非難したり、顔をしかめて嫌うこと。
⑨ 疑惑(ぎわく)=正法を疑うこと。之は自分の考えの上から疑惑を生じることです。
⑩ 誹謗(ひぼう)=正法や信心する人を謗ったり罵ること。
⑪ 軽善(きょうぜん)=正法を受持する者を軽蔑すること。
⑫ 憎(ぞう)善(ぜん)=正法を受持する者を憎むこと。
⑬ 嫉(しつ)善(ぜん)=正法を受持する者を嫉むこと。
⑭ 恨(こん)善(ぜん)=正法を受持する者を恨むこと。
これら十四誹謗を説かれた大聖人様は本抄に、「此の十四誹謗は在家出家に亘るべし。恐るべし恐るべし」と仰せになり、僧俗共に十四誹謗に気を付けるよう訓戒なされました。そして、此の十四誹謗を堅く誡め、無くしていくならば、私達の唱える題目の功徳は極めて大きく、「釈尊の御功徳と等しかるべし」とお示しになっています。何故謗法の罪が大きいのかと言えば、それは、法華経の心に背くことだからであり、法華経の心に背くことは「全ての仏の命を奪うことになる」からであります。何故かと言えば、全ての仏は妙法蓮華経を種として仏に成られた。これに背反することは、全ての仏の命を奪う罪になると、仰せなのであります。さらに本抄には、法華経普賢菩薩勧発品第二十八に説かれる「若実若不実」(法華経六〇六)の経文を引用され、批判する内容が真実であろうと虚偽であろうと、正法を 信ずる者を誹ることは、仏を誹謗することに匹敵する大罪となる旨を示されています。つまり、法華経を持つ者を互いに毀ってはならないということです。その故は、法華経を持つ者は必ず皆仏であり、仏を毀ることは重罪になるからであります。大聖人様の大願たる広宣流布をめざす私たちは、その尊い使命を帯びて信心を行じているのですから、互いに尊敬し合い助け合い、真の異体同心をもって明るく元気に勇往邁進することが大切です。
二つ目は「力の限り、折伏実践」ということです。
大聖人様は『松野殿御返事』で、信徒の信心の在り方について、「在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力演説も有るべきか」(御書一〇五一㌻)と仰せられています。即ち、真剣なる唱題と御本尊様への御供養、さらには力の限りの折伏実践が肝要です。折伏は実践の有無に掛かっているのです。大聖人様の 妙法は順逆二縁ともに救うのですから、折伏実践に少しの無駄もありません。大聖人様は本抄に、「退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ」(同)と仰せになり、悟りの眼で法界を見たときに拝せられる、常寂光土の相を示されています。
総本山第六十七世日顕上人は、「我々は臨終の時に至って、やっとこのような境界になるのではなく、少しでも早くこのような境界を開けるよう、お互いが信心修行に頑張ってまいりましょう」(大日蓮・平成五年五月号)と御指南です。
私たちは、一生成仏と広宣流布のために信心をしています。このことを夢寐にも忘れず、自身の信心を磨くうえでも「何としても折伏させていただく」との強い一念をもって破邪顕正の折伏に挑戦していきましょう。
最後に御法主日如上人猊下は、次のように御指南されています。「謗法(ほうぼう)は、破折(はしゃく)しないと絶対に滅びないのです。では、その謗法を破折できるのはだれか。それは我々でしょう。我々しかいないのです。ですから私達は、邪義邪宗の謗法に対しては 徹底的に破折していかなければならないという自覚をしっかりと持つことが大事なのです。その破折によって、正しい法が広まり、本当の安国(あんこく)の世界(せかい)が生まれるのであります。(大日蓮・令和七年二月号)このように御指南なされ、謗法を破折できるのは私たちしかいないという自覚を強く持ち折伏していく大事を御指南されました。
今月はお彼岸の月です。家族や親族、有縁の方々との親交を深める絶好の機会です。悲惨なニュースの飛び交う昨今、まずは大切な方を守るため、勇気を出して下種につながる一言をお話ししていきましょう。そしてその輪を少しずつでも広げてまいりましょう。それがやがては地域や国土にまで及び、広宣流布に繋がっていくのです。