怒りの後悔(令和7年3月)

怒りの後悔(いかりのこうかい)
                   

令和7年3月 若葉会御講

        
 むかしインドのあるところに、バラモン(僧侶)の夫とその妻が住んでいて、二人は貧(まず)しいながらも幸せに暮らしていました。夫は托鉢(たくはつ)(器(うつわ)を持って食べ物や金銭などを施(ほどこ)してもらうこと)の修行を日課としていました。
 この夫婦の家に、一匹のイタチが住みついていました。そのイタチはよくなついていて、夫婦もこのイタチを我が子のように可愛(かあい)がっていました。イタチはヘビを捕(つか)まえるのが大変得意(とくい)でした。夫がでかける時、いつも入り口近くに後ろ足で立って、前足をそろえて待っていると、ご主人様が頭をなでてほめてくれます。イタチはそれがとてもうれしかったのです。
 こんな日が数年続き、夫婦に待望(たいぼう)の赤ちゃんが生まれました。夫婦はなかなか子供ができなかったので、イタチを自分たちの子供のように可愛がっていましたが、やっぱり我が子が一番です。もう、嬉しくてかわいくて、一瞬も手放すことはできませんでした。夫が留守の時は妻が、妻が留守の時には夫が赤ちゃんのそばについていました。夫婦は赤ちゃんだけではなく、イタチも今まで通りに可愛がりましたので、イタチはこの家を出て行くことなく、そのまま居ついていました。
 イタチは、自分の方が赤ちゃんより先輩なので、まるで兄のような気持ちで世話をしていました。赤ちゃんが泣けばすぐに夫婦に知らせ、そばに毒ヘビや毒虫が近づくと、これらをかみ殺して赤ちゃんを守りました。夫は托鉢の修行に出かける時、いつも妻に「どんなに近くに出かける時も、子供を一人にしてはいけないよ。何が起こるかわからないからね。必ず一緒に連れて行くんだよ」と言いました。妻は夫の言いつけを守っていましたが、ある日のことです。夫がでかけた後、妻は掃除や洗濯をして赤ちゃんに食事を与えました。そのあと穀物(こくもつ)をひいて粉(こな)にしようと思い、となりの家に臼(うす)を借りに行きました。いつもは出かける時に赤ちゃんをおんぶして行くのですが、となりだからすぐ帰ると思い、寝かしつけた赤ちゃんをそのままにして出かけました。しかし、ついうっかり、となりの奥さんと話し込んでしまいました。
 妻が臼をかかえて帰ってくると、そこに夫が外出先から帰ってきました。夫は妻に、「赤ちゃんはどうしたんだ?」と聞くと、妻は「えぇ、ぐっすり寝ていますよ」と言いました。そして二人が玄関に入ろうとすると、イタチがいつものように入り口にちょこんと座っています。でも、全身が血まみれになって、口からも血が流れています。夫は一瞬にして青ざめました。赤ちゃんを寝かしたままでしたので、イタチが赤ちゃんをかみ殺したんだと思いました。そして、「今までこんなにイタチを可愛がってきたのに、なんてことをしたんだ」と、夫はカーッとなって頭に血がのぼり、思わずそばにあった棒を手にすると、無心にこちらを見つめているイタチめがけて力いっぱい殴(なぐ)りつけ、イタチはその場で血まみれになって死んでしまいました。
 夫婦は急いで家の中に入ると、赤ちゃんはニコニコ笑って元気にしています。そのかたわらには、大きな毒ヘビがズタズタにかみ切られて死んでいました。あたりには、毒ヘビの血や肉が一面に散らばっています。イタチは可愛い弟分である赤ちゃんを守るために毒ヘビと戦って、血まみれになりながらも毒ヘビをかみ殺したのです。そして、そのことを夫婦にほめてもらおうと、入り口で待っていたのでした。そのことを確認しないまま、夫は赤ちゃんの命の恩人であるイタチを殴り殺してしまったのです。
 それでは、なぜこんなことになってしまったのでしょうか?その原因は、「①妻が赤ちゃんを置いて一人で出かけたこと。②イタチが口から血を流して体が血まみれになっていたこと。③イタチを心から信頼していなかったこと。④いかりの心が理性を失わせたこと」などが挙(あ)げられます。
 皆さんは、ついカーッとなって怒りにまかせて、大声で怒鳴ったり、ケンカをしてしまい、あとで後悔や反省することはありませんか?しかも、それが勘違(かんちが)いだったり、自分勝手な思いこみだったり、事実と違っていたことはありませんか?日蓮大聖人さまは、「瞋(いか)るは地獄(じごく)」と仰せです。瞋ることは地獄の命となり、地獄の苦しみの原因となってしまいます。さらに、いつも怒(いか)ってばかりいると、他人から命を狙われたり、自ら災(わざわ)いを招きよせる結果となってしまいます。つまり、怒ることは不幸の原因にはなっても、幸福の原因にはなりません。
 また、叱(しか)ることと、怒(いか)ることは違います。叱ることは、相手の欠点や短所、間違いを教えてあげて正しく戒(いまし)めることであり、怒ることは腹を立てて怒り狂うことですから、全く違うこととなります。皆さんも、時には学校の先生、お父さんやお母さんから叱られることがあると思いますが、それは皆さんが誤ったことを行い、それを注意したり、正しいこと、やるべきことを教える為に、時には恐いぐらい大きな声で叱られることもあるでしょうが、それは自分のために叱ってくれていると思いましょう。これから皆さんも、友だちや家族に対して間違っていると思うことがあったなら、叱らなければならない時もあると思います。例えば、弟や妹がいたならば、兄や姉として注意しなければならない時、友だちがやってはいけないことを行っていたり、正しい方向へと導いてあげたい時は、進んで注意しなければならないでしょう。
 このように、叱ることは相手を導く思いがあるのに対し、怒る心は恨(うら)みや憎(にく)しみの心、自分勝手な心がありますから、良い結果にはなりません。むかしから、「短気(たんき)は損(そん)気(き)」と言って、気が短く怒ってばかりいると、色んなものをなくしたり、損したりすることを言います。皆さんは、ついカーッとなってしまう時があったら、イタチの話を思い出して、相手の気持ちを考えたり、自分勝手に何か思い違いをしていないかを確かめ、心を静めて素直に物事を判断できるようになりましょう。
 そのためには、日頃から御本尊様へしっかりとお題目を唱えて行くことが一番大事なことです。御本尊様は皆さんの心を清く正しく直して下さいます。また、毎日朝起きて朝勤行を行い一日を有意義に始め、夕方帰宅したら夕勤行を行い、一日の反省と無事に終えることができたことを、御本尊様に感謝報告して行くことを続けてください。そうした毎日の勤行・唱題の功徳が、皆さんをさらに楽しく喜び溢れる毎日に変えることができることを信じて、四月から始まる新年度を迎えてください。