持ってこられなかった琴の音(令和7年2月)

持(も)ってこられなかった琴(こと)の音(おと)                  
                     令和7年2月 若葉会御講

        
 今日は琴の音だけにこだわって琴そのものをこわしてしまった王様の話と、一つの物事にこだわらないで機(き)転(てん)をきかして成功した青年の話をします。最初に琴の音にこだわった王様の話をします。
 むかし、インドの王様が、はじめて琴の音を聞いたときのことです。「おお、あの音はなんとも素晴らしい音だ。いったい何の音だ」「はい琴の音でございます」「そうか、では誰かその琴の音をとってまいれ」と、大臣は急いで琴を持ってきて、王様に差し出しました。「これが琴というものです。さきほどの音はこの琴から出た音でございます」。王様は、「私は琴を持ってこいとは言わなかったぞ。あの美しい琴の音そのものをとってまいれ」と言いました。大臣はあきれて、「ですからあの音はこの琴から出るのでございます。これが琴の銅(どう)です。これが柄(え)です。これが弦(げん)です。ここに指をおいて、ここを爪でつまびくと、先程の美しい音が出るのです。だからこの琴が無ければあの音は出ません。先程の音はもう消えていて、あの音は持ってくることはできません。しかし、この琴があればあの音は出るのです」と、大臣がこんなに詳しく説明したにもかかわらず、王様は「どうして先程の美しい音を持ってこないのだ。そんな屁(へ)理(り)屈(くつ)は聞きたくない。そんな琴など壊してしまえ」と命令しました。琴は命令どおりに粉(こな)々(ごな)に壊されて処分されました。そして王様は一生涯あの美しい琴の音を聞くことができませんでした。
 皆さんは、王様はおろかだなぁと思うでしょう。これは物事の道理を認めないことからくる間違いです。自分の欲にとらわれて、そのことだけにこだわり続け、道理をわきまえないとどうなるでしょうか。お店に欲しい物があるからといって、お金を払わないで黙って持ってくれば泥棒になります。信心している人が、御本尊様に「あれとこれの願いをかなえて」とばかり思うだけでは、それはちょうど琴の音をだけを欲しがっていた王様のようなものです。私たちは毎日、勤行や唱題、そしてこの教えをあらゆる人に勧めるといった信心修行に励むことによって、はじめて願いがかなうのです。また、大聖人様の仏法の道理にしたがって信仰していかなければ、琴の音が聞けなくなった王様のように、幸せな人生を送ることはできないと思います。
 次に、一つの物事にこだわらないで、より価値と真理を求めて成功した青年と、一番最初の物にとらわれて失敗した青年の話をします。
 むかし、インドのある所に二人の青年がいて、幸せを求めて旅に出ました。しばらく進むと道(みち)端(ばた)にたくさんの麻(あさ)が生い茂っていました。持ち主のいない自然に生えた麻です。二人は麻を持って帰り、お金を得ようと思い、袋にいっぱい詰めて背(せ)負(お)えるだけ背負って歩き続けました。
 しばらく進むと今度は、織(おり)物(もの)が道(みち)端(ばた)に置かれていました。やはりまわりには誰もいなくて持主のない織物です。一人の青年は麻を全部捨てて、織物を袋に詰めました。もう一人の青年は麻袋を背負ったままです。
 しばらくいくと今度は持主のない銀のかたまりが道端に置いてありました。一人の青年は織物を捨てて、袋に銀のかたまりを詰め込みました。もう一人の青年は相(あい)変(か)わらず麻(あさ)袋(ぶくろ)を背負ったまま、取り替えようともしません。そしてまた、しばらく行くと今度はやはり持(もち)主(ぬし)のない金の塊(かたまり)が道端に置いてありました。一人の青年は銀の塊を捨てて、金の塊を袋に入れました。そしてもう一人の青年に「君、最高の価値のある金の塊がこんなにたくさんある。しかも持主のいないものだ。二人で協力して持てるだけもって、故郷の家族や皆を幸せにしようよ。皆はきっと喜ぶと思うよ」と言いました。それでも、もう一人の青年は「いいよ僕は」と言ってことわりました。
 青年は言ってもわからないので、もう一人の青年の袋をむりやり背からおろそうとしました。しかし体にきつくしばりつけてあるので、袋を体から離すことができません。もう一人の青年はいいました。「僕はこの麻を家に持ち帰ることに決めたんだから、そうするんだ。又、このように体にきつく結びつけているから、もう取れないよ。それにせっかく重いのをがまんして遠い道を背負ってきたのだから、今さら捨てる気がしないよ。もう僕のことは構わないで、君だけ金を持って帰ればいいんじゃないか」と言いました。
 こうして二人は故郷に帰ってきました。金の塊を持ち帰った青年は両親や家族、村の人からも「お前は本当に賢い。これで我が家は救われる。安らかに暮らせるし、仏様に御供養もさせていただけるし、福徳を積むこともできる。村の人にも役立ててもらえる。息子よありがとう」と喜ばれました。
 一方、麻を持ち帰った青年の両親はがっかりしました。「お前はどうして一緒に金を持ち帰ってこなかったんだ。こんな湿った麻など持ち帰っても家族が救えるのかい。御飯も食べられないよ。本当にお前はおろか者で大馬鹿者だ、お前はもうこの家から出ていきなさい」と、さんざん叱られました。
 この話は一つのものに執(とら)われて、悪を捨てて善を取るという善悪の判断ができない姿について説かれたものです。このように自分の欲望や迷いに執着する悪い教えを捨てて、正しい最高の教えを求めることが大切なことです。いくら正しい教えだからといっても、先祖代々からの宗教だから今さら改宗できないとか、自分は宗教なんて信じないと言う人がいたら、それはちょうど麻袋を離せなかった青年のような人で、両親から見捨てられたように、仏様によって救われることのできない人です。
 みなさんは、琴の音だけに執われて琴を壊した王様や、麻に執われて金を選ぶことができなかった青年のようにならないために、毎日の朝夕の勤行や、少しずつでも良いから御本尊様に真剣にお題目を唱え、自分の祈りや願いを叶えることができるように、また正しい判断ができるようにこれからも頑張って下さい。